二人の助手

薪原カナユキ

第1話

 東京近郊某所。

 日が昇り始め、暗く静まり返った町に光が帰る。

 特別背の高い建物があるわけでは無いが、いりくんだ横道により要所要所に日差しが届かない。


 彼――園原そのはら良平りょうへいが立ち止まった建物も、その半分には影が落とされている。

 まだ冬を越え、春というには肌寒さがある為か、良平はブラウンのコートを着込んでいる。

 身長は平均的で、顔つきも冴えず一度も染めた事の無い髪は目立たない程度に整えられている。

 彼の左手には、物が所狭しと詰められたビニール袋。


 立ち止まった建物には双葉探偵事務所と看板が掛けられ、扉はまだ痛んではないものの、新しくはない。

 中の様子が伺える窓からは光が漏れず、人気は無い。


 小声で意気込む彼は、扉を迷い無く開ける。


 静まり返った室内は、やや古ぼけて歴史を感じる外装とは違い、質が良く手入れの行き届いている家具が揃えられていた。

 目立つのは三つあるデスクの内の一つ。

 一つは、置かれている物は多くあるが、書類等はホッチキスやクリップで纏められ、実際に作業を行うスペースは確実に確保されている。

 一つは、他二つとは違いぬいぐるみ等の装飾品に混ざり、書類が束ねられている。

 そして最後の一つ。

 乱雑に置かれた書類の山に、出されたままのライターと煙草。

 最後まで飲み干されていない珈琲が入ったマグカップに、無造作に置かれた紺色のネクタイ。


 良平はそれに目もくれず、室内の奥へと歩みを進める。

 半場慣れた動きで薄暗い中を歩き、見つけ出した照明の電源を押す。


 天井に取り付けられた円盤状の照明は、瞬く間に部屋に光を与える。


「もう朝ですよ。起きてください、晴香せいかさん」


 良平の声に、ソファーの陰に紛れていた人物が頭を掻きながら起き上がる。

 背を伸ばし、肩と首を回しながら"晴香せいか"と呼ばれた人物は、気だるげに答える。

 双葉ふたば晴香せいか

 この双葉探偵事務所を経営する、探偵の一人。


「もうそんな時間か。助手君、珈琲を淹れてくれ」

「今淹れます。朝食は買ってきたので、この中から自由に取ってください」


 晴香と呼ばれた彼の前にあるテーブルへ、良平は左手に持ったビニールを置く。

 眠たげな表情を浮かべる晴香は、一見不機嫌と取れそうな顔つきで熟した果実の如きビニール袋を一瞥する。

 彼の容姿については、出てくる意見は千差万別。

 まず手の入っていない髪は疎らに長さが変わっており、時々前髪を掻き上げている。

 Yシャツと黒のズボンは皴少なく揃えられているが、その首元は大きく開いている。

 左手首に巻かれた腕時計は、年季の入った金属製。


 頭を押さえている晴香から視線を外した良平は、コートを脱いではポールハンガーへと掛ける。

 他には黒のベストと胡桃色のケープが掛けられており、持ち主が三者三様であることが伺える。

 コートの下には若者らしいカジュアルな格好をしており、長袖を捲ってさらに奥の部屋へと入っていく。


 二人で使うには大きいキッチンが良平を迎い入れる。

 清掃と整頓が行き届いており、水回りには垢の一つすら残っていない。

 顔を近付ければ鏡となるシンクに姿を写しながら、彼は上部の収納棚を開く。

 そこからマグカップ一つを取り出し、晴香の注文をこなしていく。


 キッチンへ置かれたエスプレッソ式のコーヒーメーカーへマグカップを置き、珈琲豆などの必要な準備を揃えた彼は、抽出を一分程待ち淹れていく。

 立ち上る香りを堪能する良平は、完成を程無くしてマグカップを待ち人の下へ運んでいく。


 ビニール袋をあさり、包装されたサンドイッチを開けては頬ぼっている晴香の手元へマグカップを置き、去り際に珈琲が残ったマグカップを手にする。


「また遅くまで資料集めしていたんですね。二日前みたいな徹夜をするのは、僕は嫌ですよ」

「私たちにとって情報は命だ。無知な探偵など依頼者クライアントからすれば失笑ものだ」


 晴香に操作されたリモコンは、彼の斜め前に置かれたテレビへ光を灯す。

 回されるチャンネルは何処も同じで、天気予報か朝のニュース番組のみ。


 流れる報道は明るい話題が少なく、大きく取り上げられている物はどれも同じ。

 著名人のスキャンダルや、暴力沙汰が絡んだいざこざ。

 有名企業の失態に交通事故が挙げられている。


「この人材派遣会社、以前も取り上げられてませんでした? 株式会社ドットライフ、労働基準法を大幅に違反って」

「主に労働時間で訴えられていた所だな。今回は代表取締役社長が槍玉に挙げられているようだ」

渡来わたらい孝造こうぞうの記者会見ですか。録画しておきますか?」

「そうだな。頼む」


