12話 勝ちヒロインは聞かせたい



「………もしもし」


 予想に反してワンコールで姫乃ひめのは電話に出た。

「あ、姫乃。僕だけど、わかる?」

「…………まむ」

「まあ、わかるよな。名前出るし。まだ起きてた?」

「…………」

「そうか、起きてるから電話に出てるのか。今はもうベッド?」 

「…………」

 ちゅーちゅーとストローを吸う音が電話口から聞こえてきた。またレモンティーを飲んでいるのだろうか。どうやらまだ布団には入っていないようだ。

姫乃と電話をする時は一事が万事この調子だ。いつもより輪をかけて喋らないので、漏れてくる環境音や沈黙の長さで感情を測るしかない。それでも、電話に出てくれるだけマシな方だ。


「今日はどうだった? 僕は姫乃が昼ご飯食べててマジびっくりしたよ」

「……………」

「明日はさ、ちゃんと来ないように兎和とわに言っておいたから」

「……………」

「参るよな、あいつ。本当に」

「………………………」

「うん、参るわ。本当に………本当に」

「……………………………」

「じゃあ、そろそろ寝るわ。ごめんな、夜中にそれじゃあ」

 無言の会話もさすがにそろそろ限界だろうか。そう感じて別れを告げると、

「待って」

 久々に電波に乗った姫乃の声が、予想と正反対の言葉を耳に吹き込んだ。

「え、なに?」

「………………………………………………………………………………」

「姫乃?」


 そこから、姫乃は長い沈黙を挟んだ。意図の読めない長い長い沈黙。

眠っているのか? そんな不安にかられた頃、姫乃は不意にスッと息を吸い込むと、


「ウーサーギーお―いし、かーのーやーまー」


突然、歌を歌い始めた。

「どうした、姫乃?」

「小ーブーナー釣ーりし、かーのーかーわー」

「姫乃? なんなの? 何で歌ってんの? え、これ保留音じゃないよな?」

「ゆぅめーはー、いぃーまーも、めぇーぐーぅりーてー」

「姫乃って! 怖い怖い! どうしたんだよ、何で急に歌い出したんだよ!」

「わーすーれーがーたき、ふーるーさーとー」

「…………」

「…………まむ」

 いや、まむじゃなく。マジでどうしちゃったの、姫乃さん?

「………声が……聞きたいのかなって……思って」

 恥ずかしさに耐えるように、途切れ途切れに姫乃は言った。

「声………?」

「うん。夏は、わたしが、電話嫌いなの……知ってるでしょ。それなのに……メールじゃなくて電話を……かけてきた。本で読んだことがある……恋人は落ち込んだ時、恋人の声が聞きたく……なるって。でも……わたし……兎和ちゃんみたいにうまく喋れないから………だから……」

 だから、歌ったっていうか。僕のために。歌なんて下手すりゃトーク以上に勇気が必要だろうに。

「……元気出た?」

 この子は、この子は本当に。

「ありがとう、めちゃくちゃ元気出たわ」

「よかった………二番も聞く?」

「聞く」


「こーこーろーざーしを、はーたーしーてー」


確か、アレキサンダー・グラハム・ベルとかいったか。

貴方に心の底から感謝を捧げたい。この世に電話を生み出してくれた、貴方に。


「いーつーのー日ーにか、かーえーらーんー」


 今日、この子に電話ができて本当に良かった。

今、この子の声が聞けて本当に良かった。  


「やーまは、あーおーき、ふぅーるぅーぅさーとー」


やっぱり僕は姫乃が大好きだ。

 そのことを改めて確信できたから。


「みーずーはーきーよきー、ふーるーさーとー」


「姫乃……」

「………」

「それ、三番だわ」

「まむっ?」


 なぬ? みたいに言うんじゃないよ。



 姫乃に出会ってそろそろ半年になるだろうか。

 初見から何を考えているのかわからない子だったけれど、時を重ね、顔見知りになり、顔見知りから友達になり、友達から恋人になった今、やっぱり何を考えているのかわからない。


基本的に姫乃は何も変わらない。何を考えているのかわからない同級生が、何を考えているのかわからない恋人になっただけだ。決して多動的な奴ではないが一秒後に何をし始めるかわからない、それが姫乃だった。

 しかし、それが当たり前なのかもしれない。出会ったばかりの頃、『お前が何を考えているのかわからないよ』、そう姫乃に告げたことがある。その時姫乃は心底不思議そうな表情をして言葉を返した。


