第11話 権威と力

 ホテルでの朝、身だしなみを整えて使用人の部屋から出て客室のすべてのカーテンを引いて窓を開けると、射し込む朝日が高級なアンティーク家具でコーディネートされた広い室内を明るく照らし、六月の爽やかな風が室内に吹き抜ける。窓から見下ろす大通りには早くから馬車や人々が行き交い、活気ある喧騒に溢れている。

 ヴィクター様はまだお休みのようで、起きてこられるのを待ちながら朝食をご用意するうちに寝室の扉が開かれ、挨拶を交わして朝食をともにする。


 今日はお昼にご旧友を招いて懇親会をされるということで、ヴィクター様に馬車を出していただきテムズ川沿いの広場で開かれる朝市に買い出しに行くことになった。

 数多くの露店が両側に連なる狭い通路にごった返す人混み、うなぎの煮凝りと真っ黒になるまで揚げられたギトギトのフィッシュ・アンド・チップスを売る屋台に並ぶ人々を見て眉をしかめるヴィクター様に暫くお待ち頂き、雑踏の隙間を縫ってバッグいっぱいに新鮮な肉や野菜や果物、ハムやチーズなどを調達する。

 ぱんぱんになったバッグを抱えて戻る私を見てヴィクター様は愉快気に笑い、奪うようにバッグを取り上げて馬車に載せてくださる。


 ホテルに戻り懇親会に供する軽食を料理をしている間、ヴィクター様は帰り道で購入された何部かの新聞に目を通してくつろがれている。

 静かに時間が流れ、やがてノックの音が室内に響き、通された紳士がヴィクター様と挨拶を交わして私を一瞥してにやりと笑われる。


「これはこれは、ルーシーさんじゃないですか。まさかここでお会いするとは思ってもいませんでした」


 ポマードできっちり整えられた金髪に蒼い瞳、最新のスタイルの燕尾服に身を包んだにやけ顔の伊達男。ブリジットの主人でアシュベリー伯爵であらせられるエドガー・アシュベリー卿だ。


「いらっしゃいませ、エドガー卿。ご機嫌麗しゅうございます。ヴィクター様がこちらにご滞在の間、お側に付くことになりました。本日は私がこの場の給仕を務めさせていただきます」

「ふむふむ、もしや、ここで一夜を過ごしたのかい? ふふ…… 噂は本当でしたか。これは少々危険な香りがするね。妻が聞いたら大喜びするよ」


 エドガー卿のにやにや笑いの瞳の奥にブリジットが高笑いする姿が目に浮かぶ。


「エドガー君、ルーシーには私から無理を言って仕えて貰っているのだ。困らせてしまっては申し訳ない」

「おっと、これは失礼。クロムウェル閣下とルーシーさんの立場を考えれば、これはまさに恋物語ロマンスといったところ。下衆の勘繰りをお許しください」

「はぁ、そういう意味ではなくてだな……」

「ははは…… ご心配なく。ほんの冗談ですよ。本日はお招きいただき感謝します」

「そう期待するよ。君が一番乗りだ。皆が揃うまでゆるりとくつろがれると良い」

「ではそのように…… さて、今日集まられるのはどのようなメンバーでしょう?」

「ああ、私の帝都こちらでの古い友人だよ。メンバーは――」


 アシュベリー伯はヴィクター様が口にされる参加者の名前を聞いて目を丸くされる。序列で言えば、名門貴族で伯爵位に就いておられるアシュベリー伯が下の方に来るくらいの錚々たる名士達だ。そのメンバーの中にあのリチャード・サーストン子爵までもが含まれるのが不思議なくらいに。


「おお! そのような方々の集まりに呼んでいただけるとは、大変光栄にございます」

「長らくこちらの社交界に顔を出してなかったので新たな人脈が必要かと思ってな。会わぬ間にどいつもこいつも偉そうな顔をするようになって、まったく腹立たしいことだ」

「ははは、その方々にそんなことを言えるのはクロムウェル閣下ぐらいのものです。リチャード氏が聞いたら卒倒するかもしれませんよ」

「彼とは知り合いだったか」

「ええ、こちらの社交界では有名人なんです。神経質で煩いので煙たがる者も多いですが、礼節をよくわきまえていて若者への面倒見も良い。私とは、ま、腐れ縁という奴ですか」


