照れワーク

 お前は中学生か。

 そう自分を罵りたくなるような夢を見た。

 

――壁ドン。

 

 オタク文化に疎いおれでも知っている、本来の意図が捻じ曲げられた語彙だ。隣人の騒音への苦情――古い野球漫画の、弁当がデカいという理由でつけられたあだ名に由来するタイトルにかけたネットミームのはずだった。

 それが少年マンガ少女マンガで使われる壁に手をつく形で退路を塞ぐ行為に捻じ曲げられた。

 ――まぁ、言語は流行したものだけが残るので、いまとなればはヒロインを間に挟んで壁に手をつく行為である。

 それをした。

 つまり、夢の中でミサキさんを壁に追い込んでドンした。ドンしたってなんだ。


「……マジか、おれは」


 マジだ。おれは。

 じゅうぶんに分かっているが、夢にまで見ると小っ恥ずかしいにもほどがある。

 好きになった人の夢を見る。これはいい。まだ大丈夫。

 好きになった人に迫る夢を見る。ギリでアウト。かもしれない。


「どっちなんですかね?」

 

 おれはミサキさんを呼び出して直接聞いた。だいぶダメだという自覚はあった。

 けれど、彼女はひとあじ違った

 

「壁……ドン……っ!」


 それこそマンガみたいな大仰な動きで打ちのめされて、眼鏡を曇らせながら言った。


「男子っていっつもそうッスよね」

「……男子て。いやそれはともかく、なんです?」

「身長差」

「はい?」

「考えたことありマス?」


 ない。というか言われて初めて考えてみようと思ったレベル。でもって言われたんだから考えてみようと思ってみても、具体的な状況が見えてこない。大雑把に、ミサキさんのサイズはこれくらい、みたいなのはある。両腕のなかに収まる細さ。でも多分、抱きしめると胸が邪魔して空間ができる。あと、おれの顎とぶつかるくらいの高さに額があって――、


「ちっちゃいですよね、ミサキさん」

「そっちがデカいッスよ」

「えっと……」

「てか、そーいうことじゃなくて」


 ミサキさんは耳を撫でつつ言った。


「前からそうッスけど、ほんと、背の低い男友達あつかいでキますよね?」

「……ん?」

「男子の距離感とか自分よく知らないッスけど、近くないッスか?」

「……いや、男同士は距離とるでしょ、普通。近づいたらキモいし」

「じゃあ逆に聞きマスけど、異性に対して平然と耳打ちします?」

「――? するでしょ? 普通」

「そこぉ! そこがおかしいッスよぉ!」


 テーブルに叩きつけられるピコピコ・ギブソン略してピコソン(完成品)が、ちゃんとピコピコ音を奏でていることに仄かな感動を覚えながら、おれは尋ね返した。


「耳打ちってそんなに特殊ですかね?」

「――や、そこで自分との身長差を考えてほしいッスよ」

「……というと?」

「わかんないッスか? 自分からすると……」


 ミサキさんはほんのり頬を染めて言った。


「自分からすると、逃げ場なしッスよ」

「……えっと」

「唯一のディフェンシブ・アイテムは手元のファイルみたいな」

「すいません、よくわからない」

「なんで分からないかなぁ? この、この独特な恐怖!」

「――おれ怖がられてたんですか!?」


 恐れについては考えたこともなかった。それを指して男友達の感覚で接してくると言われているのなら、さもありなん。そもそも小中高ついでに大と、意図的に男女の扱いに差をつけようと思ったことがない。

 というか、意識すらしたことがない。

 だが、マジメに――というかシリアスに考えると、身長差、性差、結果としての力の差は恐怖に転じてもおかしくないのかもしれない。こっちにしてみれば他人に聞かれたくないゆえの耳打ちなのだが、やられたミサキさんにしてみれば逃げ場のない脅迫に近い意味合いがあったのかもしれない。


