テレるふたり

 おれの朝はブラックのコーヒーに始まり、ミサキさんのはソイラテで始まる。なんでそんなことを知っているのかといえば、すでに一ヶ月ちょっとも奇妙な同棲をしていたからで、おれは自分の手で提供できる日を心待ちにしていたからである。


「――はい、ミサキさん」


 持参のマグカップにつくったソイラテを差し出すと、なぜかミサキさんは正座に座り直した。


「あ、ありがと――ござマス……」


 段々と声を小さくしながら赤くなった顔を伏せ、ちびりと、舐めるように飲んだ。

 おれのテレワークプラットフォームのすぐ斜め横で、いつの日かモニター越しに見ていた萌え袖が、ちょっと緊張を残した様子でマグカップを包んでいる。

 胸のうちで突っつきたい欲求が膨らんだが、おれは自分でも驚くほどの精神力で押し込めた。


「もし濃かったら、コーヒーも豆乳もまだあるんで――」

「だ、だいじょうぶッス! ほんと、だ、大丈夫ッス」

「……えっと……大丈夫です?」

「だ、だぅ、だぃじょうぶ、ッス」


 ミサキは派手に吃ったうえに噛みまくりながら横髪をかきあげた。耳の先まで真っ赤になっていた。肌の白さもあって、明るいところで見てみると、まさに桃の果実のような色合いだった。

 

「ちょ、ちょっと、こっち見すぎッス」


 ミサキさんはマグカップを掲げるようにして顔を隠した。その照れ様に、昨晩から明け方にかけての気配はない。なにごともなかったかのように、ではなく、


「いくらなんでも照れすぎは……?」

「や、えと、きっと、クマとかヒドイ感じになってると思いマスので!」

「おたがいさまでは」

「や、でも、やっぱりカメラなし、は、ヤバ……」


 撃沈。ミサキさんは最後まで言い切ることなくテーブルに突っ伏してしまった。

 おれはソイラテの入ったマグカップを静かに遠ざけ、ミサキさんのうなじを撫であげるように襟足からくしゃ髪へ指を差し入れた。瞬間、


「――うへゃぁあああ!?」


 想像以上に奇妙な悲鳴があがった。もうちょっとロマンチックというか大人な反応を予想していたのあって、おれは失礼ながら吹きだしてしまった。

 もちろん、ミサキさんはむくれた。

 

「――いや、ごめんなさい。ちょっと笑いすぎました」

「いーッス、別に。怒ってないッス」


 頬を気持ち膨らませてそっぽを向いていくスタイル。いままで正面で見ていた表情だが、斜め横から見ると、顎先から首に向かう輪郭と、服がずり落ちて見えそうになってる肩口が、


「えろい」

「――っっっ!」


 ミサキさんは弾かれたように背筋を伸ばし、ぐいっと服を引っ張り上げた。半秒もかかっていない早業。おれは次になにを言おうとしていたのか忘れた。

 予報では昼から降り出すと言っていたのに、小さな雨粒が控えめに窓を叩いていた。


「……えーっと、きょう、このあとどうします?」

「ど、どうって……」

「雨降ってますけど」

「えっと……でなくてもいいように、自分、こっちに来たっていうか」

「もちろん分かってますけど」

「えっと……」

「……お家でダラダラ?」


 ピクンと肩を震わせ、ミサキさんは虚空に視線を彷徨わせる。


「え~~~っとぉ…………な、内見! リモート内見するッスよ!」

「雨の日に対応させるの悪くないすか?」

「――うっ! た、たしかに……」


 いつもモニター越しに見ていたコミカルな動きが今は目の前に。いかんニヤける。

 おれは両頬を軽く叩いた。視線を感じた。ミサキさんと、目が合った。


「……なんですか?」

「ほんとにするんだなぁーって、思ったッス」


 言って、にへらと笑い、ミサキさんはおれの真似をするように両頬を萌え袖で押さえた。

 ムラっと抱きつきにいきたくなったが、おれは咄嗟に口を塞いでこらえた。鼻で深くゆっくりと呼吸をし、背筋を伸ばす。焦りは禁物だ。


「――ミサキさん、なんかしたいことってあります?」

「したいこと……したいこと……あ、指ドラのセッションとかしたいッス!」

「それだけですか?」

「えと……えっ?」


 かくんと首を傾げるミサキさん。そこに昨晩の欲深さはない。

 ――まぁ、おれもひとのことは言えないが。


「おれは昨日のうちにやりたいことやらせてもらいましたし――」

「やりたいこと――へっ!? うぇっ!?」


 ポン、とミサキさんが真っ赤になり、おれは苦笑しながらテーブルに肘をついた。まぁそういう意味にとれなくはないし、それほど間違ってもいないか。

 

「違います。違わないけど」

「ち、ちがわないんデスか?」


 両胸を隠すように肩を抱き、気持ち猫背になった。横からみえるそのシルエットの小ささにおれは少し驚かされた。当たり前だが女の子なんだなとか、柔らかいなとか、それから背中側の余った空間に、


「おれもそっち座っていいですか?」

「――ゔぇっ!?」


 ガチン、と同じ姿勢のままミサキさんが固まった。


「ほら、前にそういうのに憧れてるって――」

「い、いいマシたけども!」

「したくないんですか?」

「し、したいですけどまだ早いといいマスか!?」

「えぇ? いまさらですか? 昨日――」

「――にゅあぁぁぁあうぅっ!!!」


 猫めいた悲鳴に、おれは笑いが止まらなくなった。

 悲鳴をあげた本人は恥ずかしさにまた撃沈した。


「なんかずるいッス……自分ばっかりてんてこまいッス」

「て、てんてこ……ッ!」

 

 爆笑で笑いのツボが緩んだのか、おれは腹筋を攣りそうになっていた。


「そんなに笑わなくても……」

「ご、ごめ、ごめんなさい……!」


 拗ねたような声に、おれは必死に息を押さえて四つん這いになった。


「えっと、そっち行っていいですか?」

「……しょ、しょうがないッスね……」

「あざまーす」


 最初からこうすればよかったのだ。おれはミサキさんの後ろに回り込み、お腹に手を回した。

 ビクン! と一瞬、ミサキさんが跳ねた。


「え、えっと……ドキドキガヤバイッス……」

「おれもです。てか、なんでカタコト?」


 おれは腕に力をこめ、ミサキさんの体を引き寄せた。耳元に唇を寄せると、汗と混じって甘い匂いがした。


「ミサキさん」

「――ふぁぅっ、ぅぬぁ……」

「お腹すべすべですね」

「で、デスか……」

「大好きです」

「ふぁい!」


 耳に囁きかけるたびに、腕の中でミサキさんの体が震えた。


「ほんと、大好きですよ」

「じ、自分もデス……ッ!」


 ぐんぐんと体温があがっていく。手を服の下に入れてみると、肌が少ししっとりしていた。

 おれは曇っていく眼鏡レンズを耳元から確認し、耳穴に息を吹き込んだ。ミサキさんが一際おおきく体を跳ねた。


「これから、よろしくお願いします」

「は、はい……っ! 自分こそ、よろしくッス……!」

「あと」

「は、はい……っ!」

ですか?」

「…………はぃ……」


 ミサキさんは耳まで真っ赤に茹で上がりながら頷いた。

 自粛はまだまだつづけなければいけないのだろうが、この人と一緒なら大丈夫だろう。

 おれは桃色に染まる耳の先を唇で挟んだ。

 ゔぇっ!? と奇妙な悲鳴があがった。

 退屈する日はこなそうだ。

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テレるふたり λμ @ramdomyu

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