第2話 ヘリ内の戦い

 現在、日本国は〈SARS2〉のパンデミック時に設立された〈世界政府〉という国家連合に参加していた。

 世界規模のウイルス禍から人類を守る為の〈世界政府〉が全人類規模で発令した〈世界緊急事態宣言〉は××年を経ていまだ完全収束していない。

 世界は幾万もの小島に分かれた大海の様。

 〈世界政府〉の実質初代リーダーは中国の属領扱いから独立した〈台湾〉の女性宰相だった。百万の軍を操る軍将の如く、彼女は世界指導者達を巧みに導いた。

 日本では給付金をいつまでも出し渋った日本政府より、独自判断でウイルス禍に対抗した各自治体の方が民衆の支持が高く、力もあった。

 〈ロックダウン〉した各都市間は厳重に封鎖され、〈SARS2〉を出来る限り、水際で食い止めている。国家間の区切りだった国境は今は目立たず、代わりに点在する都市の周囲に広がる閑散たるゴーストタウンが人口の極端な集中を象徴していた。

 テレワークと、食料といった物資、エネルギー、通信というインフラがほぼ完璧に整備されて、都市国家内部は何処も空気も水も奇麗なユートピアになった……という風にはならなかった。

 少量ながら都市国家の中にも〈SARS2〉は存在している。一般人が引きこもった居住施設間という点を防疫装備の宅配業車や食料等運ぶスーパーに運ぶトラック、警察、自衛隊車両等のみが行き交い、線で結ぶ。

 〈SARS2〉のワクチンは出来ていたが、ワクチンを毒だと信じて摂取したがらない人間が世界人口の半分ほどに及んだ。人類とは進歩しても迷信から逃れられない存在なのだ。

 その迷信の産物の一つが〈ガイア教徒〉だった。

 ローター音を聞きながら、シートに座らされた俺達は詰め込まれた汎用ヘリの中で大人しくしてやっていた。

 現在、地球人類は大まかに分けて〈世界政府〉と〈中国・北朝鮮連合〉とその他の連帯非参加の小国に分けられている。

「大久元一士。君には重大な特技があるそうではないか」薄曇りの空を飛ぶ汎用ヘリの中。両手首と親指をPETテープで拘束された俺に、原出の奴が顔を近づけてきた。シートを移動してまでこちらに寄るな。気持ち悪い。「それが君を自衛隊から脱走させた原因ではないか」

「知らんね」俺自身の言葉は勿論ポジティブ。

「情報試験兵である君の脳には感応デバイスが埋め込まれているらしいな。どうやら話している相手の言葉が嘘か真実かが読み取れるそうではないか。君は生きた〈嘘発見機〉。そうだろ」

 俺は沈黙する。

「〈中国・北朝鮮連合〉はこの技術を欲しがっている。〈尖閣諸島防衛戦〉で君が彼らの捕虜になれば、生体実験を尽くされた末にデバイスは無理やり奪われる。それはとてもつらく苦しく、恐ろしい最期になるだろう。解っているから君は恐怖に駆られ、現場死守命令を破って逃走した。私はそう睨んでいる。この私の推理は正しい。そうかね」

 嘘か本当か。ネガティブ(陰性)。俺の脳の〈嘘発見機〉機能は作動して、この言葉を肯定している。真実だ。

 この原出の言葉は、見事に俺が自衛隊から脱走した真実を言い当てていた。畜生。忘れたい過去を思い出させやがって。

「さて、これから言う話には、とてもいい話、とても悪い話、とてもとても悪い話の三つがある。どれから聞きたいかね」

「俺は好きな物は最後まで取っておく主義なんだ。一番悪い話から聞かせろ」

「ノンノン。一番悪い物は最後まで取っておくのがセオリーだ。まず、とてもいい話から。お前と一緒にいた女は」リンの事か。「罪には問われない。厚木基地まで着いたら、速やかに釈放されるだろう」

 その芝居がかった言葉はネガティブ。「とても悪い話は」

「君は速やかに隊法会議にかけられ、速やかに自衛隊員として処罰される」

 ネガティブ。「一番悪い話は」

「とてもとても悪い話は〈嘘発見デバイス〉は今は君の頭の現品しか残っていないという事だ。君はデバイスを取り出す為に速やかに死刑処分となるだろう」

 ネガティブ。畜生! ブヒ。

 俺は心配そうにしているリンの顔を見やった。今知った俺の正体には戸惑いを見せず、彼女は俺に最大限の心配を見せている。畜生、今思えば不細工だけどとことんいい奴だったな。もっともっと、出来れば今すぐセックスをシまくりたかった。

