誘惑したりときめくばかりの日曜日

やらぎはら響

第1話

「かのこの唇はさくらんぼみたいだね」


ゆっくりと動いた唇から一転、一気に視界に飛び込んできたのは自分のマンションの天井だった。

はぁーとため息をつきながら億劫な気持ちで起き上がると、キャミソールの紐が肩から落ちた。

直す気にもならなくて、寝癖だらけのボブヘアーに手を突っ込んでかき回す。

うす暗い室内。

でも遮光カーテンの隙間からは、明るい光が漏れている。

それをぼんやり眺めながらホットパンツから伸びている足をひと撫でしてベッド横へと視線を落とした


ちらりと見た先には、こちらに背を向けてブランケットをかぶっている茶髪。

セミロングくらいだったかな、なんてどうでもいいことを考えながら室内を見回してみる。

たしか昨日は大学の飲み会で、二次会には参加せずそこで寝こけている豊原愛理と家で飲もうとなったのだ。

愛理なんて可憐な名前なのに、髪は茶髪というより金に近い。

耳のピアスはたしか八個。

まだまだ増殖中。

ここまでくると名前詐欺だと言われないのかな。

そんなくだらないことが右から左へ脳の中を流れていく。

どうして仲良くなったのかはわからないけれど、いつのまにかつるんでいた。

これで意外と趣味や話は合うんだ。

私はいたって普通の大学生だけどね。

布団の上であぐらをかいて、ぼんやりとスリーピング・ビューティーと化している友人の後ろ頭を見る。

行儀が悪いけど、まぁ誰も見てないからいいよね。

女子ってこんなもんさ。

そんな女子の作法についてはどうでもいい。

実はさっきから私、磯口かのこの頭の中では一つの単語がずっとグルグルまわってる。

それこそまわりすぎて気分が悪くなりそうなほど。


「かのこの唇はさくらんぼみたいだね」


夢で聞いた甘ったるいセリフ。

びっくりだけどこれが夢だけじゃない。

現実でも言われたりしたんだよ。

しかもオプションつきで。

向かい合って飲んでいたときに好きだと言われた。

そりゃあ嬉しいし、私だって好きさ。

愛理は自立してて自分の考えをしっかり持ってて、顔も美人だ。

グラマーってよりスレンダーで、中性的な部分に同性ながらドキッとすることも少なくない。

言っておくけど私は女子高出身でもなければ、彼氏がいたこともあるのよ。

でも最近は愛理といるのが居心地よくて。

居心地よくて、困る。

なんてゆうか女友達といる気安さってのより彼氏といる安心感に近くて、正直最近それが悩みの種だ。

嫌だとか気持ち悪いとかなら簡単だけど、びっくりするくらいその空気感が気持ちいい。

歴代彼氏の中でぶっちぎりで一位を攫っていかれて、私の価値観が音をたてて壊れたのを聞いてしまった。

そんな人物と二人きりでお酒を飲んでて。

なんか沈黙が嫌じゃなくて。

いい雰囲気っぽくないかこれ、って焦ったときにヤツは動いた。

マニキュアも何もつけてない少し骨っぽい手が顎にかかって。

そのままなぞるように親指でぷにっと下唇を押された。

はい、そこであのセリフですよ。


「かのこの唇はサクランボみたいだね」


赤面するなと言うほうが無理でしょう。

そもそも愛理は女が好きな人なのかバイの人なのかもわからないけど、自意識過剰でなければ私は口説かれてると思うのだ。

昨夜は何だかあたふたとぎこちない挨拶をして布団に入ったけど、今考えてみると私の格好襲ってくれと言わんばかりじゃない?