 マグカップを流し台へ置き、良平は慌ててテレビ下に設置したBlu-rayレコーダーを作動させる。


「労働時間に関しては、うちも人の事は言えないですけどね」

「助手君は必要な時に居てくれれば、それだけ問題無い」

「そう言って不精を働くから、僕がここを離れられないんですよ。もっとも僕がここに来ないことを、彼女が許すとは思えないですけれど」


 立ち上がり、食事を貪る彼へ良平は笑いかける。

 自身の分もとキッチンへ珈琲を取りに行く姿を追うが如く、玄関の扉は開かれ光が差し込む。


 ヒールを鳴らしスカートを揺らす影は、嬉々とした声を部屋の奥へと投げ掛ける。


「ええ勿論許可は出せませんわ、助手さん。貴方ほど私を愉快にしてくれる方はいらっしゃいませんから」

「雨音さん、相変わらず耳が良いですね」


 苦笑する良平の事は露知らず、肌の露出が少ない服装を着飾る女性は当然の権利と晴香の対面にあるソファーへ腰掛ける。

 双葉ふたば雨音あまね

 この双葉探偵事務所を支える、もう一人の探偵。

 艶のある黒髪に長袖とロングスカート、立ち振舞いを含め"淑女"といった印象を強く与える。


 彼女は手にしていた小柄のバッグを側へ置き、目の前の男性へ無遠慮に声をかける。


「お兄様、十分な休息を取れていない所に珈琲は体によく有りません。せめてミルクを入れるべきです」

「私の好みだ。好きにさせてくれたまえ」


 雨音の言葉を素通りし、晴香は珈琲をそのまま口にする。

 彼女自体素っ気無い態度の事は気にせず、バッグからスマートフォンを取り出しては電源を付けて画面を操作していく。

 青い鳥を象徴するアプリケーションを眺める雨音は、キッチンへ入っていった良平にスマートフォンの画面を向ける。


「助手さんも、徹夜等せずにしっかり寝てください。いざという時に困りますよ」

「そう言いつつネットでは煽って来たじゃないですか、雨音さん」

「助手さんがあまりにも予想通りの反応をなさるから、可笑しくてつい」


 クスクスと笑う雨音のスマートフォンには、良平が登録しているアカウントでの発言。

 二日前の徹夜が大きな負担になっている事を指す発言は、二名ほどの反応を得られていた。


 その内の一人である雨音からは、更なる努力を求める発言がされており、良平の発言以上の多くの反応が確認できる。


「情報収集の為の物だろう、それは。あまり私用に使って欲しくは無いのだが」

「あらお兄様。お言葉ですがコミュニケーションも情報収集の一環。こうして皆さんに好意的に接していれば、様々な事が知れますわ」

「僕はこうして雨音さんが事務所のアカウントを扱ってくれるのは嬉しいんですが、たまに怖い人たちが集まっているのがちょっと……」


 晴香が難色を示すも雨音はどこ吹く風で流してく。

 別のマグカップを手にして二人の間へ入る形で現れた良平は、晴香の隣へ座り込み僅かな不満を口にする。


 それを示唆するかのように、雨音の扱っているアカウントへメッセージが送られてくる。

 男性と思しきアカウントが好意を伝えてきており、彼女は事務処理として淡々と返信をしていく。


「お兄様はもう少し人付き合いが上手であれば、そのハイバリトンのお声で女の人たちを篭絡することが出来たでしょうに」

「生憎身を固める事はまだ考えていない。それは雨音もだろう」

「そうですね。ですが、私は助手さんなら或いは。そう考えております」


 雨音は画面に落としている視線を僅かに上に向け、良平へ目配せをする。

 スマートフォンで口元を隠した形で上目遣いをする雨音に、ほんのり顔を赤めらせるものの首を振っては息を吸い、胸を撫で下ろす。


「雨音さん、そう言ってくれるのは嬉しいですが、からかうのは止めてください」

「さぁ? どうでしょう。推理してみてください、助手さん」

「雨音、あまり助手君で遊ぶんじゃない」

「はーい、お兄様」


 満面の笑みを浮かべる雨音はスマートフォンを仕舞うと、バッグを持って席を立つ。

 手荷物を装飾品に飾られたデスクへ置くと、代わりに兎のぬいぐるみを抱き抱える。

 ディアストーカーキャップとケープに身を包み、右手にはパイプを持った白い兎。


 如何にも探偵と言った風体の兎を持ったまま、良平へ振り返る。


「では助手さん。お茶の用意を致しましょう。私の分とお客様の分です」

「お客って。今日どころか明日も来るか分からないですよ?」


 疑問を口にしながらも良平はキッチンへ向かう彼女の後を追う。

 まるで誰かが来ることを事前に分かっているのか、迷いのない佇まいで雨音は良平へ指示を送る。


「そうですわね。今日はアッサムで行きましょう。お茶請けにはそこの棚にあるクッキーで、ああそれとチョコレートもご用意を。お相手は女性ですので」

