月に花火が届くとき

星留悠紀

月に花火が届くとき

月に花火が届くとき


 去年の夏休みのことだった。

 数少ない友人に恋人ができた。

 僕は冬にそれを知り、祝い。その人を諦めた。

 たった、それだけ、だった。




 この街にはクリスマスに必ず雪が降る。

 しかし、花火大会には新月に行われるので月は見えない。今年もそんな夏が来た。

 見えない月を背にタコ焼き屋の屋台を運営していた。町内会の会長である親父に手伝いを頼まれて断れなくなった結果だ。

 花火が上がるまで後十分程。客足は激しさを増し、余裕なんてものは存在しなかった。


「ほっしー、次二人分!」


 屋台の先で快活に高い声で僕のあだ名を呼ぶのは、幼馴染みの亜衣だ。


「はいよ。ちょい待ってて」


 手元を動かし、タコ焼きを仕上げて行く。親父に小さい頃から仕込まれているので、なれたものである。

 客足が途切れた瞬間があった。

 その瞬間を忘れない。花火が上がる10秒前、見覚えのある後ろ姿があった。仲良く並ぶ恋人たちの人ごみの中で一際目を引いた。


 何かが悲鳴を上げた。それはきっと警告だ。痛みが体の防衛機能のように、本能では分かっていた。体が強張って、何かが纏わり着いたみたいで上手く動けなかった。


 だけれど、目を離せなかった。きっと、否定をしたかったんだ。真実を知ることで安息を得ようとしていたんだ。


 それはあり得ないことだった。成しうることがないことだった。何故なら、彼女の後ろ姿を間違えることなんて絶対に無いと、自分自身が何よりも自信を持っていたから。


 心音が聞こえる。花火が上がる。髪が揺れている。甲高い上昇音。眩しい光。照らされたその顔。


 知らない誰かの横で笑っているその顔は、それこそ、月に花火が届くくらいに、手が届かない綺麗さであった。そして、どうしようもなく、笑顔、だった。


「ほっしー、一つ追加で」


 亜衣が何かを言っていた。彼女が目の前を通りすぎる。体から緊張がとけて、膝にかけていた力が無くなった。


「ほっしー、ねぇ、聞こえて……」


「ごめん、休憩させてもらう」


「え、ちょっと……」


 逃げるように控えの簡易な椅子に腰を掛ける。


「気持ちが悪い……」


 小さく誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いた。もしかしたら、心の中でだけだったかもしれない。


 彼女を久しぶりに見かけたのは素直にうれしい。元気そうなのも。


 だけれど、彼女を見たときに湧いた感情を自分なりに考えると困惑や不安、焦燥のようなものだった。


 彼女に恋人ができたのは知っている。そして、僕は、僕自身が彼女を諦めたことを知っている。では、この焦りはなんだ?


 最大の不安は、もしかしたら自分は彼女を諦めきれていないのでは、ということだった。


 そんな考えがひたすらにごちゃごちゃになっていて気持ち悪くなっていた。




 あの日のできごとは、月の無い夏祭りで花火が上がった時だ。

 だから、僕は月の上がる静寂が広がるこの夜に思い出してしまうのだろう。

 あのとき。もし声を掛けていたら、何かが変わっていたのだろうか。

 後悔はそこに落ち着いた。あれから半月後。夏休みは終わりを告げようとしている。


 花火の日がまるで夢のように遠かった。

 あの日、上がっていなかった月が今日は満月として上がっている。


「あぁ、綺麗だな……」


 秘密を小さく呟く。言葉はどうしようもなく届かない。月に花火は届かない。それでも、花火はあんなにも綺麗だ。無くなる前で輝く。無くなる前でしか輝けない。


 僕は自暴自棄は嫌いだ。だけど、悲しく落ちることを、何故だろう何処かで知っていた。

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