2話 演劇部の桃紙さん、ぶつかりまくる

「おーい。終わったかあ、蓮冬れんと。あんま小宮ちゃん困らせてんじゃねーぞ」

 

 小宮先生と入れ違いに、いつもうるさい二宮にのみやといつも無口な荻丸おぎまる連れだって教室に入ってきた。

「別に、僕が困らせたんじゃないし。勝手によその教室入ってくんなよ」

 かれこれ三年の付き合いになるおな中のツレに向かって悪態をつきつつ、僕は机の中の教科書を鞄に移しにかかる。


「お前以外に誰がいんだよ。部活くらいさっさと決めろや。遅いんだよ。決断も帰る準備もー!」

 右隣の机に腰をかけた二宮が、足でガタガタと机を揺らしてくる。

「あー、邪魔すんな。つーか、そう言うお前は部活決めたんかよ」

「おう。将棋部」

「はあ? 将棋? 二宮が? 何で?」

「朝練ないし、練習楽だし」

 きらっきらの笑顔にピースサインまで添えてみせる二宮。

「はー、相変わらず舐めてんなー、お前。荻丸は? 高校でも野球部?」

「ん」

 僕の問いに細目の坊主頭が控え目に頷いた。


「俺らのクラスで部活決めてねーやつなんか一人もいねーわ。早く決めねーと、蓮冬が学年最後になっちまうぞ」

 マジですか。どーしよう、ホント………。

「迷ってるんならさ、蓮冬もどーよ。将棋部? どーせ、どっかの部には入んなきゃいけねーんだしよ。楽なとこに入って余った時間で遊べばいいじゃん」

「うーん……」


 二宮の言葉に唸り声を返しつつ鞄のチャックを閉めた。

確かに、それも一つの正解なのかもしれない。いまどき部活強制なんて方がどうかしてるんだし、楽であるという理由で部を選んでも罰は当たらないはずだ。二人とは別のクラスになっちゃったし、二宮がいるのなら特に興味のない将棋部でも……。

「よーし、決まりだな。俺と一緒に将棋部で青春を王手しようぜ!」

 よくわからない決めセリフと共に二宮が僕の肩を叩いたのとほぼ同時だった。


「ちょ、ちょっと、待ってぇ!」


教室の扉が、外れて吹っ飛んでいく勢いで開かれたのは。 

「るぶふぅっ!」

 思わず声がひっくり返った。

戸口にクラスメートの女の子が立っていたからだ。

桃紙萌々絵ももがみももえ。隣の席の女の子。どっかの誰かと違って明るく朗らかでツインテールがよく似合う、いかにも女子高生らしい女の子……。

「あ、あの、ちょっといいかな、瀬野せの君」

 ………なんて、表層的な情報だけでは、僕の声帯は『るぶふぅっ』なんて原材料不明の擬音は産み出さない。ええ、そうなんです。この女の子、見た目に反してなかなかの要注意人物だったりするんです。

 このタイミングで教室に入ってきたということはおそらく桃紙さんは、先生のお説教が終わるのを廊下で待っていたのだろう。つまり、彼女の目的も『それ関連』だとみて間違いない。


「ん、なになに? 俺ら? 俺らに何か用?」

「バカ、二宮。用じゃないよ。降りろって。そこ桃紙さんの席だから。ごめんね、桃紙さん、もう帰るから。それじゃあ」

 だとすれば、彼女の前に長居は無用だ。突然現れた美少女に興味津々の二宮を急き立てて、逃げるように後ろ側の出口へ向かう。

「あ、待って、瀬野くん! 違うの、そゆことじゃなくて!」

 が、桃紙さんの反応は素早い。僕らの動きを察し先回りするようにダッシュをかけて、


―――がんっ!


「ぎゃんっ」

 机の角に思い切り下腹部を打ち付けた。


「ぐふぅぅ~~~~~~~~~~」


 そして、悶絶しながら崩れ落ちる。

 だ、大丈夫か、桃紙さん。今、モロに入ったように見えたけど。右足と左足の間というか、股の直上というか、腰の直下というか、お尻の裏側というか……………つまりまあ、モロ。色んな意味でかなり痛そうな場所だけど……。

「あの、大丈夫、桃紙さん? 誰か呼ぼうか?」

 さすがに捨てていくのも気が引けて恐る恐る声をかけると、

「だ、大丈夫………大丈夫だから。それより………ねぇ、お願い……」

 桃紙さんは腰を折って下腹部を押さえつつ必死に涙目を僕らに向けて、


「お願い……あ、あたしに入ってぇ………」

 

 なんだか危険なことを言い出した。

 え――っと、うん。わかるよ、桃紙さん。痛みのあまり言い間違えたんだろうなってことは大体わかるんだ。でもなんだろうな、下腹部を押さえながら吐息交じりにその種の言い間違いをされるとさ、何というかその……変な空気がね、桃紙さん……。


「あれあたし変なこと言った? やだ、違うよ。入るっていうのは、別にやらしい意味じゃなくて。あたしと一緒に入って欲しいってことで、あたしに何か入れて欲しいってわけじゃ……」

 いや、わかってる! わかってるから自重して、桃紙さん! 女子高生が耳まで赤くしながら入れる入れないとか言い出したら、だいぶと変な感じになるじゃない!


「よーし、わかった! 俺が入ってやるから、そこを動くなあああ―――!」

 ほら、二宮が変な感じになったじゃなーい!

