3話 思わせぶりな巨乳ちゃん出てくるよ

「いやー。しかし、さっきは危なかったなー」

 

帰り道。いつもの商店街のコンビニ前で、二宮がペットボトルの蓋をパキリと捻った。

「ほんとになー」

 僕も頷きながら買ったばかりの挽きたてアイスコーヒーの氷をストローでガラガラとかき混ぜる。その様子を通りの向かいから眺めていたサラリーマン風のお兄さんが、自販機に投入しかけた硬貨を引き上げてコンビニへ入店していった。ふむ。これは売り上げに貢献したことになるのかな。


校門を出てから十分以上歩くので決して近いとは言えないけれど、徒歩圏内にコンビニは一軒しかないので、ここが潰れられては伊吹生の生活が成り立たない。幸い、部活強制と違って買い食い禁止の不文律はほとんど拘束力を発揮していないため、商店街中央のコンビニ、ハンバーガー屋、コロッケを売っている肉屋とステーキ丼専門店のホットスクェアは今日も学校帰りの伊吹生で賑わっていた。

「でも、意外だよなあ。あんな可愛い子が何であの演劇部なんかに入るかね。いくら誘われてもあの部だけは絶対無理だよな」

 二宮がペットボトルをゴミ箱に放り込んで言う。

「そうだな、無理だな」

 つーか、飲むの早いな、お前。

「あと、あれもビックリだったよな。えーっと、誰だっけ? ほれ、一刀両断の」

「内田な」


 ―――――死んでも嫌。


 あれは確かに一刀両断だった。でも、桃紙さんには可哀想だけど、こればっかりは内田の気持ちもわからないでもない。そう、うちの一年生なら誰もが知っていることだ。演劇部だけには絶対に入っちゃいけない。絶対にだ。

「んでさ、結局部活はどうすんだ、蓮冬。来んの、将棋部?」

 二宮が二本目のコーラの蓋をひねる。

「そーだなー。どーしよっかなー」

 僕も首をひねりながら眉をひそめると、

「サッカー部は入らないのか?」

 緑茶を飲んでいた荻丸おぎまるがボソッとそう言った。

「あ、う、うん。サッカー部なあ……」

 言葉の続きをぼやかすようにストローを吸う。空っぽの容器がじゅるじゅると音をたてた。荻丸は普段とことん無口なくせに、たまに喋ったと思ったらドキリさせられるから油断がならない。さて、何と言ってごまかしたものか………なんて考える必要もなく、


「うおーい! 見ろ見ろ、蓮冬れんと、荻丸! あれ見ろ、早く!」

 二宮の大声が無遠慮に会話の流れを断ち切った。

「お、なんだなんだ。どうした、二宮」

 しめたとばかりに二宮の無自覚な助け舟に乗っかる。空気を読まず突然話題を変える二宮の性格に今日ばかりは助けられた。

「ほら、あのコロッケ屋のとこ。すげー、可愛い子がいるぞ!」

 と、思ったら全然助かってなかったし! 素早く荻丸の背中に身を隠す。

「やっべ、かっわいい! あれウチの生徒だよな? マジ可愛いじゃん、胸もデケーし、サイコーだろ。なあ…………っておい、何お前らイチャついてんだよ。見ろって、めっちゃ可愛い巨乳ちゃんだぞ! ほら、巨乳だって、巨乳! 見ろって、ほら」

「見てる見てる。見てるから、大声出すな」

 あと、街中で巨乳巨乳連呼するな。


「緑のジャージって二年生だよな、あんな可愛い先輩いんのかー。すげえたくさんコロッケ買ってるし。食いしん坊女子って萌えるわー」

 はす向かいの肉屋を、涎を垂らさんばかりにして眺める二宮。僕は鞄で顔を隠しつつ、荻丸の肩口から通りの向こうを覗き込んだ。


 ………なるほど、ありゃ二宮のテンションも上がるわ。満面の笑みを浮かべて大量のコロッケを買い込むジャージ姿の女子生徒。なんだ、あのホクホク顔は。コロッケだけにか、やかましいわ。

「ああー、マジ可愛いなあ。どうせ部活に入るならあんな先輩がいる部活がいいよなあ~~~。コロ助先輩何部なんだろ」

 おい、名称それでいいのか。散々可愛い可愛い言っといて、名称コロ助先輩で大丈夫か? てゆーか………

「お前、さっき絶対入るの無理って言ってただろ………」

「ん? 何か言ったか、蓮冬?」

「バカ、名前呼ぶなって!」

 間一髪、女子生徒が振り向く前に荻丸の背中に逃げ込んだ。

「………何やってんだ、蓮冬?」

 隠れてんだよ、見りゃわかんだろ。二宮の空気を読まない性格が今日も今日とてアダになる。まったくもう、教室だけじゃなくて下校中まで逃げ回ることになるなんて。


どうして、僕の高校生活はこんなにも窮屈なんだろう。



「ただい――ぶっ」

 リビングの扉を開けると、ただいまを言い切る前に額を何かに強襲された。自由落下の間を空けてガラガラと床に転がる棒状のもの。

「あ、お帰り。兄貴」

「………なあ、美愛みあ。学校帰りのお兄ちゃんの顔面に棒状のものをすっ飛ばした場合、まず言うセリフはお帰りじゃないと思うんだ」

「えー、しょうがないじゃん。あたしバトン隊入ったんだからー」

 えー、何がどうしょうがないんだよー。

 我が家の双子の妹の生意気な方、瀬野美愛乃せのみあのは頬を膨らませながら床のバトンを拾い上げると、

「そんなことより、どう兄貴? あたしのユニ姿」

 黄色と青と丸出しのおへそが目に眩しいバトンユニフォームを見せびらかすように、シャープなターンを決めてみせた。体に遅れて回ってきたポニーテールがしゅるりと細い首に巻きつき、

