勇者になりたくない主人コウ~故郷への帰還を夢見て~

時斗

第一部 巻き込まれた異世界転移

第0話 プロローグ:異世界召喚!?




「……気持ちのいい朝だな……」


 僕は部屋の長椅子に座って頬杖をつきながら、今では見慣れた光景となった窓の外をぼんやりと眺めていた。空はもう明るみを帯び始め、爽やかな夜明けの光が部屋の中に入ってくるのを心地よく感じつつ、小鳥たちの囀る声に耳を傾ける……。


「お早いですね……、もう少しお休みになられた方が宜しいのではありませんか?」


 そうしていると透き通るような澄んだ声が響き、この部屋の同居人でもある金髪碧眼の女性が、淹れてくれたであろう紅茶を持って僕の傍にやって来た。朝の挨拶と一緒に、どうぞと差し出される紅茶を有難く受け取りながら、


「ああ、有難う……。もう充分休んだから、大丈夫だよ」

「……本当ですか?コウ様の『大丈夫』はあまり当てになりませんから心配です……。お願いですからそちらを飲まれた後で少し休まれて下さい……」


 僕の名を呼びつつ心配そうにそう訴えてくる彼女に、ゆっくりしておくからと宥めると、納得はしていない様子ではあったが何とか引き下がってくれる……。一度決めたら中々折れる事のない頑固な僕に溜息をつきつつ、普通の人には見られない長く尖った耳を垂れ下げながら、自身も近くの長椅子に腰掛ける。


 ……因みに彼女は人……いわゆるヒューマン族ではない。エルフと呼ばれるヒューマンとは別の種族であり、外見上は余り変わったところはないが、見分け方としたら人よりも少し長く、尖ったようなその耳が特徴的だろう。また、エルフという種族は比較的容姿が整っているらしく……、特に女性は顕著で、ほとんどの場合が美女であると聞いている。

 その中においても彼女は群を抜いて美しく、100人いたら100人が思わず振り返ってしまうくらいの飛びっきりの美女であった……。


「あら?起こしてしまいましたか、シウス……」


 彼女にくっついてきていた立派な紫色のたてがみが印象的な犬のような生物に気が付くと、そっと席を立ちそのシウスと呼ばれた生物を伴って高級そうなカーペットが敷かれたところに脚を崩して座り、優しく撫ではじめる。シウスは気持ちよさそうに彼女の傍で丸くなり、それを見て彼女も優しく微笑みながらシウスを毛づくろいするように撫で続けていた。見惚れるような彼女の笑顔にドキッとしながらも、長く一緒にいるというのに未だに彼女の魅力にやられてしまう自分に苦笑する。


(……平和、だなぁ)


 そんな彼女たちの様子を微笑ましく眺めていると、入り口をノックするような音が聴こえ、士官服を身に纏った黒髪の女性が入ってきて、


「もう起きていたのね。昨日の今日だし、もっと寝ていてもいいわよ。フローリアさんからも許可は頂いているから」

「ユイリ……。なんていうか……目がさえちゃってさ」


 ユイリと呼んだ黒髪をポニーテールに纏めた女性にそう答えると、呆れたような表情を浮かべながら彼女は、


「目がさえてって……。ほんとに子供のような勇者様ね……」

「勇者って……全く、僕は勇者じゃないと何度も言っているじゃないか……」


 勇者っていうのは僕と一緒にこの世界にやって来た、もう一人に言ってくれ……、そんなニュアンスを込めてユイリに抗議をする僕。


「はいはい……、でも昨日の事件を解決した事で、貴方の事を勇者と思う人も多いと思うわよ?特に事件に巻き込まれた当事者にとっては、ね……」

「……それでも襲撃してきた魔族たちを退けたのはトウヤなんだろう?そりゃあ僕たちが相手にした海賊たちも厄介だったけどさ……。別に僕一人で解決した訳でもないんだし……」


 昨日、僕たちに緊急の依頼クエストが来て解決した『大公令嬢誘拐事件』。魔族の襲撃にあわせて起こした海賊たちの略奪に巻き込まれた大公の令嬢を救出すべく、ほぼ僕たちギルドのメンバーだけで討伐に向かったのだけど……。相手も名のある有名な海賊だった事もあり、殆ど一日がかりの作戦となってしまったのだ。

