リモートディナー

 狭いキッチンにスタンドを立て、これを期に新調したタブレット端末をセット。もともと買い換えようと考えていたが、まさか選考基準が内蔵カメラ等の性能になるとは思ってなかった。

 おれはフライパンを揺すりつつ、インカムを通じて聞こえてきた鼻歌に目を向ける。

 ミサキさんが、鼻歌まじりにフライパンを振っていた。

 そう、まるでチャーハンでも炒めるみたいに鮮やかに、ガッシャガッシャと。


「…………えっ!?」

「んん!?」


 一瞬、跳躍軌道がよれた食材たちをかろうじて受け止め、ミサキさんがこちらを向いた。


「な、なんッスか? どうしました?」

「いや、えっと……これ、レシピだとオイル蒸しって……」

「え? あれ? えーっと……?」

 

 ミサキさん手元の肉筆メモを睨んだ。彼女の家のキッチンはおれの部屋よりも狭いので端末を安置できる場所がないのだ。

 いつぞやはミサキさん曰くバーチャルミサキさん受肉なるナゾ極まるスタイルだったが、今日は並んで料理をしていくモード。台所に立つタイミングも同じなら作る料理も同じ。あとでモニター越しながら一緒に食べようと、まぁそういう趣旨だったのだが――、


「もうなんていうかそれ、中華ですよね?」

「えっと……でもほら! オリーブオイルを使ってマスし! イタリー!」

「シチリアンマフィアがカチキレそうなこと言わないでくださいよ……って、あれ!?」

「はい!? 今度はなんデス!?」


 ミサキさんは頓狂な声をあげ、料理を皿に移す手を止めた。

 おれはモニター越しに、そこにあってはならないはずのものを見つけて言った


「エビ入っちゃってるじゃないッスか! なんで!?」

「え? えぇ? せっかくエビも買ったんだし、アレンジしよーってなって……」

「……それ、明日か明後日に使うつもりだったのに……」

「え……えぇ!? そんなに長期的に考えてた買い物リストッスか!?」

「当たり前じゃないですか……スーパーに行く回数を減らそうって話しましたよね……?」

「あー……あぁーーー……」

「ミサキさんって、意外でもなんでもなくわりとルーズですよね」

「そこは意外って言ってほしかったッスね……」


 ミサキさんは唇を尖らせるような素振りを見せた。

 料理の内容は変わってしまったが、まぁ初回なのだから仕方ない。ミサキさんにしてみれば自炊の再トレーニングであり、おれには貴重な癒やしの時間だ。

 カメラ代わりにタブレットを立て、できたばかりの料理を並べ、アルコールは――


「こっちはビール。そっちはなんです?」

「スパークリングワイン! ッス! やっぱり泡々してるのがいいなーって」

「食べ物は中華風だけど」

「もー……いいじゃないッスか。ちゃんとオリーブの香りもしてマスよ?」

「はいはい。それじゃ――」


 と、おれがビールの缶を突き出すと、ミサキさんは途端にチベットスナギツネの目になった。


「グラス、ないんすか?」

「えっ」

「……そーいうとこ、意外と残念ッスね」

「他のトコは好みですか?」


 おれはちょっとからかうつもりで言ったのだが、ミサキさんは余裕たっぷり鼻を鳴らした。


「毎日、顔みてますからね。自分もそーそーキョドったりしないッスよ」

「……残念。ちょっとグラス取ってきます」

「はーい。いってらっしゃい」


 ひらひらと舞う手のひらをモニター越しに見て もし一緒に暮らしたら、と思った。

 ミサキさんの言葉に深い意味はないだろう。

 おれは送り出される側で、彼女が家で待っている。ちょっといいかも。


「……って、絶賛テレワーク中なのに『いってらっしゃい』もないわな」


 グラスを取って戻り、目の前で注いで、ちょっと泡が立ちすぎたかなと顔を向けると、


「……え?」


 ミサキさんは片手で頬杖をつくようにして口元を隠し、そっぽを向いていた。微妙に、頬と耳が赤くなっている。


「えーと……どうしました?」


 ミサキさんはちらっとこちらを見て、空いた手で耳をつついた。

 耳が、なに?