「バカ、落ち着け二宮! あんなの言い間違えに決まってんだろ」

「離せ、蓮冬! 言い間違えだろうが言ったことには変わりないんだから、俺の何かが出入りしてもぎりぎりセーフの範囲だろ」

「豪快にアウトだわ! 逃げて、桃紙さん逃げてー」

「あわわわ。ち、違うの。今のは違うのー!」

 しかし、絶賛悶絶中の桃紙さんは動けない。唯一自由になる首を必死に振って、

  

「あたしが入って欲しいのは、演劇研究会のことなのー!」

 

―――びたっ。

「……演劇研究会?」

間一髪桃紙さんの口から飛び出したその一言が、二宮の猛牛のごとき推進力を一瞬にして霧散させた。

「うん、そうなの。あたしね、演劇研究会に入っててぇ。それで瀬野くんまだ部活決まってないって聞いたからさ。一緒に入ってくれないかなって………」

「………………」

 無言で僕を見つめる二宮。どうやら、この男にもことの重大さが理解できたようだ。

「えへへー。ど、どうかな、瀬野君?」

「あははー。ど、どうだろうねー」

 ガチガチの作り笑いでジリジリと距離を詰めてくる桃紙さん。僕はその分だけ苦笑いで後ずさる。

「わ、わりぃな。桃紙……だっけ? 蓮冬はもう部活決まってるんだよ」

 事情を察した二宮も後退しつつ助け舟を送ってきた。

「うそだよ。決まってないから残されてたんじゃん」

「うん、そして決まったから解放されたんだよ。なあ、蓮冬。何の部活だっけ?」

「泥相撲研究会だったかな」

「あるわけないじゃん、そんな部活!」

「いや、あるんだって。今年からできたんだよ。な、二宮?」

「相撲部すらないのに? 本家追い越してそんな邪道部生まれるわけないでしょ。やっぱりまだ部活決めてないんだよね? だったら見学だけでも来てくれない? うちの部活、新入生があたし一人しか来てなくて困ってるの」

「………そりゃあ、そうだろうよ」


 二宮が僕だけに聞こえる音量で言う。

「だから、お願い。この通りです、瀬野君!」

 この子の盲目的な情熱はどこから湧いてくるのだろう。ツインテールの毛先がタイルに触れそうなくらい深々と頭を下げる桃紙さん。

「今だ! 走れ、二宮、荻丸!」

 その隙を逃さず、僕らは全力で離脱を図る。

「ええ、ひどいー! ちょっと待って―――ぐふぅ!」

 そして、追いかけようとした桃紙さんが再び机の角に下腹部を打ち付けた。なんだろう、この子は。腰から下が見えていないんだろうか。

「あぅぅ~~、待って。お願い、瀬野くん~~」

 痛みに悶えながらそれでも何とか追い縋ろうとする桃紙さん。そのあまりに痛々しい姿に思わず逃げ足も鈍り、

「はい」

そして、差し伸べられる一本の手。


僕じゃない。すでに戸口まで避難していた僕の手はそんなところまで伸びていかない。荻丸も二宮も同じだ。じゃあ、誰だ? 痛みに蹲る桃紙さんに慈愛に満ちた手を差し出したのは、

「え……内田さん?」

 桃紙さんが驚きの声を上げた。

 うそ、内田? いたの? とっくに帰ったものと思っていたけど。いや、そんなことより、あの冷血女がクラスメートに手を差し伸べるだと?

「あ、ありがとう、内田さん。やだ、嬉しー」

 桃紙さんにとっても予想外の出来事だったのだろう。嬉しさ半分、驚き半分といった様子でその手に縋ろうと腕を伸ばし、

「違う」

 最小限の動きと言葉で払いのけられた。

「え………あれ、内田さん?」

「拾って」

 そして、冷たく言い放つ内田。

「はい?」

「スマホ。あなたが机にぶつかってきたから落ちたの」

「……スマホ?」

 ですよねー。内田さんちのヒャド子さんにそんな優しさ内蔵されてるわけがないですよねー。


「ご、ごめんなさい。どうぞ……」

 あわあわと某社製のスマートフォンを拾い上げる桃紙さん。内田はそれを礼も言わずに受け取ると、さっと傷の有無を確認してから無言の圧力で道をあけさせスタスタと出口へ向かって歩き出した。

なんだよ、内田。一瞬同性には優しいパターンかと思ってほっこりしかけたのに……

「あ、待って。内田さんも部活決まってないなら演劇研究会に―――」


「死んでも嫌」


……全然そんなことなかったよ。

 桃紙さんの懇願を抜き打ちで切り捨てる冷血クオリティ。可哀想に、固まっちゃってるよ、桃紙さん。今日は踏んだり蹴ったりだな、この子。よし、クラスメートとしてここはひとつ……………そっとしておいてやることにしよう。

「ちょっと、何サラッと帰ろうとしてんの、瀬野君!」

「くそう、気付かれたか。この盲目下半身め」

 心の中で毒づく僕。

「出てる出てる! 全然心中に収まってないよ。なに盲目下半身って! ひどいよー、お詫びとして演劇研究会入ってよー」

「ちょ、走っちゃだめだって、桃紙さん! また下腹部打つから! 演劇部の件は前向きに考えておくからさ」

「ほんとに⁉ 考えてくれるの?」

 スポットライトでも差したように、パッと桃紙さんの笑顔が綻ぶ。そうやって走る危険人物の足を止めつつ、

「うん、考える。考えておくよ………来世まで。それじゃあ」

「あ、ちょっと、瀬野君!」


僕らは一目散に教室から退散するのだった。

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