 犠牲を出さずに無事に令嬢を救出でき、海賊が溜め込んでいたお宝も全て回収し作戦は大成功には終わったが……、それでも自分が勇者云々言われるという事とは別の話である。


 そもそも僕たちの所属している王城ギルドを主体として解決に導かなければならなかったのは、単純に人手が割けなかったからだ。

 『十二魔戦将』と呼ばれる者が魔族や魔物を率いて同盟国を襲撃してきたという事で、対魔王における世界同盟の間の緊急動議が発動されたのだ。

 それにより、勇者と認知されていたトウヤを始め、王国の屈強な戦士たちはそちらの救援遠征に出なければならず、僕たち以外に動ける者がいなかった。そうでなければ大公家の者が誘拐されて、そちらに人が割けないなんて事があろう筈もない。


「……あまりコウ様をからかうものではありませんよ、ユイリ」

「全くだよ……、シェリル、もっと言ってやってくれ……」


 そこで今まで黙って聞いていたエルフの美女、シェリルがそう助け船を出してくれる。流石に彼女にそのように言われて、ユイリも何処か僕をからかう様な態度だったのを改め、


「これは失礼致しました、姫……。でも、ここに来たばかりの時と比べて、随分と頼もしくなったとは思っているわよ?強くもなったし、今なら勇者と呼ばれても貴方自身あまり抵抗はないんじゃないかしら?」


 今でも私を振り回してくれるところはあまり変わらないけれど、と苦笑しながら話すユイリに、


「……まさか。強くなったと言っても、それは自分と身近な人を守るくらいしか出来ないよ。僕の力はあくまで自衛の為のもの、あくまで元の世界に戻る為に必要な力しか持ち合わせてはいないんだから……」

「それでも、貴方を勇者と認める人たちはいるわ。私たちもそうだし……、貴方と交流を続けているジーニスたち……、そして昨日の大公家の方たちだって、きっとそう思っていると思うわ」


 今度は別に揶揄っている風には感じられないユイリに、シェリルまでもが同調するかのようにこちらを見ている。そんな彼女らに、自分の胸の内を語ってゆく……。


「……僕は勇者じゃないよ。確かにこの世界でも何とか戦える強さだけは身に付いたけれど……、それでも僕は単なる一般人だよ……。とても勇者なんて務まるような人間じゃない。今でも、元の世界に戻れる事を願っている……、ただの一人の人間さ……」


 そう言いながら、僕は今までの出来事を思い返す……。この世界ファーレルにやって来る事になったあの時の事や、これまでの日々……。今に至るまでに起こった数々の出来事にゆっくりと思いを馳せていった……。











 ……タス……ケテ……!


「また……!一体何なんだ、さっきから……」


 一段とハッキリ聞こえた声らしきモノにボヤキながら周りを見渡す。当然の事ながら、ソレを発した人らしきものは見当たらない。


「おいおい、今度は何だ?大丈夫か、お前……」


 キョロキョロとする自分の姿に訝しむように同僚が声を掛けてくる。夜の10時をまわる時間に、明らかにおかしな行動をとっているのだから、頭がおかしくなったのかと思われてもおかしくはない。


「ああ……、大丈夫、だと思いたい……」

「頼むぜ、本当に……。まあ、このところ結構ハードだったからな。疲れているだろうとも思うが……」

「それはお互い様だからな……。でも今日は何だか変なんだよな……。何か声のようなものが聞こえてさ……」


 心配させている仕事の同僚にそう返答する。外回りをしている時も何処からともなく先程のような幻聴が聞こえてきて、幾度となく振り向いたものだった。まるで助けを求めているかのようなソレがどうしても気になってしまうのだ。


 しかしながら思い当たるようなモノもなく、結果的に挙動不審な様を晒してしまっている。


「声……?そんなもの、何も聞こえないが……」

「そうだよな……。悪い、多分勘違いだと思う……。何か今日はずっとこんな調子なんだ……」


 最近、仕事が一段と忙しくなり、仕事場を出るのが0時をまわっている、という事も珍しくない。まぁ、忙しくない時は定時近くに帰れる職場なので、ブラック企業というものではないと思うが。


「疲れてるんだよ、お前。昨日、ていうか今日になるのか……。家に帰って1時間としない内に出社してきてるんだっけか?」


 そんなんだったらまだ家に帰らない方がよかっただろ?そのように続ける同僚の言葉を聞きながら、自身の体調を鑑みる。確かに多少疲れてはいると思うが、身体は現在の状況に慣れてきている。


