第六章 剣と盾、不壊なるもの 【第三節 魔王と美女たちの邂逅】


          ☆


 クロによって戦いの口火が切られてからすでに二時間近くが経過していた。戦況はおおむねザブーム軍が優勢のまま推移しつつある。やはり戦場でもっとも重要なのは兵の多寡なのかもしれない。

「……さすがに想定外の事態じゃな」

 門の上へと舞い降りてきたじゃじゃさまは、弓兵たちに命じて近づく敵に間断なく矢を射かけさせていたが、ここへ来て肝心の矢が尽きかけていた。もちろん戦いに備えて充分な数を用意させていたのだが、予想を大きく上回るペースで矢を消費してしまっている。ザブーム軍が放った火矢のせいで小火が起き、未使用の矢の一部が燃えてしまったのも誤算だった。

「へ、陛下、このままでは矢が足りなくなります!」

「そのくらい判っておるわ」

 ぶすくれた表情で溜息をついたじゃじゃさまは、しかし、実際には矢が底を尽くことを心配しているわけではなかった。何なら、弓兵たちに矢の一本すら撃たせなくともよかったのである。

「はー……結局はわらわが汗をかかねばならぬのか……我が勇者にすべて任せておけば左団扇でいられると思うたが……」

 弱々しくかぶりを振ったじゃじゃさまは、そのままのろのろと夜空に舞い上がった。

「ああ……本当に面倒じゃ。派手に力を使うと若さが抜けていくような気がするし、できれば力は使いたくないのじゃが、やはり真に万能なのはわらわひとり……横着もほどほどにせねばならぬか」

 すぐそばをかすめて飛んでいく火矢にまばたきすらせず、戦場を一望できる高さまで移動したじゃじゃさまは、軽く自分の頬をはたいて大きく息を吸い込んだ。

「我が勇者よ!」

 戦場にいるすべての兵士たちに聞こえるほどの声で、じゃじゃさまは叫んだ。

「――一〇分じゃ!」

 じゃじゃさまのもさもさっとした髪が、風もないのにざわざわとうごめき始めた。

「今より一〇分だけ猶予をやろう!」

 じゃじゃさまの銀の瞳が妖しい輝きを増すと、城壁のすぐ前に虹色にきらめくオーロラめいた光の壁が出現した。

「なっ……何だ、これは!?」

 すぐ目の前にそそり立った光の壁に、弓兵たちが目を見開く。

「喜べ、我が勇者よ! 今から一〇分だけ、わらわが時間を稼いでやろう。その間に見事ザブームを倒して見せよ!」

 じゃじゃさまがゆっくりと両手を前に押し出していくと、それに合わせて、光の壁もまた前方に移動していく。

「うおあ!?」

「ぎゃあっ!」

 ザブーム軍が調子に乗って放っていた火矢が、光の壁に当たって跳ね返り、彼ら自身の頭上に降りそそいだ。それだけでなく、じりじりと迫る光の壁によって、ザブーム軍全体がグレンドルシャムから引き離されていく。

「……戦場全体に作用する大規模な魔法ですね。あなたの“魔王力”の一端を見た気がいたします」

 いつの間にか、またララベルがじゃじゃさまの背後に浮かんでいた。

「さすがはジャマリエールどの……といいたいところですが、さすがにこのような魔法はあなたにとっても負担が大きいのでは?」

「決してそのようなことはないぞ? 別にわらわの魔王力を使っておるわけではないからのう」

「あなたの魔王力を使っていない……?」

「先日、我が城に踏み込んできた身のほど知らずの三流魔王を一匹仕留めてな。その時ここに封じ込めたそやつの魔王力をな、利用させてもらっておるとゆうわけじゃ」

 懐から引っ張り出した“宝珠”を怪訝そうなララベルにしめし、じゃじゃさまは悪戯っぽくにひひと笑った。

「では、制限時間を一〇分と区切ったのは――」

「三流魔王から奪った魔王力ではその程度が限界じゃ。無論、わらわが自前の魔王力を使えば、あの壁で戦場全体を囲い込むことも可能じゃし、その中に閉じ込めた者たちを一瞬で焼き尽くすこともできるがな。――じゃが、そのようなことをすれば、わらわは大量の魔王力を消費してとんでもなく疲れるし、何より評判がガタ落ちじゃ」