 そして〈ガイア教徒〉の尼僧を見やる。俺と同じ様に手を拘束され、うつむいてシートに座っている。こいつがトラックの前に飛び出してこなければこんな事にはならず、俺は一般的〈オタク〉生活を送れていたんだ。

 待てよ。そういえば、そもそもこいつは何で自衛隊から追われていたんだ。

 あの頑丈な錠に封印されたトランクの中身は何なんだ。

 そう考えた瞬間、コクピットからホイッスルの様な甲高く長い電子音が聴こえてきた。

「どうした!」貨客室で慌てる原出は操縦席の方へ向かう。

「僚機がロックオンされました!」コックピットからパイロットが報告を叫ぶ。

 次の瞬間、二〇メートルほど離れて同伴飛行していた戦闘ヘリがいきなり爆発した、オレンジの火球と爆煙の塊になったそれは四方八方に高速破片を飛び散らせる。

 衝撃波がこのヘリも叩き、幾つかの金属破片が機体側面を突き破って穴をあけた。

「何処からの攻撃だ!」

「地上からの地対空ミサイルの様です!」

 揺れる機内で無様にバランスをとる原出にパイロットは慌てて返答。

 コックピットから再び電子警告音。

「当機がロックオンされました!」

 その瞬間、俺はシートを立ち上がりながら原出の顔面に比較的自由なエルボーを打ち込んでいた。返す刀で原出とで俺を挟んでいた左隣の顔面にも肘打ちを一発。

 ついさっき眼をつけた、戦闘ヘリの破片がこの貨客室に開けていた穴の一つに走り寄り、その穴縁の金属のささくれに背をこすりつける。手首を縛っていたPETテープをそれでひっかけて力任せに切る。次いで親指同士を拘束しているそれも。

 ここまで反射的な動作。ありがたきは自衛隊時代に徹底的に鍛え上げられた緊急時の反応と、筋トレを続けていた俺の地道な努力。まだまだ現役にも負けんよ。

「貴様! 何を!」

 他の隊員達がワンレスポンス遅れアサルトライフルを構えた所で、第二の爆発が来た。

 今度はこのヘリの至近距離だ。爆発と同時に無数の弾帯が撒き散らされ、ヘリの側面、天井付近に無数の穴が穿たれる。その何発かがエンジンを損傷させたのは機体の挙動で分かった。バランスが傾く。

 隊員達は俺達を構っている場合じゃないと慌てた。

 ふん、経験値の違いだ。

「床に伏せろ!」

 俺はリンと尼僧にそう言うと、コックピットへの仕切りを跳び越して操縦席にとびこんだ。

 銃を抜いて振り返ろうとしているサブパイロットのマスクをつけた顔を、眼と眼の間を殴りつけて気絶させ、操縦席のパイロットの首筋に拳に手をそえた肘打ちで昏倒させる。

「えー! パイロットを殺しちゃって大丈夫なの^」

「俺はヘリの操縦も出来る!」

 騒ぐリンに言葉を返した俺は、パイロットからハーネスを外してシートから押し出し、操縦席に座った。腹がつかえる、がそんな事を気にしている暇はない。操縦レバーを握る。

 電子ディススプレイが並ぶコンソール。

 被弾したエンジンはストップし、燃料供給はストップしている。もはやローターに動力はない。

 俺はオートローテーションによる市街地降下を選択した。動力のないローターを降下する風で回転させてなけなしの揚力を得る。スピードはのろく、上昇は出来ない。不時着の為に降下スピードを殺しながら降りるのだ。

 今、地上からの攻撃の第三段が来たら終わりだ。

「何処かにつかまれ! ショックに備えろ!』貨客室は皆、機体の何処かにつかまっていた。自衛隊員もリンも尼僧もだ。尼僧はロザリオに何か祈りの言葉を唱えている様だった。