 あまりこんな事に慣れたくはないが、明日を乗り切れば休みをとれるという事もあり、気力的にも問題はないように感じる。……今日起こっている謎の声の事さえなければ。


「もう今日はあがれよ。ある程度目処はついてるんだろ?明日やれよ、明日!」


 そう言いながら同僚は帰り支度をしているようだった。正直に言うと、今日中にやっておきたい事はまだ残っているが、同僚の言うとおり帰ろうと思えば切り上げる事も出来る。どうするか少し考えて、


「11時前にはあがるようにするよ。確かに集中できてないのも事実だし……」

「……まあ、そう言うんなら止めないけどな……、じゃあ、お疲れ」

「ああ、お疲れ様」


 若干心配そうにこちらを見ていた同僚だったが、溜息をつきながらそう言って会社を出て行った。これで会社に残っているのは自分1人になる。しばらく静寂の中、キーボードの音だけが響いている状況であったが、そんな時また微かに声のようなモノが聞こえてきた。


『――ッ』

「ああもうっ!何なんだよ、一体!?」


 キーボードに思いっきり拳を叩きつけたい衝動に駆られるのを必死に我慢しながら、夜中の事務所で叫ぶ。……やはり、そんな声を発しているモノはない。そもそも現在、会社に残っているのは自分1人なのだ。他の誰もいる筈もない。


「……帰るか」


 一気に脱力感が自身を襲い、仕事をし続ける気力も失せた自分はそうごちると帰り支度をはじめるのだった。






「はぁ……、これが続くようなら本当に病院に行った方がいいかもしれないな……」


 今日の自分の奇行に対し、同僚達に幾度となく言われた言葉であったが、少しは真面目に考えてもいいのかもしれない。最も、こんな事が続くなら精神的にまいってしまう。


 まして、幻聴はまるで助けを求めてきているようにも感じるのだ。正体もわからず、困惑するばかりだが、仮に無視し続けるにしても気分が悪い。


「まあ、ウダウダ考えても仕方がない!それよりも今度実家に戻る際に何か買っていかないとな……」


 無理矢理考えを切り替えるように自分の両親達について思いを馳せる。既に定年を迎え、最近持病により入退院を繰り返している父親とそれを支えている母親。そしてお盆や正月などに帰省した際にたまに会う弟……。確か今回は帰ってくるって言っていたっけ……。


「それなら寿司でも買って帰るか……、あと、1週間頑張ればお盆休みになる……」


 だからこそ今が一番大変だが、ある程度区切りをつけておきたい……。そうすれば、休みはきっちり休む事が出来る。地元に帰ったら同じく戻ってきている連中と一緒に飲みに行くのもいいし……。


『タス―――ッ、オネ―――ッ!』

「…………またか」


 あと少しで家に着くという所で、また幻聴が聞こえてくる。先程よりも若干はっきりと聞こえてきたようだった。


「全く、本当にどうしたんだろうな……」


 どうせ何もない……、そう思って声の方向に足を進めてみる。自宅アパートから少し離れた先の駐車場に出る。時間も時間だからか、人通りの無い有料駐車場を見渡すも何も異常は感じられなかった。


「……やっぱり何もない、か。馬鹿馬鹿しい……早く帰ろう」

『おね……い!わた……を、たす……て……!』


 そう思い背を向けるも再び何処からか声が聞こえてくる。それも、今日聞いた声では一番と思える程の声が……。


「全く、本当にどうかしている……!」


 駐車場の脇の路地に迷わずに入っていく。真夜中に人通りの無い通りのそれも路地裏に入るなど、普段ならば絶対にやらない行動だとも思うが、今日はずっとこの『幻聴』に悩まされたせいか、特に気にする事もなく足を進めると、やがて行き止まりとなる。やっぱり、何も変わった様子はなかった。


「…………一気に疲れが溜まった。もう何が起こっても帰ろう……」


 ガックリと肩で大きな溜息をつきながら、来た道を戻るべく振り返ろうとした矢先、足元に奇妙な紋様の方陣が浮かび上がる。


「なっ……!?」


 白い光に包まれながら、その魔法陣のようなモノに捕われた形となり、混乱する自身に、はっきりと透き通るようで、でも何処か切羽詰るような声が聞こえてきた。


『お願いします……、どうか、わたくし達をお助け下さい……、勇者様っ!』


 その声を最後に、余りの眩しさに何も見えなくなる。その光が収まった時、消えた自身の持っていた鞄だけが、その場に残されているのみであった……。

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