おやすみコトネさん

てこ/ひかり

第1話

「『おやすみ……』って言われたい」

「へぁ?」


 変な声が出た。

 放課後、教室で涼んでいた時のことである。友人のコトネが、伸び切ったうどんみたいに机の上に上半身を投げ出しながら、ポツリとそんなことを呟いた。食堂の自販機から微炭酸マッチを買って飲んでいた私は、真っ白な制服の上に、黄色いシュワシュワを数滴零した。


「いきなりどうしたの?」

「ホラ……あれ見てよ、リョウコ」


 コトネが寝っ転がったまま、窓の外を指差した。

 乱反射する日差しに、私は目を細めた。


 そこ、三階の窓から覗くグラウンドには、放課後部活に精を出す生徒たちでひしめき合っていた。右側のフェンスには野球部、真ん中のコートにはサッカー部、それに陸上部、ソフトボール、水泳部……普段は音楽室にいるブラスバンド部の面々が、肺活量を鍛えるため、マラソンをしている姿も見えた。2020年、夏。誰もが最初で最期の夏を最高のものにするために、光る汗を流している。


「……良いと思わない?」

「うん? ……」


 いかにも眠たそうに目をトロンとさせて、コトネが言った。頷きながらも、私は首を捻った。コトネとは幼稚園の頃から一緒だが、二人とも今の今まで運動とは無縁の生活を送っている。特にといった趣味があるわけでもないし、文化系の部活にも参加していない、二人ともいわゆる『帰宅部』だった。だから放課後になっても、何をするわけでもなく、空調の効いた教室でダラダラと過ごしている訳であった。


「ホラ、漫画とかドラマとかでさぁ……」

 コトネが欠伸を噛み殺した。

「試合が終わった後、選手たちがロッカールームで疲れ果てて、そのまま眠っちゃうシーンあるじゃない?」

「うん……?」

「そしたらそれを見にきたマネージャーとかが、扉の影から選手たちを優しく見守って、『お疲れ様。今は戦いのことは忘れて、ゆっくりおやすみ……』ってほほ笑むの」

「はぁ」

「それやりたい」

「はぁ?」


 それやりたい、と言われても、私には意味が分からなかった。


「だってカッコいいじゃん! 激闘を終えた、戦士たちみたいで。『あぁこの人たち、全力で戦ってたんだな』って。だから私も、そんな風に思われたいの」

「でもコトネ、部活も試合も何もやってないじゃん」

「だから、激闘が終わったで、『おやすみ……』って労られたいの!」

って」

「じゃあ私は今から寝るから、リョウコは私を『おやすみ……』って労ってよ」

「やだよ! 大体何にも戦ってもいないのに、だけ欲しいってなんか納得できないよ」

「『この子、できる……!』って思われたい……」

「はい??」

 コトネはもう両目を閉じ、半分夢の世界に旅立っていた。


「ホラ、アニメとか舞台とかでさぁ……」

「またその話?」

「試合前、対戦相手とすれ違う時にさ。実力者同士だと、相手のが分かったりして……」

「でもコトネ、何もやってないじゃん。何の力があるのよ?」

「目が合った瞬間に、『こいつ……強いな!』って言うのがお互い分かるの。そう言うのカッコよくない?? それやりたい」

「やれば?」


 私はバカバカしくなってきて生返事した。自分から目を閉じておいて、『目が合った瞬間に』と言われても、一体私にどうしろと言うのだ。


「『いつか、お前と戦場で逢う時が来るだろうな……』って思われたい」

「思われなよ」

「ホラ、小説とか映画とかでさぁ」

「うんうん」

「直接の対戦相手じゃないんだよ? だけどふとしたきっかけで、街中とかで出会って。お互い名前も知らないけど、でも二人とも分かってるんだよ。相手が、自分と同じものを目指してるってことが!」

「コトネ、何か目指してたっけ?」

「結局、同じ道を歩んでるんだよね。道順は違えど、このまま進んでいけば……いつか二人は、どこかで相見あいまみえるってのが分かるの!」

「映画の見過ぎだよ」

じゃないけど……この先二人が順当に成長していったら、『いつか、お前と戦場で逢う時が……ってちょっと。リョウコ?」


 コトネが顔を上げた。私は、彼女の与太話を聞いているうちに、何だか自分も眠たくなってきて、気がつくと大きな欠伸をしながら机の上に頭を乗せていた。


「寝ないでよ! ここからが良い話なんだから」

「うんうん……聞いてるって」

「絶対聞いてないでしょ。何それ、ペットボトルを咥えて、マッチ飲みながら寝るって……。この子、できる……!」

「聞いてるよぉ……」

「あぁもうほら、喋りながら飲むから、溢れちゃった。机の上がマッチでベチャベチャになるわよ。リョウコ、貴女って人は。この状況で、惰眠を貪れるなんて……その睡眠への妥協なきこだわり! 己の欲求に忠実な、模範とも言える睡眠道! 私が寝ている間に、貴女もいつの間にか成長していたのね……嬉しいわ。いつか貴女と、夢の中で逢う時が来るかもしれないわね……」

「へぁ……?」

「フフ……良いのよ。疲れていたのね。今はもう、ゆっくり、おやすみ……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

おやすみコトネさん てこ/ひかり @light317

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