 二人がお話されているのを聞きながら紅茶を淹れ、頃合いを見てお二人にお出しする。ヴィクター様は何も言わずに頷き、アシュベリー伯爵は「有難う」と笑顔を見せる。


「ふぅ、ルーシーさんの淹れるお茶はやっぱり美味いな」

「ありがとうございます」

「それにしても、ルーシーさんに侍女を依頼されるとはお目が高い。一時は私の妻の侍女として働いてもらっていたのですが、妻も手放すのが惜しいと残念がっていましたよ」

「そうだろうな。私も僅かな時間ではあるが、随分助けられている」

「リチャード氏との一件も、ですね。面白いものが見られるかと期待していましたが、ルーシーさんのおかげでついに叶わず……」

「ははは、こちらに来ていきなり叱られるとは思わなかった」

「私も、まさか閣下が来られているとは思いませんでした」

「こちらには仕事でたまに出てきてはいるが、社交界に顔を出すのはなかなか気が進まなくてな」

「……お察しします」


 アシュベリー伯爵もヴィクター様の過去と今ここにいる経緯をご存じのようだ。にやにや笑いを止め、目を閉じて俯くアシュベリー伯爵に、ヴィクター様は穏やかに目を細める。


 懇親会のための軽食を用意している間に、続けざまにノックの音が響いてひとりひとりと招待客がいらっしゃり、全員揃ったところでヴィクター様が少しお話され、終わったところでテーブルに料理を運んで歓談が始まる。台頭す合衆国との関係、未開発国の統治の話、東方との貿易、清国との対立、そして、極東にある未知の国の話。

 社交界の大物ばかりが集まり、親しげに冗談を言い合うこの会でも、アシュベリー伯爵は普段通り飄々とした様子でとらえどころのない笑顔で話の輪に加わり、私を見て少し緊張がほぐれた様子のサーストン子爵も大物相手に持論を展開して一目置かれる。


 そのうちに銘々がカードゲームに興じたり、チェスに興じたり、新聞を読みながら親しい仲間との会話を楽しまれたりとする間にも料理をお出しし、空いたお皿を片付けて新しい料理やお菓子を運び、途切れることなくお茶を淹れる。


 日が傾く頃にはお出しできるものもなくなり、白熱するポーカーのテーブルに全員が集まって盛り上がっている。手元にコインが一番高く積まれているのが不敵な笑顔を崩さないアシュベリー伯爵、ほぼ同じ高さに積まれているのが眼光鋭く目の前の相手をにらみつけるヴィクター様、後の方は数枚でほぼ横並び。カードの交換を終えて、にやにや笑いながらどんどん掛け金を釣り上げて行くアシュベリー伯爵に他の参加者は次々と降りていき、最後はヴィクター様との一騎打ち。ヴィクター様がすべてのコインをかけると、全員が見守る中、二人同時に手札がオープンされる。

 アシュベリー伯爵はフルハウス、ヴィクター様は四枚のエースにスペードのキング。その瞬間にヴィクター様がにやりと笑い、アシュベリー伯爵が手札を宙に放り投げて歓声が沸き起こった。


「今日は幸運の女神がついているようだ」


 ちらりと私の方を見られる。


「どうやらそのようで。続けますか?」

「いや、今日は勝ち逃げさせてもらおう。もうこんな時間だ。ここでお開きにしようか」

「それでは次の機会に取り返させてもらいます」

「それは楽しみだ」


 そうして宴もたけなわのうちに会はお開きになり、広いスイートルームに静けさが戻る。ソファに深く座り天井を仰いで、深い溜め息を吐くヴィクター様にお茶をお淹れし、後片付けに戻る。


「無遠慮な連中で済まなかったね。みんな君の料理に満足していたよ。疲れただろう。後片付けなど放っておいて休憩すると良い」

「ですが…… いえ、そうですね。お言葉に甘えさせていただきます」


 キッチンを適度に片付け、そのままうとうとと昼寝されるヴィクター様の向かいに座り、どこか少年のような寝顔を眺めながらまどろみの中で穏やかな時間を過ごした。

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