第5話

 廊下を歩いていたダンテを、妻のモニカが血相を変えて追いかけてきた。


 団員達の朝食の準備をするため食堂に入ったモニカがみつけたのは、いくつかの皿に盛られた料理だった。

 誰かが朝食を用意したのかと思ったが、それにしては量が少ない。

 どういうことだと首を傾げていると目に入ったのは走り書きのメモ。


『皆さんで食べてください。 シリル』


 料理を見ると、確かにシリルが作ったと納得出来るメニューだった。

 でもどうしてこんなメモを残したのか。

 胸騒ぎがしたモニカはシリルの部屋に向かった。

 そこで目にしたのは、綺麗に片付けられた何もない部屋と置き手紙だった。


「どういうことだ?」

「これを見とくれよ!」


 モニカが渡したのはシリルの置き手紙。


『ダンテさん。自警団の皆さん。お世話になりました。迷惑ばかりかけてすみませんでした。ベアトリクス様にまでご迷惑をおかけしてしまい、合わせる顔がありません。ご挨拶できないまま去る不作法をお許しください。皆様のご活躍を祈っています。あ、おかずを作りすぎたので朝ご飯の足しにしてください。それでは、さようなら。お元気で。シリル』


「……本当に出て行ったのか」


 ポツリと零したダンテの言葉に、近くで見守っていた団員達が固まった。


「シリルが……どうしてだ!?」

「唯一の癒しが……」

「貸して!」


 ダンテから手紙を奪い取ったのは娘のナターシャだ。

 手紙の文字を追うナターシャの眉間には、どんどん深い皺が刻まれていく。


「お父さん、どういうこと!? 迷惑って何!? シリルに何があったの!?」

「いや、昨日少し騎士と揉めてな……。それを気にしたのかもしれない。フォローしたつもりだったが、余計に追い込んでしまったか……」

「あんたは口下手だからねえ。いつも言葉が足りないんだよ!」

「……すまん」

「騎士と揉めた? あ! ……あなた!!」


 ナターシャはダンテの後ろに現れた人物を見つけた瞬間、飛びかかって行った。


「あなた! シリルに何をしたの!」


 ナターシャが飛びかかった相手を見て、また団員達が固まった。


「おいおいお嬢さん! ちょっと待った! シリルがどうかしたか?」


 ナターシャが詰め寄ったのはベアトリクスだったが、止めたのはマルクだ。

 ベアトリクスはナターシャを見て、瞬きもせず停止している。


「ダンテさん。何があったんだ? リクス様も昨日来たっていうのに、絶対にここに立ち寄るって言い出すしさ」

「それが……」

「これを読んで! シリルが出て行ったの! 絶対あなたのせいでしょ!」


 ダンテが説明するより前に、ナターシャがシリルの置き手紙をベアトリクスの胸元に押しつけた。

 ゆっくりと動き出し、それを手に取ったベアトリクスはすぐに目を通し始めた。

 マルクは横から盗み見る。


「何々? 『迷惑ばかりかけてすみませんでした。ベアトリクス様にまでご迷惑をおかけしてしまい、合わせる顔がありません』って、え? 本当にシリルは出て行ったのか?」

「……朝からいないわ」


 ナターシャの顔がくしゃりと歪む。

 今にも泣き出しそうだ。


「迷惑を掛けた……さようなら……」

「リクス様? おーい、リクス様!」


 ベアトリクスは手紙を握りしめたまま呆然としていた。

 遠くを見ている目もどこかおかしい。

 心配になったマルクが顔を覗き込むが、視線が合う気配がない。

 ベアトリクスの様子がおかしいことを感じた周囲が、その様子を黙って見守る。


「…………」


 しばらく沈黙が流れたが――。

 それを破ったのはベアトリクスの呟きだった。


「私のせいか? もうシリルには会えないのか?」

「リクス様、どうし……え? ええええええええ!?」






 シリルと初めて出会った時の事を、私は良く覚えている。

 雲が多く、月が隠れている暗い夜だった。


 いつもの見回りをしていると聞こえてきた揉めている声。

 こういった声は聞き慣れている。

 すぐに向かうと予想通りの光景があった。

 だが、少しばかり予想外もあった。

 酒に悪酔いしている男達に絡まれているのは、細身だが少女にしては身長が高い――。


「……少年か」


 少女と見間違えてしまうほど可憐な容姿だが、それは確かに少年だった。

 僅かな明かりでも鮮やかに見える赤い髪と瑞々しい若葉色の瞳。

 なるほど、目を惹くわけだ。


 男達を大人しくさせると、少年はキラキラとした瞳で私を見て来た。

 私は女でありながら剣を握り続けるため、我武者羅になってやってきた。

 常に人へ剣を突きつけているような目で生きてきたし、今もそうだ。

 このような目で人を見ることは一生ないだろうな。

 この時はそう思った。


 しばらくして、意外な場所で赤い髪の少年と再会した。

 少年は自警団で一心不乱に素振りをしていた。

 何の気紛れだ? と思ったが、案外根性はあるようで見直した。


