第六章 剣と盾、不壊なるもの 【第二節 女呪術師】

「よいのか、ララベルどの? ただ見守るだけが使命のそなたが、そのようにぺらぺらと敵軍の内情をわらわに話してしまっても?」

「わたしたちにはある程度の裁量があたえられておりますので……」

「ふん……そのような情報などなくとも、我が軍が負けることはありえぬがな」

「その自信のほどはどこから出てくるのでしょう? そこまであの少年を信頼しているとおっしゃる?」

「確か女神が定めたもうた戦争のルールに、異世界から勇者を召喚してはならぬ――などとゆう一文はなかったはずじゃな? とまれララベルどの、わらわからもそっと離れて、そのまま見物しておるがよかろう」

 じゃじゃさまが黒いマントで視認性を低くしているというのに、白く輝く神使がそばにいたのでは、いつザブームに発見されるか判らない。せっかくおびき寄せたザブームを、ここで逃したくはなかった。

「ですが、先ほどのジャマリエールどのの口ぶりからするに、想定とは違うことが起きているのではありませんか?」

「たとえそうじゃとしても、せいぜい誤差とゆえるレベルじゃ。我が勇者であれば、かならずやあの女どもを御せるはず――」

「いえ、わたしがいいたいのは、かの勇者があの女たちを御せるかどうかではなく、ジャマリエールどのがかの勇者を御せるかどうかという話です」

「……それも心配無用じゃ」

 わずかな間を置いて、じゃじゃさまはララベルにいった。

「わらわの策に抜かりはない。――ララベルどの、我が勇者とあの女どもがザブームを討ち取った暁には、今宵の戦果、遠慮なく諸国の魔王どもに触れ回ってくれてかまわぬぞ?」

 グリエバルト魔王国には、ジャマリエール・グリエバルトのほかにも、ザブームを倒すほどの強さを持った勇者がいる――神使の口からほかの魔王たちへそんな話が伝われば、この国に対する侵攻を躊躇させる大きな抑止力となるだろう。

 ララベルは丸いレンズを拭いて眼鏡をかけ直し、小さく嘆息した。

「わたし個人は、あなたに大きな期待を寄せているのですよ、ジャマリエールどの」

「ほう?」

「血の気の多い魔王たちの中にあって、あなたは比較的おだやかな部類に入ります。もしあなたがこのまま大魔王の座に着けば、次の五〇〇年も流される血の量は少なくてすむでしょう」

「そうなるといいのじゃがな、本当に……」

 じゃじゃさまは懐から取り出した“女神の宝珠”を見つめ、静かに嘆息した。


          ☆


 敵の主力となっているのは、ザブームが揃えた彼の盗賊団――もはや軍と呼べるまでに巨大化した、ニンゲンやゴブリン、オークたちが混在する兵力だった。おそらく略奪によって手に入れたものだろうが、なかなか上等な武器や防具に身を固めている。

「……生意気だな」

 敵の最前線に突っ込んだハルドールは、先頭にいた歩兵の槍をかわしざま、その胸に掌底を打ち込んだ。

「ご、ほぉ……っ!」

 鎧もコミでハルドールの倍は重そうな大柄なオークが、その一撃で派手にすっ飛んでいく。のみならず、ハルドールが突き出した右手を起点として扇状に広がった目に見えない衝撃波が、一度に数十人の兵士たちを枯葉のように吹き飛ばしていた。

「……まあ、数も多いし、やりすぎじゃないよな」

 軽く首を回し、ハルドールは苦笑した。

 ハルドールは魔法は使えない。というより、攻撃魔法を学ぶ必要性を感じたことが一度としてなかった。それは、ハルドールが本気を出した時の攻撃力が、すでに大がかりな攻撃魔法のようなものだからである。今の“爆裂発勁”もまた、勇者力を駆使した奥義のひとつだった。

「俺に勝てないのを悟ってさっさと逃げてくれると助かるんだけどな」

 目の前の敵をしりぞけても、すぐに左右からさらに多くの敵が押し寄せてくる。ハルドールは軽く腰を落として身構えると、無言の気合とともに両の拳を左右に大きく突き出した。

「ぎゃっはぁ!?」

「ごえ……あ――」

 ハルドールの拳から放たれた力の奔流が渦を巻き、無数の敵をはじき飛ばした。

「くそっ、こいつが噂の勇者か――!」

 遠距離から飛んでくる驟雨のような矢も、ハルドールにはかすりもしなかった。カタパルトで打ち出す杭のような矢ならまだしも、ひょろっとしたふつうの細い矢では、ハルドールがまとう覇気を貫通することはできない。