 地上の光景が迫る。マンションが点在する都市だった。ゴーストタウンだ。

「ブヒ!」

 俺は学校の校庭を見つけて、そこにヘリを不時着させる事にする。

 さすがにヘリの不時着は初経験だ。

 それにしてもこのヘリを攻撃したのは何者だ。

 自衛隊を眼の敵にする武装テロリストか。

 それともただの輸送物資狙いの野盗か。

 パンデミック後はこの類の輩が日本でも闊歩しているから困る。だから俺達の様な運び屋も武装しなければならないのだ。治安組織や猟師以外の銃武装が許されていない日本での俺の武器はクロスボウだが。そういえばあれもトラックに置いてきちまったな。

 ともかくこのヘリの不時着はそいつらも見ているだろう。駆けつけてくるはずだ。

 そいつらも困るが自衛隊が駆けつけてくるのはもっと困る、俺的には。

 ほぼ無音でローターを回すヘリは校庭に無事着陸した。最後はちょっとハードランディングだったが。

 機体を左に傾かせたヘリのコックピットで俺は貨客室を振り返る。

「皆、無事か!」

 振り返った俺はリーダーを失って貨客室で判断をつけかねている自衛隊員を見た。

 二人が床に倒れたままで腹の下が血の海になっている。不幸にも弾帯の散弾をくらったな。

 畜生。原出の奴は早速、気絶から醒めて起き上がりかけている。

 そんな貨客室で一番俺の眼を惹いたのは床に転がって、ゆであがった貝の様に口を開いているトランクだった。何という偶然か、機体に飛び込んできた弾帯の一部がトランクの左右の錠を両方とも撃ち砕いていたらしい。

「貴様! 何をする! 今ならばまだ投降すれば、俺達はお前も仲間も手荒く扱わん! 投降しろ!」

 原出が拳銃を向けながら俺に叫ぶ。ポジティブ(陽性)。その言葉は嘘だ。投降しても俺達に暴力をふるうつもりだ。嘘をつくとそいつのフィクションを考える脳の活動域が自動反応するので、誰も俺の〈嘘発見機〉はごまかせない。

 斜めになっている機体。俺は不整地で戦うのを目的にした拳法〈酔拳〉をかじった事がある。

 俺は素早く近づくとその拳銃の銃口近くを握り、銃ごと手を捻った。発砲。しかし丸外れ。原出が悲鳴を挙げる瞬間、決定的な正拳をマスクから剥き出しになっている眉間に見舞う。

 その原出の身体を盾として、拳銃を抜いている残り三人の隊員に近づき、一人に原出の両脚の隙間から蹴りを金的に見舞うと、原出を突き飛ばして残る一人の隊員にぶつけ、次の瞬間、原出ごとその隊員を渾身の体当たりでヘリの機内壁との間にサンドイッチにした。骨の数本も折れるだろう。

 ずるずると原出とそれに押し潰された隊員。

 残るは一人だが、最後の隊員がナイフは抜いていた。

 ヤバい眼だ。あいつに迂闊に手を出すのやばい。自衛隊時代にナイフの使い手の技を見た事もあるが、滑らかなカーブで手首から頸動脈までを一閃させ、それでおしまいだ。大量失血ショックで戦闘不能、死。

 俺は脂肪で波打つ自分の出腹を意識しながら、奴との距離を構えて測った。

 鷹の様な眼と向かい合う。緊迫した空気。

 冷静な判断。正直、戦ったら負けるな。

 と、重い金属音が響いた。

 ナイフ使いの瞳が上を向いて白眼となり、片方の鼻血から鼻血を流して床に崩れ落ちる。

 現れた背後の風景に立っていたのは、着陸衝撃で外れた機内補強パイプを脳天に振り下ろしたリンの姿だった。

リンは手首を拘束されていたが手は前方に出していた。それでパイプを握ったのだ。

 ヘルメットをかぶってないのが災いしたな、ナイフ使い。

「あんがとよ。やっぱし、お前と俺は相性ぴったりだな。後でたっぷりシようぜ」

 俺はリンにお礼の眼くばせを投げると、倒れている隊員からナイフを取り上げてそれでリンと尼僧の手首の拘束を切った。

 〈ガイア教〉の尼僧は自由になってまず自分の丸眼鏡のずり下がりを直した。

「ありがとうございます」

「礼よりも、それよりも……何だ、そのトランクの中身」

 俺は親指で彼女にトランクの中身を示した。

 ぱっかりと開いたトランク。

 その中身は十歳ほどの膝を抱えた裸の美少年。白い肌と肩で切りそろえられた艶やかな濃い黒髪のコントラストが眼につく、自分の顔の前をぼんやりと見つめたまつ毛の長い青い瞳はまるで寝起きの様だ。