 彼はどういうつもりか、私に菓子を渡してくる。

 そういった物は全て拒否をしてきたからいつものように断ったが、マルクが受け取ってくるようになった。

 彼も簡単にものを受け取るタイプではないのに、受け取ったものを更に私に渡してきたことに驚いた。


『あの子は大丈夫です。ほら、美味いですよ』

『何を根拠に……』

『勘。俺の勘は当たりますよ? だから食べてやってくださいよ』


 マルクが言うなら……と、食べたらお菓子は確かに美味しかった。

 それに不思議な感じがした。


『こういうのを優しい味、というのだろうか』


 自分が口にしてきた腕の良い料理人が作ったものとは少し違う……。


『そうでしょうね。リクス様のことを想って作っているでしょうから』

『私のことを?』

『ええ。あのキラキラした目を見たでしょう?』


 私のことを想って作っただなんて、いつもの私なら気色悪いと思ったはずだ。

 だが、あの目を知っているからか、全く不快には感じなかった。

 それどころか――。


『また食べてみたいものだ』

『言ってやったら喜びますよ!』


 そうだろうか。

 また食べたいなど、そんな図々しことを頼むことは出来ない。

 それに私は余計な会話をするのが苦手だ。

 必要最低事項以外何を話せばいいのか分からない。

 業務連絡だと思えば、少しは話せるが……。

 結局少年に『美味しかった』と言うこと以外なにも話せなかった。

 少年は何故か無反応で、私は只管美味しかったと繰り返すことになったが……。

 最後には「どういたしまして!」と微笑んだ彼を見ることが出来たので、私は満足した。


 それからは彼の作るお菓子を食べることは、私の唯一の楽しみになった。

 食べ物に執着をしたことがなかったから、自分が甘い物好きだということを初めて知った。

 アップルパイが特に好きだということも。

 いつの間にかこの唯一の楽しみは、私にはなくてはならないものになっていた。


 勇者に手も足も出なかったあの時も――。


 騎士団の全てを統括している騎士団長のジュード様には及ばないが、王都騎士団において私は最強の剣であること。

 そしてこの手で王都を守り抜いていること。

 それは私にとって誇りであり、私の存在意義だった。

 だが、それは勇者という存在の前には些末なものだった。


 勇者を足止めしようとした私は、全力の一撃を放った。

 怪我をさせてしまうが勇者なら死なないだろう。

 そう思っていたが、まるで風で飛んできた木の葉を払う程度の所作で私の一撃はかわされた。

 圧倒的な実力差を感じるしかなかった。


 私は自分に失望した。

 この程度だったのか、と。

 山の頂に立っているつもりになっていた自分が恥ずかしかった。


 何もする気が起きない。

 こんなことは初めてだった。

 だが、失意に暮れてばかりもいられない。

 私には与えられた役目と責任がある。

 それらを放り出すことは出来ない。

 そう思わせてくれたのはシリルのお菓子だった。

 失意の中、無意識に食べたシリルのお菓子の甘さが私を癒やした。

 シリルの目を思い出させてくれた。


 今度こそ職務を全うする。

 勇者を止めることが出来るのは私しかいない。

 己を奮い立たせた。


 だが……。


 情けないことに、一度として勇者を止めることは出来なかった。

 勇者は我々が鬱陶しくなったのか、姿すら見せなくなった。

 そして全力をあげて探しても誰も見つけることが出来ないという有り様――。


 そんな中、シリルと顔を合わせることになった。

 シリルのお菓子に――いや、シリルに癒やされたいと本能が訴えたが、それは甘えではないか? という自制が働いた。

 今の私にはシリルのあの目に映して貰える価値はない。


 自分を律し、差し伸べてくれている手に背を向けた。

 これでいい。

 彼の憧れに足る私になれたら、この非礼を詫びよう。

 そう思ってあの場を去った。


 だが翌日、私が去った後に部下と彼が揉めていたことが気になり、得体の知れない不安を抱えながら自警団本部を訪れた。

 そして彼がいなくなったことを知った。


 足場が全て崩れ落ちるような、この感覚はなんだ?

 頭の中が真っ白になった瞬間に、黒く塗りつぶされるような――。


「私のせいか? もうシリルには会えないのか?」


 思わず零した自分の言葉が耳に入った瞬間、私の目は馬鹿になった。


 マルクが目を見開いて叫んでいる。

 シリルを慕う少女も、自警団の面々も顎が外れそうなほど口をあんぐりと開けている。

 それはともかく、私の顔が……。


「いやに濡れているな」

「そりゃあそうですよ!」


 溢れ出したものが涙だと自分で理解したのは、しばらく経ってからだった。

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