「それは雨音さんが好きだからでは?」


 唐突な疑問を解消しきれない良平は、たどたどしく紅茶の準備を進めていく。

 その横で淹れ方や抽出時間、お菓子の並べ方等を一通り言い終えた雨音は、足取り軽く元の席へと戻っていく。


「お兄様も、お客様がいらっしゃるのでそこを早く片付けてくださいませ」

「……はぁ。準備まで初めて、これで来なかったら助手君の徒労をどうするつもりだ」

「大丈夫ですわ。もうすぐ――そう、もうすぐいらっしゃいますから」


 ぬいぐるみで口元を隠して細く笑む雨音は、見せびらかす様に右手を開いては晴香に見せる。

 それは時間を進めるカウントダウン。

 五つ数え終わると同時に来客が来ることを示す、雨音あまおとの予告。


「――1」


 開いた手の平を一度閉じては、人差し指だけを上げる。

 室内に飾られた時計の針が、カチリと一コマ進む。


「2」


 今度は中指。

 持ち上げた袋を自身のデスクへ置く晴香が、半信半疑で珈琲を口に付けながら正面の扉へ視線を向ける。


「3」


 その次は薬指。

 何事かと良平がキッチンから顔を出す。

 その手には丁寧に皿へ並べられた菓子類があり、白い器を彩っている。


「4」


 そして小指。

 雨音が視線を移すと扉に線の細い影が浮かぶ。

 軽い足音は直前で止まり、上げたと思われる片手は扉の前で止まる。

 一呼吸置いたその手は、ゆっくりと扉を押していく。


「5。――双葉探偵事務所へようこそ。ナツキ様」

「は、はい! ……えっあれ? これどういうことですか?」

「気にしないでください。ちょっとしたお遊びです。さぁこちらへどうぞ」


 扉を開いて現れたのは、ショートカットの女性。

 本人の態度は控え目で、可愛らしいや愛らしい等の印象よりは大人しいが正しく嵌っている。

 服装に関しても若者らしい明るい色合いと軽快なコーディネートだが、態度一つで目立つ要素を押さえている。


 彼女を自身が座っていた場所の隣へ誘導する雨音は、遊びに関して話を続ける。


「ナツキ様が何時頃いらっしゃるかを、皆さんで話していたのです。方法は簡単」


 隣で首を傾げているナツキと呼ばれた女性に、自慢げに雨音は笑っている。

 半目で眺めている晴香と苦笑いしている良平には構わず、言葉は紡がれていく。


「まずSNS上でのナツキ様の日頃の言動を収集。よくお住まい周りの画像らしきものを上げていらしたので、その辺りは簡単でしたわ。そこから周辺の駅やバスを調べ、ここへ来るまでの経路を時間を含めて予測。そして予想した性格等から想定して歩幅などを仮定。最後は単純に方程式に沿って到着時間を出すだけ。――どうです、簡単でしょう?」

「そんな訳あるか。そういう無駄な事に労力を使うのは雨音、お前だけだ」

「ネットで知り合った人が依頼しに来るのなら、初めからそう言ってくださいよ。雨音さん」

「ごめんなさい。でも楽しいでしょう、こういうの」


 二人の文句を聞き流す雨音の隣で、ナツキは呆然としていた。

 良平が用意したお菓子が前へ置かれても、一泊置いてお礼を言うなど緊張している時に起きる反応が目立つ。


「ナツキ様。あまり緊張せずとも大丈夫ですよ。お兄様は決して悪い人ではありませんし、助手さんは優しい方ですから」

「俺に対して棘が無いか、雨音」

「いえまさか。自分の素行が悪いと自覚がおありだから、そう聞こえるのでは?」


 デスクに座ったまた目線をナツキへ合わせない晴香に、雨音は意地悪く冷ややかな目線を送る。

 誤魔化す様に食事を続ける彼に、意を決したのかナツキは声をゆっくりと出していく。


「あの、ここが探偵事務所だと言うのはネットで知りました。たまたま彼女の"お遊び"を見かけて。それで、その……」

「依頼だろう? ここに来るのはそういう人間か、勧誘の類ぐらいだ。口籠らずにはっきり言ってくれ」

「は、はい。ごめんさない」

「晴香さん、もう少し優しい言い方できませんか? 気の弱い女性相手にいつものノリは不味いですよ」

「そうは言ってもだな」


 耳打ちをする良平へ、晴香は苦い顔をして言い返す言葉を考えるが、最後まで口にすることは無かった。

 そのまま紅茶を取りに行った良平が戻ってくる時に、ようやく続きを口にするナツキの声によって沈黙が破られる。


「あの、お願いします! 連絡が取れない兄を探してください!」


 張り上げられた細い声。

 告げられたのはナツキの兄の捜索。

 これが、双葉探偵事務所へ持ち込まれた今日の依頼。

 晴香あには鋭く目を細め、雨音いもうとは細く口元を緩める。

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