 一転、不機嫌さを隠そうともせず、じゃじゃさまは舌打ちした。

「……わらわはこれまで、ほかの荒っぽい魔王どもとの差別化によって民衆の支持を得てきたのじゃ。民を理不尽にしいたげたりせぬ、平和的でハナシの判る可愛い魔王としてな。――それが乱世になったからとゆって、いきなり我が軍の兵士もろとも敵兵を大虐殺するような真似などしたら、民衆から一気にそっぽを向かれるじゃろうが? もしここに完全に敵軍しかおらなんだら、疲れるのを承知で全員殺しておるわ」

「民衆に対するクリーンなイメージを維持するために、あえて力を抑えて不自由な戦いをしている……と?」

「勘違いしてほしくはないな、神使どの」

 じゃじゃさまはじろりとララベルを見やった。

「……わらわは魔王じゃ。よその魔王のように積極的に戦や血を求めたりはせぬのは事実じゃし、その意味では民衆にやさしい魔王ともゆえる。が、世界を手中に収めるのに必要ならば、民衆が犠牲になるのも気にはせぬ。ただ単に、今はまだ民衆の支持があったほうがよいと判断しておるだけのことじゃ」

「存外に冷徹でいらっしゃる」

「国の根幹は民衆じゃ。大多数の民衆が安らかに暮らしていける国を作るためには、君主にそうした冷酷さは必要じゃろう。少なくともわらわはそう思っておる」

 さらに一〇メートルほど壁を押し出し、じゃじゃさまはふたたび叫んだ。

「――一〇分じゃ、勇者ハル! わらわの期待を裏切ったら承知せぬぞ!」


          ☆


 はるか前方に突如として出現した光の壁を見て、ザブームは慌ててケルベロスの戦車を停止させた。

「どんなに腕のいいエルフの魔術師でも、あのようなものは作り出せないはず……ということは、あれは魔王力によるものか――ジャマリエールは都にいるという話ではなかったのかね?」

 王都ランマドーラから来たドン・デルビルの配下の者によれば、ジャマリエールはデルビルとの謁見やあらたな契約のために、少なくともあしたの昼までは王宮を離れられないはずだった。

 それが、いきなり戦場に現れて光の壁を生み出し、グレンドルシャムに取りつく寸前だったザブーム軍を押し返し始めている。ザブームは眉をひそめ、髭を撫でつけながら素早く計算をめぐらせた。

「この戦場にジャマリエールがいたとは予想外だな……あの小娘とくだんの勇者を同時に相手取るのは非常にリスクが高い」

 徹底的にリスクを排除するなら、いますぐ戦闘を中止して森林地帯の奥深くにある本拠地に退却すべきだろう。しかしその場合は、後背からグリエバルト軍の追撃を受けることを覚悟しなければならない。せっかくかき集めた戦力の大半が、それによって失われる可能性もある。

「もしそうなったとして……吾輩がもう一度再起できるかどうかは不明、か」

 国という強固な地盤を持たないザブームが、まがりなりにもこれだけの陣容を揃えられたのは、これまで魔王同士の戦いが禁じられていたからである。だが、乱世に突入した今、ジャマリエールにそのつもりがあれば、みずから討伐軍を率いて森に分け入り、ザブームの本拠地を攻めることも可能だった。

「……やはりここで退却はありえないな」

 逡巡はわずか一分にも満たなかった。ザブームは斧が手にある巨大な異形の斧を見つめ、野太い笑みを浮かべた。

「もとより吾輩は、この戦にすべてを賭けている。いまさら森の奥に戻るつもりなどない……あとは進むのみだ!」

「そうそううまく行くと思うかい?」

 ザブームの視界に、何か黒いものがすさまじい速さで飛び込んできた。

「――――」

 ザブームは眉ひとつ動かすことなく、右手の斧を振るってそれを叩き落とした。

「ぎゃふっ! ……ひ、ひでえよ……お、か、しら……っ……」

 全身の骨を砕かれて地面に叩きつけられたのは、ザブーム軍に属するオークの兵士だった。

「……頭領と呼びたまえと何度もいったはずだがね」

「お頭だか頭領だか知らないが、とにかく自称勇者の出る幕なんてないね。……あんたはここでわたしに倒されるんだよ」

 ぐったりした兵士たちを両手にひとりずつ引きずって、褐色の肌の女がゆっくりと近づいてくる。が、その堂々とした歩みを止めようとする者はいない。ザブームの周囲にいた兵士たちは、爛々と輝くその女の瞳に見入られたかのように、ただその場に立ちすくんでいた。

                                ――つづく

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