『わたしも、自分以外の人間が何を考えているのかなんてわかったことがない。あなたはわたし以外の人間だったら全員考えてることが完璧にわかるの?』

人が他人を完璧に理解することなど所詮不可能であり、浅はかで傲慢な試みなのかもしれない。事実僕は姉弟同然に育った兎和の告白を全く予見できなかったし、

「――おはようございます、夏さん」

 次の日の朝の出来事もまるで予想できなかった。


「夏さん、起きてください。朝ですよ~~」

 その日の目覚めは、鼓膜を撫でるような穏やかな声によってもたらされた。

「外は良いお天気です~~。絶好の修学日和ですね。さあ、起きてくださいまし~~」

 ……いや、誰だよ、お前。

 寝ぼけ眼でエプロン姿の幼馴染を見つめる。

「お目覚めですか、おはようございます~~」

 ……兎和じゃん。

やっぱ兎和じゃん。朝からなにやってんだ、こいつ。

「朝餉の支度が出来ておりますので、お着替えが終わりましたら降りて来てくださいましね~~。ではごきげんよう~~」

 薄笑みすら浮かべながら静々と部屋から出て行く兎和。その後ろ姿を見送りながら、

「……なあ、なにやってんだよ」  

 寝起きのガッサガサの声で呟いた。


「それでは一緒に召し上がりましょう。頂きます」

「……頂きます」

 まだやってるし。

「おや、どうしました、夏さん?」

 お前だ、お前。お前がいったいどうしたんだよ。おや、とか言ってますけど。

「わたくし……反省したのです」

「反省?」

「はい」

 頂きますの形で手を合わせたまま兎和は頷いた。

「夏さんのことを吹っ切った、普段通りの生活を過ごしたいと提案しておきながらの数々のポンコツムーブ。今振り返っても忸怩の極みでございます」

 ジクジってなに?

「その原因をわたくしなりに分析しましたところ、線引きの曖昧さにあるという結論に至りました」

「はぁ、綱引きっすか……」

「線引です」

 僕のおふざけをぴしゃりとシャットアウトするように、兎和はテーブルの上に指でツッと線を引いてみせた。


「いかに姉弟同然に育ったとはいえ、やはり男女の差は大きゅうございます。そこを無視して表面上だけ今まで通りの日常を取り繕うとしてしまったがために無理が生じ、昨晩のような痛ましい事件が起きてしまったのでございます」

「いやー、昨日はキツかったよなー。マジで。母さん全然空気読まないし」

「ユッコさんだけではありません。朝の教室とか、昼の家庭科室とか、思い出しても頭が痛くなります。あのような惨劇を繰り返さないためにも! これからは慣れ合いを排し、線引きを厳しいものにすることにより、一刻も早く夏さんへの恋心を過去のものにしたいと思う所存でございます」

「その為の敬語ってこと?」

「はい」


 ……また極端なこと始めたなぁ。

「何事もまずは形からと思いまして。ああ、喋ってばかりではいけませんね。遅刻してしまいます。ささ、朝餉を頂きましょう」

「その朝餉ってのは朝食の尊敬語としてあってるのか?」

「今日のお味噌汁は大変工夫がこらされておりまして――あっち! あっつい! びっくりしたぁ! ごめん、なっちゃん。また味噌汁マグマに………なってしまったのでお気を付けくらはいまひね?」

「お、おう、舌大丈夫か? 氷いる?」

「お願いひまふ」

 こりゃあ、いったいいつまで続くことやら。半泣きになりながら氷で舌を冷やす兎和見ながらしみじみとそう思った。


「おはようございます、亀島さん。今日もお迎えお疲れ様です」

 意外に長く続いたから驚いている。

 長くても朝食終了までには飽きるかなと思っていた敬語路線がどうしてなかなか崩れない。姫乃が迎えに来ても崩れない。まさかこのまま卒業まで押し通す気じゃないだろうな。

「……と、兎和ちゃん?」

「あら、どうなされたの、亀島さん。そんな強張った顔をして。可愛い顔が台無しですわよ」

 強張りもするわ。姫乃は何の説明も受けてないんだぞ。てゆーか、この線引き用の丁寧語って対僕だけでいいんじゃないのか。見境なくなってんじゃん。何ちょっと気に入ってんだよ。

「あ……う……ええ?」

 ほら見ろ。変なこと言うから姫乃が混乱してるじゃないか、可哀想に。

「気にしなくていいよ、姫乃。これはあのー、発作みたいなもんだから。温かい目でスルーしてやってくれ。さ、学校行こうぜ」

「で、でも………と、と、と、と、兎和ちゃん……」

 そう言われても姫乃はやはり気になるようで、目に涙を溜めながら必死に兎和の名前を呼ぶと、

「……あ、あ、あ、明日、土曜日……暇?」

「は?」

「よ、よ、よ、よければ……わ、わ、わ、私と………付き合ってもらえませんか?」


 兎和よりも遥かに変なことを言い出した。

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