「どのみち俺の戦うべき相手はきみらじゃないからね」

 ハナっから弓兵隊を無視してザブームを捜そうとしたハルドールだったが、戦場を駆けるその足が急に止まり、すぐさま真横への跳躍にすり替わった。

「――!」

 さっきまでハルドールが立っていた場所に、大ぶりな斧が何本も突き刺さっている。どれもニンゲンが振るうには大きすぎるサイズだった。

「我らが大王の障害となるか否か――ここで見極めさせていただきましょう」

 気づけばハルドールを黒衣の大男たちが半包囲していた。きちんとした鎧を着ている者はひとりもおらず、全員が黒い毛皮や動物の頭蓋骨でこしらえたような不揃いな防具を身に着けている。そういう意味では、逆にとても統一感のある一団だった。

「ニンゲン……じゃないな」

 この世界では身長二メートルを超えるニンゲンはそう多くない。一方、野趣あふれる毛皮と斧とで武装した男たちは、みんながみんな三メートル近い巨漢だった。ニンゲンによく似た別の種族だろう。

 その男たちの中にひとりだけ交じっていた女が、ハルドールを見据えて何か呟いている。ハルドールは本能的に、それがなにがしかの魔法だと察した。

「ザブームのところに魔法使いがいるとは聞いてなかったけどな――」

 ハルドールは素早く地面に突き刺さった斧を引き抜いた。

 そこに毛皮の巨漢たちがいっせいに殺到する。ケチャより重そうな大きな斧を振り回すその動きからは、洗練された技術のようなものは感じられなかったが、その代わり、問答無用の、剥き出しの、原始的な力を感じさせた。

「きみたちちょっと――どうなのかな、それ?」

 巨漢たちは目を爛々と輝かせ、口からは涎を垂らしながら、がむしゃらにハルドールに突っかかってくる。仲間が斬り倒されても、あるいは自分が深手を負っても、まったく怯む様子がない。まるで熱病にでも浮かされたように、ただひたすらにハルドールを殺そうと斧を振り回している。

 巨漢たちの斧をかいくぐりながら、ハルドールはその向こうにいる青い肌の女を一瞥した。おそらく、あの女がさっき唱えた魔法が、この巨漢たちを痛みも恐れも知らない狂戦士に変貌させたのだろう。

「……本人がそれでいいなら俺が口出しすることじゃないけどさ」

 頭上から降ってくるかのような重い刃をすべてかわしたハルドールは、手にした借り物の斧を一閃させた。

「ぉ……」

 断末魔の悲鳴もなく、血飛沫を上げて巨漢たちが倒れていく。彼らが身に着けていた鎧がすべて砕け散っているのは、ハルドールの一閃でそれだけの衝撃を受けたからだろう。と同時に、ハルドールが手にしていた斧のほうも、ばらばらに砕けてただのゴミと化していた。

「これが面倒なんだよな……」

 ハルドールが少し本気を出して勇者力を込めると、たいていの武器はその力に耐えられずに壊れてしまう。だから武器は敵から奪うか、いっそ素手で戦うほうが面倒がないのである。

 あたりに転がっていたまだ壊れていない斧を拾い、ハルドールはいった。

「でもまあ、きみの相手くらいはできるんじゃないかな、このなまくらでも?」

「……なるほど」

 引き連れてきた巨漢の戦士たちがまたたく間に全滅させられたのを目の当たりにしても、女の表情には驚きも落胆もなく、むしろそこには、何ともいえず楽しそうな、不敵な微笑みが浮かんでいた。

「我が大王が好むのは強敵との戦い……異世界の勇者ハルドールといいましたか。その名、伝えておきましょう」

「あれ? もしかしてこのまま帰るつもり? お仲間はみんなやられちゃったけど、仇討ちとかは考えないタイプかな?」

「敵の力を見極めるためには必要な犠牲だと思えば無駄ではありません。この者たちとてそれは覚悟していたはず……」

「……きみら、ザブーム軍じゃないよね?」

「仕儀あってこの戦いに加わることになりましたが、ザブームどのへの義理はもう果たしました。これ以上首を突っ込んでわたしまで命をあやうくするつもりはありません。……まして、負けると判っている他人の戦ではねえ」

「へえ?」

「あなたもそうですけど、ジャマリエール・グリエバルトの首は我が大王のもの……つまらぬところで足をすくわれないように気をつけなさい……」

 忠告めいた言葉を残し、女はそのまま闇に呑まれるように消え去った。

「――なかなか器用な女性だな。名前を聞くのを忘れたのは失敗だったか」

 ほっとひと息つき、ハルドールは両手に斧を持って振り返った。

                                ――つづく

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