「キバ!」

 尼僧はトランクの中身の名を呼んだ。そして、もう一度、トランクに閉じ込めようととびつく。

「よせ!」俺は叫んだ。「何だか知らねえが、そいつを走らせろ! ……そいつ、日本語通じるんだろうな」

 リンがそのキバという少年の手を取って立ち上がらせる。さりげなく少年の股間を見て「わお」と感動する。

「出るぞ!」

 俺はヘリ内から出た。

 人っ子一人いない校庭の中央にヘリは不時着している。とっくの昔に見捨てられた学校の校庭は広く感じる。

 俺と尼僧とリンと少年も、ヘリから出て走り始めた。

 少年は走らせようとすると走った。リンが手を引く。夢遊病者の如く無表情で少年は走った。尼僧はその少年の事が気になって仕方がない様だった。

 校門より近い所に三つの滑り台が付属したコンクリートの高い丘の様な遊具があった。ここは小学校か。中は空洞で入れるぞ。面白そうな遊具だ。子供心が疼くな。

 俺は皆をその遊具の中に入る様に促した。

 全員、その中に飛び込む。

 すると、その瞬間。

 ヘリコプターが爆発した。

 紅蓮の炎に包まれた自衛隊のヘリコプターはまだ中に生きていたはずの隊員と共に、燃え上がる黒煙の渦を膨れ上がらせた。

「ひどいです! 見殺しにするなんて!」

「……いや、俺も爆発までするなん思っていなかった」尼僧の非難に俺は心から訴えた。「……いや、違うぞ。ヘリを爆破したのはあいつらだ」俺は遊具内の皆を黙らせ、影の中に隠れろと手で合図した。

 校庭の中を一台の大型車が走ってきて、炎上するヘリからさほど遠くない位置で停車する。

 尼僧が一番驚いた顔をした。

 それは〈ガイア教〉の辺境用救急ボランティア車両だった。平たく言えば武装した救急車だ。青い円盤という〈ガイア教〉のシンボルも車体の各面に描かれている。

 その中から三人の男が降りてきた。

 皆〈ガイア教〉の僧服を着て、手にアサルトライフルを持っている。

 車の屋根にも一人乗っていた。そいつは発射済みのロケットランチャーの空砲を手にしている。

 口元をマスクで覆ったそいつらは派手な爆発の中で生き残りなんていないと思っているのだろう。しばし、炎を傍観していたが、やがてとどめとばかりに炎の中にライフルを一斉射した。救急車に戻ると、屋根の一人も乗り込んで発車した。

 Uターンして校庭を出て、何処へともなく走り去る。

 車の駆動音が消えてもしばらく俺達は遊具の中から出ず、マスクの下の荒い呼吸を整えた。なんてこったい。なんか変な事情に巻き込まれてる様だぞ。

「ともかくだ。事情を話してもらおう。ヘリを撃墜したのもあいつらだな。何であんたは自衛隊と身内であるはずの〈ガイア教徒〉に追われてるんだ」

「ちょっと待って下さい! 私も何が何だか……! 混乱して自分の事情がよく解らないんです!」

 丸眼鏡の尼僧は泣きそうな表情で俺にわめいた。ネガティブ。

「とりあえず名前を教えろ。俺の名は〈運び屋オーク〉。こいつはリン。お前は?」

「……るふです。木之江るふ」

 少女の自己紹介を俺はネガティブと判断する。

「そいつは?」

「キバ……〈イン・キバ〉だとお母さんは呼んでいました」

 るふはマスクをせず、このウイルス〈SARS2〉だらけのゴーストタウンに素顔を晒している美少年の名を俺達に教えた。ネガティブ。

「ねえ、この子、呼吸してないわ!」リンは走っても汗の匂いがないキバを観察していたが突然叫んだ。「この子、人間じゃない! 少年型の〈ラブドール〉よ!」

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