「可愛いっしょ?」

 とどめとばかりにニカッと音が聞こえてきそうなスマイルをぶちかます。


「はぁ~~~、中身もこんくらい可愛かったらいいのになぁ~~~~」

「素直に可愛いって言えし!」

 素直に可愛いって言ったはずなのに、またバトンが飛んできた。

「ちょっと美愛ちゃんなに暴れてるの、お部屋の中で。あ、お兄ちゃんお帰りー。ご飯もうすぐだからちょっと待ってね」

 僕と美愛のやり取りと聞きつけて、エプロン姿の天使がお玉を持ってキッチンから走り出てきた。

「おう、ただいま、栗。急がなくていいからな。怪我しないようにゆっくりやれよ」

「はーい」

 はーいだってさ。美愛と違って癒されるなあ、栗は。怪我するなとか偉そうに言ってみたけれど、実際栗が料理でヘマする姿なんて全く想像できやしない。可愛いだけじゃなく料理もうまいなんてどこまで天使なんだ、この天使は。


 非常に珍しい話だが、うちの両親は仕事で揃って海外に赴任しており、当分帰ってくる予定はない。なので、留守中の家事は一切合財長男である僕に一任されている。一任されているのに何で小学生の栗が台所に立っているのかというと、それは非常に複雑な問題でなかなか一口には言えないのだけれど、無理を承知で言ってみるなら、栗の方が有能だからだ。

 

……いや、違うんですよ。僕も頑張ったんですよ、ホント。両親がウルグアイに発つ前にね、ちゃんと母親から料理を習ってね、初日の晩御飯なんてシーフドドリアなんてオサレなものに挑戦したんだから。でも、なんだろうな。今思うと完成度を重視するあまり、ちょっとだけスピードが足りなかったのかもしれないな。エビの殻をむき終わるより早く、痺れを切らした妹達に力づくでキッチンから追い出されてしまっていた。曰く、晩御飯は晩のうちに完成するから晩御飯なんだそうです。


「あれ、美愛ちゃんそれってもしかしてバトン隊のユニフォーム? 可愛いね」

「でっしょー。えへへー、さすが栗はアホと違ってよくわかってるわー」

 ついさっきまで眦釣り上げていた美愛が、栗の一言で相好を崩した。さすが我が家の回復ポイント、癒すこと癒すこと。なるほど、僕もさっきああ言えばよかったのか。てゆーか、言ったはずなんだけどな。

「ギリギリまでバレー部と迷ったけどさ、バトン隊にしてよかったわー。やっぱユニの可愛さが違うもんね」

 プリーツスカートをヒラヒラさせてインナーパンツをチラチラさせる美愛。


「えー、美愛ちゃん、服で部活決めたの? なんか不純ー」

 僕の母校であり現在美愛と栗の通う南伊吹小学校は、五年生から週一で部活の参加が強制される。運動神経抜群の美愛はもったいないことにルックス重視でバトン部を選んでしまったようだ。

「いいじゃん別に、可愛さで選んだって。つーか、栗だって不純だし」

「家庭科部のどこが不純なのよー」

「なんだよ、栗。家で毎日ご飯作ってるのにまだ家庭科部なんか入ったのか」

「そーだよ。どーせ、素人に混ざってチヤホヤされたいのよ。きゃー、栗須くりすちゃんアイアンシェフーとか言われたいんでしょ」 

「言われたくないもん、そんなこと! チヤホヤされたいのは美愛ちゃんでしょ」

「だから、栗も一緒だって言ってんの!」

 おっと、さっき笑ったと思ったらもう喧嘩だ。いつもなら割って入るところだけど、会話が妙な流れになってきたことだし、今日はこの機に乗じて自室に退散させてもらおうか。


「あ、部活といえば羽織はおり姉に聞かれたんだけど兄貴サッカー部入んないんだよね?」

「え、そうなの、お兄ちゃん……って、あれ? お兄ちゃんは?」

 おお、あぶねー。やっぱり逃げて正解だった。

 部活と羽織。今の僕を悩ませる二つの問題が同時に話題に上ってきやがった。

「お兄ちゃんどこー? おにーちゃーん」

最愛の妹の呼び声を断腸の思いで聞き流し、僕は足音を忍ばせて二階への階段を駆け上った。


自室の扉を開いて夕焼け色のベッドに寝転がる。

舞い上がった埃がオレンジ色の光線の中でヒラヒラと揺れた。何となく寝返りを打つと、開け放した窓からお隣さんの家の葉桜と明りの灯っていない二階の窓が見えた。

―――栗のやつ。

慌てて飛び起き、窓ガラスを締めてカーテンを引く。

やれやれ。いつの間に僕の高校生活はここまで窮屈になったんだ。

振り向くと、壁のカレンダーに目が留まる。アルゼンチンサッカーのレジェンドが、ボールを足元に収めて僕を睨んでいた。

……なんだよ、メッシまでそんな目で僕を見るのかよ。


四月二十六日。

僕の十五歳はちょうどあと三カ月で終わろうとしていた。

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