「――おれ、そんな怖かったですか?」

「――まぁ多少は」

「マジすか」

「むしろ、その微妙な怖さがまたアジがあって……」

「アジ」

「スイマセン、いまのは自分の失言ッス」


 ミサキさんは口元を隠しそっぽを向いた。こちらに向けられた手のひらは制止を示すが、同時に羞恥をも意味する。そして――、

 おれは照れてるミサキさんが大好物である。


「そこのところ、詳しく」

「……ホント、たまにすっごくイジワルッスね」

「声質でカバーされたりしません?」

「耳から襲いかかってくる感じは前から同じかもッス」


 ヘッドホンの下に指を滑り込ませ、こちらを見て、また両耳を撫でてイヤーマフを上から押さえて、そうしてようやくポツリポツリと言った。


「どうかなーって思うッス」

「……えっと?」

「やっぱり声が好きで」

「……うん」

「こうやって、ヘッドホンで聞いてると、ちょっと一言でゾクっとするッスよ」

「別に特別なこと言ってるわけじゃないですけど」

「不思議なのは自分も同じで」


 ミサキさんは瞼を落とし、体を左右に揺らしはじめた。


「音に集中してるとグっとくるのかっていうと、そうでもないし」

「そうでもないんですか?」


 じゃあドコにぐっときてるの、と苦笑すると、ミサキさんがつられたように微笑んだ。


「そういう、ちょっと息遣いとかが特にヤバいのかも?」

「あー……前も言ってましたよね。ブレスがって」

「あれは――ブレスっていうか鼻息ッス。えっちなこと考えてるときの」

「多分それちょっと違いますよ」


 朝っぱから甘酸っぱい夢を見ておきながら思うが、断じて脳内ピンク色だから鼻息が荒くなるのではない。

 おれの場合は、もっと直接的だ。


「妄想っていうより、ミサキさんがえっちなアクション起こすからです」


 ビクン、とミサキさんが肩を弾ませた。いつもの奇妙な悲鳴はなかった。

 あれが聞きたかったおれとしては少々さびしい。

 が、リラックスした様子で前後に左右にゆらゆら揺れている姿も、これはこれでエロい。

 ふふ、とミサキさんが鼻を鳴らした。


「……いまちょっと興奮してきたッスね?」

「まぁ、ちょっとね」

「ツボがよく分かんないッスねー」

「あ、待って。目ぇ開けないで」

「――えっ?」


 ピタリと体の揺れが止まった。


「えっと……え?」

「もうちょっとだけ、そのままで」

「……え? えぇ……?」


 困惑というより、不安だろうか。ミサキさんが引き攣るような笑みを浮かべた。床に突っ張る手が体を守るように内側へと寄っていき、ほんの少しだけ肩が持ち上がる。さぁこい、って感じだろうか。可愛いなぁ。

 

「そのまま、そのまま……」

「……えっと……なにしてるッスか……?」

「なんでしょう? 当ててみてください」

「な、なんでしょうって……」


 ミサキさんの顎が少し上がり、コクン、と小さな音が鳴った。頬が色づき眼鏡が曇り、きっとイヤーマフの内側で耳も赤くなってるのだろう。いったい、なにをしていると思っているのだろうか。なんとなく想像はつくが、それを口にするのだろうか。


「さぁ、なにしてるでしょう?」

「あ、あの……鼻息ちょっと荒くなってないッスか……?」

「いいですね、その感じ」

「うう……」


 小さな呻き。小刻みになっていく呼吸。頬に差した朱が顔全体に広がり、茹で上がる。ほぼ毎日のように見ているのに飽きない。飽きる時は一生こないのかもしれないとすら思う。

 いぢめて喜んでいる、と言われればそうなのかも。

 嗜虐しぎゃく趣味はないつもりだったのだが。

 おれは自分のなかのSっ気に驚きつつ、言われて応じるミサキさんのMっ気に感心する。


「さぁ、なにしてるでしょう?」

「えと……お、おな――」


 やっぱりそうきたかと、おれはみなまで言わせず即答した。


「してないですよ」

「ゔぇっ!?」

 

 ようやく聞けた。ああホントに、モニター越しでなければどんなにいいか。

 いまは我慢だと自分に言い聞かせながら、おれは尋ねた。


「ささ、なにをしてるでしょう?」

「え、えぇ……?」


 ただ見てるだけ、という回答は、いつ出てくるだろうか。

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