 と、おれも真似して耳をつつくと、


「あっ」


 プラスチックの感触。インカムだ。つけっぱなしだった。

 おれは頬が熱を帯びるのを感じたが、さも当然とばかりに席につき、グラスを握った。


「ささ、ミサキさん、乾杯しましょ」

「……ッス」


 ぷぅ、と息を吐き出し、ミサキさんが細長いグラスにスパークリングワインを注いだ。無数の泡沫が散る淡い琥珀色。エビとベーコンに白はあうんだろうか。


「もしかして、おれのビールに合わせてくれました?」

「ざーんねーん。自分、そこまでカイショーないッス」


 照れ隠しするかのようにニッと笑って、ミサキさんがグラスを取った。


「それじゃ――」

 

 ミサキさんは、自信満々にグラスを突き出す。


「チンチン!」


 絶句。おれは反応に困った。いや、正直にいえば予想はあった。というか、なんならイタズラするつもりで言おうかと思ったこともある。だが、自信満々に、しかもこちらがなにかしらの反応をするであろうと期待しての乾杯宣言だとすると、


「ち、ちんちん……」

「あの……もうちょっと、元気よく反応してくれないと……恥ずいッス……」


 黙られてしまうのは想定外だったか、ミサキさんは耳まで茹で上がりながら顔を伏せた。

 こうなると途端に、いつもの、おもしろ可愛い人になる。


「自分で言っといて、そんな照れます?」

「まー、それはそうなんデスけど……」


 ミサキさんはワインを一口、両手を合わせた。


「いただきマッス!」

「あ、そっちはそっちでちゃんとやるんですね」

「あったりまえじゃないッスか! 乾杯と食前のお祈りは別でしょう?」

「いただいますって、お祈りなんですか?」

「お祈りッスよー。だって、命を、ってセリフをカッコに入れてるじゃないッスか」

「ほう?」


 なんか面白いこと言い出したな、と思いつつ、おれはベーコンとアスパラを箸でつまんだ。中華風だのイタリア風だのと言っても、トラディショナル・チョップスティックで挟めば日本食になるのだから不思議だ。


「『いただきます』はお祈り。そのこころは?」

「ぜんぜん難しいこと言ってないッスよ?」

「そうですか? おれにはいまいちピンとこなくて……」


 つまんだ料理の味に、おれは顔をしかめそうになった。せっかくの春野菜なのに、どれもこれもなんだかえぐい。今年は暖冬だったし、このコロナの騒ぎだし、野菜にも影響があるというのだろうか。

 ちらっとモニターを覗くと、ミサキさんはエビとアスパラを口に運んで御満悦だ。


「いただかれちゃったら、なにを言われても聞こえないッス」

「……まぁ、そうっすよね」

「つまり、『いただきます』は、いただかれちゃったものに対する事後承諾ッスよ」

「事後承諾って……だから祈り?」

「だから、だとちょっと飛躍しすぎッスねー」


 ミサキさんはフォークをふりふりこちらを指した。行儀が悪いなと思いつつ、ちゃんとフォークとナイフで食べてる丁寧さには驚かされる――つくりかたは中華風だったけど。


「いいッスかー? 事後承諾とゆーのは、なんでするッスか?」

「なんでって……承諾を取ってないから?」

「そうッス! つまり許されていない!」

「えーっと……見えてこなくなったね」

「ふふふふふ……」


 ミサキさんはゆらゆらと左右に揺れながら、スパークリングワインを飲んだ。


「なんとなーくするように教わる『いただきます』には、いろんな意味があるッスよ」

「……もしかして、ミサキさん酔ってます?」

「寄ってまれん! ワイン一杯で酔うはずないれす!」

「……あの?」


 そういえば、ミサキさんは濃いめの梅酒ロック一杯で酔っ払ったのだった。


「命うばわれたものへの懺悔、食べらいと生きられない悲しみ……」

「えーっと、ミサキさん?」

「自分は無宗教れすけろ、たべものをくらさっれありがろーっていみもあるす……」


 ふにゃふにゃした口調で言って、しゃっくりひとつ。

 ミサキさんは、けらけらと笑った。

 思ったより、長い夜になるかもしれない。

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