第46話 希望の星

コロナ騒動からさらに10日後、やっと三笠ミカサ真紀子マキコが出社した。



「ご迷惑をおかけしました」



顔にできたとかいうアザは、目視できないレベルになっていた。

彼女の旦那さんのモラハラDVに離婚話は社内中に漏れていなくて、その点は不思議だった。



ミドリちゃん、なんか色々ごめんなさい」



お昼休み、彼女と休憩時間が被り休憩室で合流する。



「そんな、謝らなくていいですよー」



「いや。これだけは言わせて、まさか太田原アイツミドリちゃんにあんな提案するなんて思ってなかったのよ、わかってたらLINE教えなかったわ」



三笠ミカサ真紀子マキコは休みの間色々大変だったようで、感染してなかったはずなのに、病み上がりのようにすっかりやつれていた。

元々スレンダーな人だったけれど、現在の彼女は心配になるレベルに痩せ細っている。



「あの…、三笠ミカサさんは大丈夫なんですか?」



ああ、私はなんでこんな問いかけしかできないのだろう!

彼女のことが心配だから訊いたのだけど、とっさには言葉が出てこない。



「そうねぇ、とうとう離婚を決意して動きはじめた感じかな?ダンナのヤツ散々浮気しといて、いざ別れるとなったらゴネるし、わけわかんないわ。あ、それから私のこともう三笠ミカサさんと呼ばないでね!何度もお願いしてるけど、下の名前で呼んでね!」



どうやらこじれている様子、こんなんじゃ太田原オオタワラどころではないだろう。

私は年上の人と仲良くなってもなかなか相手のこと名前で呼ぶことができない、ひとつ年上の佐和子サワコが例外中の例外だ。



「おつかれ〜」



と、ここで休憩に入った佐和子サワコが現れた、ちょうど彼女のことを連想していたタイミングだったので、軽く驚いてしまう。

復帰してからの佐和子サワコは、インフォメーション嬢の制服を着ている。

三笠ミカサ真紀子マキコの休みをきっかけに、入れ替わっていた二人は通常業務に戻っていた。



真紀子マキコさん、ごめんなさいね、お役に立てなくて」



そう詫びながら三笠ミカサ真紀子マキコの隣に座る。



「いいのよ、あなたのお友達の弁護士さん、ちゃんと離婚専門の方を紹介してくれたから」



佐和子サワコの友達の松谷マツタニ秀美ヒデミは弁護士だが、専門は誹謗中傷で離婚問題には強くないとのことだった。



「あらあら、皆さんお揃いで」



今度は小畑オバタ一美カズミが現れた、こうして女子会のメンバー全員がお昼休憩かぶるのは、滅多にない珍しいことだった。



「うわぁ、社内にいながら女子会できちゃいそうねー!」



三笠ミカサ真紀子マキコは何だか嬉しそうだ。



「そうね、このタイミングでビッグニュースがあるの!」



小畑オバタ一美カズミはそう言ってテーブルの端に椅子を持ってきて座る、いわゆる誕生日席とか呼ばれる位置だ。



「なに、なに?私の離婚話よりすごい?」



三笠ミカサ真紀子マキコはおちゃらけた様子を見せる。



「人事部の永沢ナガサワ藤子フジコさんがね、なんとご結婚が決まったんですって!」



「えええーっ、マジで!?」「そもそも永沢ナガサワさんって独身だったんですか?」



私は相変わらず言葉は出なかったが、一応婚活中の身としては気になる話だ。

どこで知り合いどんな人と結婚するのかが、

もっとも知りたい情報だった。



「私もビックリよー!そもそも彼女結婚する気ないと思ってたわ〜」



「仲良かったんじゃないですか?」



佐和子サワコの質問に対し、



「そうねぇ…藤子フジコちゃんとは同い年だし、真紀マキちゃんともう一人辞めちゃった事務の子と4人でよく女子会してたわねぇ」



なんと、あの永沢ナガサワ藤子フジコが女子会のメンバーだったとは!



「ええーっ?永沢ナガサワさんも女子会メンバーだったんですかー?」



「そうよ、佐和サワちゃんがうちくる前までわね、経理から人事へ移動してからは仕事が忙しくなって参加できなくなったけどね…それにしても、私にひとことの相談もなかったのは、ちょっとショックだわ〜」



あの永沢ナガサワ藤子フジコが女子会に参加して他愛もないことを延々と語り合っている姿はあまり想像できないのだけど、かくいう自分もなに話すわけでなくその場にいるだけなので、彼女もそんな感じだったのかもしれない。



永沢ナガサワさんって確かアラフィフですよね?その年齢でも結婚はできるんだって、希望持っちゃいますね〜」



全く、佐和子サワコの言うとおり!