見下ろした先は肩紐の下がったキャミソールと足の付け根まで短いホットパンツ。

何だか早急に着替えたくなって、慌てて洗面所に向かい顔を洗った。

鏡に映った自分の唇は人より少しぽってりしてる。

愛理は唇が薄いからあんまり弾力なさそうだなと無意識に思って、洗面所で軽くうずくまって落ち込んだ。

何で私ばっかり一人でアホみたいに動揺しなきゃならないんだ。

決めた。

朝食は愛理の苦手な甘いものにしよう。

決心をつけたところで目に入ったのは洗面台に忘れていたグロス。

側面にはチェリージャムという商品名。

出来すぎじゃないかと思わず笑ってしまった。

とりあえずサクランボみたいと言った唇に、この赤いグロスをこれみよがしに塗ってやろう。


でも、別に意味はなにもないんだからね。



※ ※ ※



「かのこの唇はサクランボみたいだね」


昨夜自分の言った言葉が頭に回ったのは、目の前でその唇がパンケーキを豪快に頬張ったからだ。

砂糖もミルクも入れてないコーヒーを一口。

音を立ててすすると、目の前の溝口かのこが眉をしかめた。

私、豊原愛理の数少ない友人。

愛理という名前は気に入ってない。

それに比べてかのこは名前がよく似合っていると思う。

どこもぷにぷにと程よく肉のついた女らしい体つき。

白い肌に丸顔を縁取るショートボブがあどけなさを残していると思う。

料理上手でもあるし。

目の前に広がっている朝食は三昧のパンケーキ。

メレンゲを入れるのがポイントなのよと言っていたそれは、やたらふわふわで、それでいて厚い。

かのこの皿の上にあるパンケーキにはさらに生クリームやイチゴジャム、ブルーベリージャムが乗っていて、正直見ていて甘ったるすぎる。

嫌がらせのようにこちらのパンケーキの一枚にも生クリームが乗っている。

甘いものが嫌いなことは知っているくせに。

残りの二枚にはスクランブルエッグとハムが乗っているのを見る限り、怒っているというより嫌がらせの方が強そうだ。


「かのこー何で甘いのがあるわけ?」

「私が作るんだから私の好きにして何が悪いのよ」

「お客さんへのもてなし精神がかけてるよ」

「お客さんじゃないし」


ぷんと顎をそらしたあとに、またはぐりとパンケーキを口に入れる。

厚めの唇にすぐり色のジャムが付いて、ピンクの舌が舐めとるのを思わず凝視してしまった。


「えろいなー」

「何か言った?」


思わずぼそっと言った言葉は聞こえなかったらしい。

聞こえてたら真っ赤な顔で怒るんだろうな。

昨夜だってそうだった。

まるで恋人同士みたいな気持ちのいい沈黙と程よいアルコール。

キャミソールにホットパンツで惜しげもなく晒された白い足に胸が高鳴っていたのは内緒だ。

私はかのこを好きだけどかのこは違う。

かのこの好きは友達の好き。

私の好きは愛してるの好き。

知られちゃいけないし、知らせる気もない気持ち。

今の関係が最高に気持ちいいから。

でもやっぱり目のやり場に困って、酔ってるふりで好きだとか本音を混ぜて絡んだりした。

触ってみたかった、ぽってりした唇を指で撫でて。

少し押せば跳ね返る弾力に思わずキスしたいと思ったけれど。


「かのこの唇はサクランボみたいだね」


からかい口調でつねづね思っていたことを口にしたら、目に見えて動揺した。

動揺しつつあたふたとベッドに潜るのを見ながら、そうそう狼さんから足を隠してね、なんて内心軽口を言ってみる。

このくらいの意地悪は酔ってるってことにして目をつむってよね。

そんなことがあったから怒っているっぽいのはわかるけれど。

そこまでご機嫌斜めっぽくもなくてちょっと意外。

とりあえず、出かける予定もないくせに、私がサクランボと言った唇に赤いグロスを塗っているのは、いい意味で意識してくれているのかな。

期待しちゃってもいいんじゃない?

さぁ、誘惑に流されてみようかな。

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誘惑したりときめくばかりの日曜日 やらぎはら響 @yaragi

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