第34話 断ち切れぬ想い

 あまりよく眠れないまま朝を迎え、カーテンを通して差し込む朝日がほの明るく客室を照らす。目の前にはシャーロットお嬢様があどけない穏やかな寝顔で静かに寝息を立てられている。

 懐かしさに胸が甘く締め付けられ頬に口づけると、お嬢様は小さく吐息を漏らしてゆっくりとまぶたを開き、まだ眠りのうちのかすれた声で「おはよう、ルーシー」と囁かれる。


「おはようございます。シャーロットお嬢様。まだ早いので、もう少しお眠りいただいても大丈夫ですよ」

「ありがと、う……」


 そう言い終わらないうちに、柔らかな光を通して輝くサファイアの瞳をゆっくりと閉じ、再び眠りの世界に落ちてしまわれた。


 お湯を沸かして自分の身支度を終えてお嬢様の身支度の準備が整う頃に、お嬢様はベッドから起きられて開ききらない目をこすりながら私にお声をかけられ、ふらふらと窓辺の椅子にゆっくりと座り込みぼんやりと外を眺められる。朝に弱いのは昔と変わらないけれど、その儚げな表情は幼くも大人びた色香を漂わせている。

 お庭で採れたレモングラスとミントで淹れたハーブティーをお出しすると、その爽やかな香りにふんわりと意識を取り戻される。


「私、フィル様のお屋敷に居るのですね…… なんだか今も夢を見ているみたい」

「ふふ、そうですね。身支度の準備が整っておりますので、頃合いを見てこちらにいらしてくださいね」


 そうしてお嬢様の身支度を終えた後、朝食の準備の為厨房へ行くと、スコーンを焼く香ばしいかおりが漂い、焼き上がりを待つ母はオーブンのそばの椅子に座ってうとうととしていた。


「おはようございます。お母様」

「あら、おはよう。ルーシー…… あっ、そうだ! スコーンは!?」

「この香りなら焼き上がりはまだのようですよ」

「ああ、良かった ……この焼き加減ならあと五分ってところかしら」


 椅子から飛び上がってオーブンの蓋を少し開け、隙間から中を覗き込んだ母が溜め息を漏らす。


「あまり眠れませんでしたか?」

「そうね。フィル様が遅くまでお仕事をなさっていて、それが終わって眠られたのは東の空が白みはじめた頃だったかしら。私の方はフィル様のお言葉に甘えて仮眠を取らせていただいていたのだけれど」

「フィル様は?」

「今はぐっすり眠っておられるわ。ギリギリの時間までお休みいただこうと思って」

「そうですか。あとは私が用意いたしますので、お母様も少しお休みください」

「あら、フィル様の朝の身支度のお役目までは譲りませんからね」


 そんなつもりで言った訳ではないのだけれど、母は私の気遣いにスンと鼻を鳴らして答える。

「……フィル様に起きていただく時間になる前にはお呼びいたしますので、ご心配なく早く休んでくださいませ」

「うふふ、それじゃ、あとは任せるわ。おやすみなさい。ルーシー」


 と、調子よく私の返事を待たずに厨房をあとにする母を見送った。


 昨夕のディナーと同じく四人でテーブルを囲んで朝食を共にし、私と母の二人が先に食べ終えてフィル様とシャーロットお嬢様の給仕を行う。お二人はお互いのお屋敷の庭園に咲く花とそこにやってくる鳥や小動物の話題でにこやかに談笑され、母はその様子を嬉しそうに見守っている。

 このようなことは社交界では許されないのだけれど、このエドワーズ邸では当たり前のことだ。

 それでも、あと一刻もすればヴィクター様が到着される。そうなればシャーロットお嬢様がこの家に単身で訪問されていることは隠さなければいけない。それはここにいる全員が承知している。


 お二人の話題が尽きたところで朝食の時間が終わり、お嬢様を母に任せ、お庭に出てヴィクター様をお出迎えする準備をする。

 昨日あんな形でお別れしたヴィクター様と、どんな顔をしてお迎えすればいいのだろうか?

 ヴィクター様は今どんなお気持ちでいらっしゃるのだろうか?

 いつもの通り、エドワーズ家の使用人として心を見せずに決められたことをするだけだ。そんなことは分かっていても、今はヴィクター様を前に普段通りの私でいる自信なんてない。

 ヴィクター様との関係は私の方から終わりを告げたはずだ。それなのに想いはヴィクター様の影を追って堂々巡りを続けている。

 いつまで経っても気持ちの準備が終わらないまま、遠くからヴィクター様の駆る馬車カブリオレの石畳を蹴る蹄鉄の音と車輪の軋む音が遠くから近づいてきた。


「いらっしゃいませ! ご足労ありがとうございます。ヴィクター様。ご機嫌はいかがですか?」

「上々だ。君も相変わらずのようで何よりだ。フィル」


 ヴィクター様の到着に合わせてエントランスに出てこられたフィル様が、アプローチに馬車を停めたヴィクター様をにこやかに出迎えられ、ヴィクター様もいつものようにそれに応じられる。

 そして、いつもとは違い少し遠慮がちに私の方に視線を向けられる。


「ようこそいらっしゃいました。ヴィクター・クロムウェル閣下」

「ああ、ルーシーも出迎えありがとう。昨日はすまなかったね」

「いいえ、あれはお互いに仕方のなかったことであって、謝罪されるようなことは何もございません」

「そうだな…… ところで、今日はハギスの姿が見えないようだが?」


 いつも通りにお出迎えの挨拶をする私は、上手く気持ちを隠せただろうか?

 そのやり取りに不思議そうな顔をするフィル様を横目に、ヴィクター様はさらりと話題を変えて視線をそらし、ハギスを探して庭を見渡す。きっと私の気持ちを察してくださったのだろう。


「ああ! そうなんですよ! ハギスってば凄く可愛いガールフレンドが出来ちゃって全然働いてくれないんです」

「ははは、それはめでたい。後でご挨拶しないとな」

「あはは、それはともかく、まずは僕の執務室へどうぞ。メリル領の財政支援計画も今朝がた纏まったところです」

「そうか。では、聞かせてもらおうか」

「それではこちらへどうぞ。ヴィクター様」


 フィル様の案内に従って執務室に向かわれるヴィクター様に続いて邸内に戻り、お茶を用意するために厨房に入って独りになると自然とため息が漏れてしまう。やはりまだ、ヴィクター様の前で平静を保つのは難しいようだ。

 決められた手順通りの作業で紅茶を淹れ、ガラスポットの中で踊りながら開き、お湯を琥珀色に染めていく茶葉の様子を眺めているうちに少し心が落ち着いていくのがわかった。

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