どんな経緯で結婚が決まったのか、知りたくてたまらなくなった。



「ほんとビックリよ!普通私くらいの年齢になれば、だいたいが諦めて無理だと思ってしまうものだからねぇ…」



アラフォーの私だって心のどこかでもうムリかもしれないな…とメゲてしまっているので、少し年上の女性が結婚決まったのは希望の星だ。



——思い切って永沢ナガサワさんに色々訊いてみようかな——


そう決心したものの、どう切り出せばいいのかこの時は思いつかなかった。


お昼休憩を終えて事務所へ戻ると、話題は永沢ナガサワ藤子フジコの結婚話で持ちきりだった。



「ついに結婚かぁ…彼女とは同い年だが、これまで一度もチラリとそのような影見せなかったよなぁ」



井澤イザワ部長はしみじみと、数分おきに同じことをつぶやいていた。



井澤イザワ部長〜、それつぶやくの、もう5度目っすよ〜!」



珍しく外回りに出ていない太田原オオタワラが茶化す。



「うっさいな、感動してるのだよ!いきおくれて結婚はもう絶望的に見えた同世代が、とうとう嫁にいくんだからな!」



井澤イザワ部長〜、それアウト!問題発言っすよ〜、藤子フジコちゃんに言いつけてやろうっと!」



太田原オオタワラってば、永沢ナガサワ藤子フジコをちゃん呼ばわりするなんて…。

太田原オオタワラはあれ以来、なにもアクションを起こしてこないのでホッとしている。どうやら三笠ミカサ真紀子マキコの離婚話は順調に進んでいるようで、彼に火の粉がかかることはないようだった。



「まぁ、あれですかね、永沢ナガサワ女史もとうとう年貢の納めどきってやつで、長いこと働きづめだったから、ビル建て替えのタイミングで専業主婦になるつもりなんじゃないッスかね〜?」



こう発言するのは、土浦ツチウラ涼太リョウタ、若いのになんだか昭和のおっさんのような言い回しだ。



「私は仕事を辞めたりはしませんよ」



ここで本人が突然現れたので、土浦ツチウラ涼太リョウタは飛び上がる。



「うわっ!ご、ご、ごめんなさいいっっ!けっ、けっ、ご結婚おめでとうございます!」



「あはは、謝らなくていいのに、お祝いの言葉ありがとうね」



土浦ツチウラ涼太リョウタを皮切りに、その場にいた全員が口々に永沢ナガサワ藤子フジコの結婚を祝う言葉を投げかけた。



「皆さん、ありがとうございます….と、肝心な用事を忘れてしまうとこだったわ。太田原オオタワラくん、ちょっと…」



普段めったにこちらの事務所へとやって来ない彼女を最近よく見かけるような気がする、

でも私が話しかけるタイミングはなさげだ。



「はいっ、なんでしょう?」



太田原オオタワラの声は少し裏返る。



公休日おやすみの申請ですけどね、太田原オオタワラくんの有給はあと3日しか残ってないんですよね〜」



「えええーっ!?藤子フジコちゃああん、そりゃないッスよ〜、人前でそんなこと暴露しないでくださいよ〜」



「ええ、私もこんなことするつもりはなかったんですけどね、太田原オオタワラくんがコロナでお休みする前から何度も社内メールを送っていたんですけどねー、返事がなくて。あ、それから、私のこと馴れ馴れしく藤子フジコちゃんと呼ばないように」



なんとまぁ…。

このやりとりに事務所内のあちこちからクスクスと笑いが漏れる、私は吹き出したいのをガマンしていた。

太田原オオタワラ藤子フジコちゃんと呼びかけると、ルパン3世を思い出してしまう。



——太田原オオタワラらしいわ——



実は自分も太田原オオタワラに社内メールをスルーされたことが何度かあり、困ったことがある。

嫌われているのかと悩んだこともあったけど、同じようにスルーされて憤慨している社員を見たことがあるので、常習犯のようだ。



「ボクがコロナで休んだの、しょうがないじゃないですかぁぁ、それまで有給になっちゃうなんて、ヒドイわぁ」



太田原オオタワラは嘆く。



「コロナ感染でのお休みは有給ではなく特別休暇ですから。太田原オオタワラくんの場合、それ以前からですし。残りゼロ日ではないのだから、そんなにガッカリしないでね」



一体なにをどう使えば有給休暇がそんなになくなってしまうのだろう?

彼の場合主に外回りの営業で直行直帰が多いため、そもそも休んでいても気がつかなかった。



「そんなわけなので、また休みたい日があれば、あと3日ですけどね〜、申請してくださいね」



永沢ナガサワ藤子フジコはそう言って事務所を出た。



——今がチャンスかも!——



私は業務中であるにも関わらず彼女の後を追った。



「あ、あの…」



エレベーター待ちしている永沢ナガサワ藤子フジコに声をかける。

永沢ナガサワ藤子フジコはゆっくりと振り返った。



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