11話 負けヒロインは忘れている。


「――――ああ、疲れた」


 月に向かって呟いた。

 僕の部屋の窓辺である。現在時刻は………もう十一時かよ。

酷い目にあった。本当に酷い目に合った。

あの後、標的を切り替えた母の追撃に滅多打ちにされながらなんとか夕飯を終え、部屋でふて寝をする兎和とわに食事を届け、風呂に入ってしばし放心していたら、いつの間に真夜中になっていた。

もう寝ないと。そう思ってカーテンを閉めようとしたら、無意識に窓を開けており、無意識に窓枠に肘をかけており、無意識に月に向かって独り言ちていた。

「――お月様、あなたはどうしてそんなに綺麗なんですか?」

 最初はそんなことを呟いたのだと思う。

「――お月様、なんで家でこんな気苦労を感じなくちゃいけないんですか?」

 月は何も答えない。ただ叢雲に透けながら輝いているだけだ。

「――お月様、昨日までの平穏を返してください」

 やっぱり月は答えない。答えないから、


「……ごめんなさい」


代わりに隣室の住人が返事をくれた。

「うわぁっ、びっくりしたぁ!」

 兎和がいた。風呂上がりなんだろうか。眼鏡を外し、頭にタオルを巻いた幼馴染が僕と同じスタイルで窓から顔を出していた。

「今晩は、なっちゃん」

「おう、今晩は―――じゃねえわ、いつからそこにいたん?」

「……二時間くらい前」

「風邪引くぞ、風呂上がりに」

「…………………はあ」

「なんだよ」

 兎和は窓枠にのっけた腕に頬を乗せる、じっとこっちを見つめた。

「やっぱり、なっちゃんは優しいね。びっくりしたのに、すぐにうちの心配してくれる。だから好き」

「やめろって」

「ぐぅあっ、さっきユッコさんに抉られた傷が痛む……」

 何をやってんだ、こいつは。

「もういいから窓閉めろよ。ホントに風邪引くぞ」

「うん、閉める」

「………………」

「………………」

「閉めろって」

「ホンマにごめんね、なっちゃん。うちが告白しちゃったばっかりに、余計な苦労を」

「そんなこと―――」

 思ってないよとはさすがに言えなかった。独り言を全部聞かれていたのだから。

「あーあ、ホンマなんで告っちゃったんやろ。百、断られるってわかってたのに。アホやなー、うち。もう死にたい」

 タオルでグルグル巻きになった頭をポンポンと掌で叩く兎和。

「窓閉めろって」

「あー! ホンマに死にたいー!」

「……なあ、兎和」

「ん?」

「僕はさあ、兎和のこと本当に家族としか思えないんだよ。付き合うことなんて永遠にありえないし、例え人類が僕達二人になっても子孫を残そうなんて微塵も思えない」

「う、うん。え、なに、この唐突な死体蹴りタイム。もしかして窓から飛び降りろって言ってる?」

「でもさ、嬉しくはあったから」

「え?」

 パッと兎和の目が見開かれた。コンマ数秒僕達は見つめ合う。眼鏡を外した兎和の瞳は月の光を跳ね返し、この世の物とは思えない不思議な色を放っていた。

「僕は兎和のことは好きなんだよ、人間としてな。尊敬してるし、いいヤツだと思ってる。だからそんなヤツに好きって言われて、驚いたけど………嫌ではなかったから」

「なっちゃん……」

「そんだけ。もう窓閉めろ、マジで風邪引くぞ」

「………ありがと、嬉しい」

 そう言って兎和は笑った。瞳に宿った月の欠片がパッと散る。

こんなことを言って本当に良かったのだろうか。あるいはこの発言は、後々兎和を苦しめることになるのかもしれない。それでも僕は兎和に笑って欲しかった。例え冗談でも、死ぬなんて悲しいことは言って欲しくなかった。

「ねえ、なっちゃん。あれ見て、桜の木」

 兎和が自分の家の庭を指して言う。

「あの桜んとこでよく遊んだよね、小さい時」

「ああ、そうだな」

「それでさ……ぐふっ、くぷぷぷ」

「なんだよ、急に」

「いや、ほら、なっちゃん……ふひひひ……あ、あの木の下でさ、うちにプロポーズしたことあったやん、ネタで……ぐぷぷぷ」

「はあ? なんだよ、それ。知らねーって」

 脈絡もなく何を言い出すんだ、こいつは急に。

「嘘ぉ、あったって。小1のエイプリルフールにさ、うち騙そうとしてプロポーズして来たやん」

「知らん知らん」

 マジで知らん。

「えー、ホンマに覚えてないん? ほら、なっちゃん、おじさんのスーツ着てさぁ、庭の花まで摘んでさぁ……あははは、あれマジ爆笑やってんけど。マジで覚えてないん?」

「覚えてねーし、やってねーよ」

「マジかー。覚えてろやー。記憶どうなってんねん」

「お前こそ、記憶ねつ造すんなよ」

「ねつ造ちゃうし。そっかー、覚えてないんかー。でも、あん時プロポーズ受けてたらなー。ワンチャン今頃付き合えてたんかもしれんなー。ぶっちゃけあん時くらいからなっちゃんのこと好きやったし、うち。でも、ネタのクオリティが高すぎておもろいが勝ってもうたんよなー。惜しいことしたー。ネタに乗っかって押し切ったったらよかったわー」

「もういいって。そんなネタマジで知らねーし」

仮にあったとしても、今言うことか。

「あははは、そっかあ――はっくしゅ。ああ、ヤバい。マジで寒くなってきた」

「もう終わりにしよう。本当に風邪引くわ。温かくして寝るんだぞ」

「うん、おやすみー。ありがとう、なっちゃん」

「おう」

 手を振る兎和にそう返し、僕は窓を閉めてカーテンも閉じた。

 まったく。どういう記憶の錯乱の仕方をしてるんだろう、あいつは。よりによって僕がふざけて兎和にプロポーズをしただって?

「……ありえねーだろ、そんなこと」

 そう呟いて電気を消した。もそもそとベッドに潜り込む。壁の向こうからギシッと木材の軋む音がした。兎和も寝床に着いたらしい。

 ………眠れない。

 瞼を閉じて十秒でそう確信した。今日は色々あり過ぎた。このままじゃ気が高ぶってとてもじゃないが眠れそうにない。

「参ったな……」

 暗闇に溜息を吐き出した。腸が糸になってつらつらと吐き出て行くような深くて細くて長い溜息。

 ………あれ? もしかしてこれ、僕も効いちゃってるんじゃないか? 

夕飯以来兎和の心配ばかりしていたけれど、一人になって落ち着いてみて初めて気付いた。僕もしっかり精神にダメージを負っちゃってるじゃないか。

 スマートフォンのサイドキーを押し込んだ。午後十一時半、電話をかけるのに相応しい時刻とは言えないだろう。ましてや相手が普段から電話が嫌いだと公言しているならなおさらに。するならメールだ。電話じゃない。


そんなことを全て理解したうえで、僕は通話ボタンをタップしていた。


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