第12話 実行

 五階のフロアは異様な空気感に満ちている。

「・‥ふう。結局全員が残る事にしたのか」

健一の言葉にフロアの緊張感はさらに高まる。

その言葉が宣戦布告のように響いたからだろう。

突然非常ベルが鳴る。

「防犯、防火システムの点検だ。心配するな」

内藤にはあらかじめ伝えられていたのだろう。

他の者たちが一瞬緊張したのに対し、落ち着いて言い放つ。

だが防火シャッターが降り始めると、内藤も驚きを隠せない。

「な、何だ。この事は聞いていないぞ。防火シャッターは降りないはずだ」

「伝えていないからな」

健一が静かに言う。

「お前の仕業か、まあいい。どうせお得意の炭酸ガスだろう。その対策はしてきている」

そう言ってマスクを出し、口に当てる。

「小型だが、この酸素ボンベは5分位は十分持つ。それだけあればお前一人を始末するのには十分だろう」

そう言って健一に近づく内藤達。

黙って目をつむっている健一。

防火シャッターが完全に閉じ、部屋が暗闇になる。

次の瞬間、シュゴーと音を立て排気システムが作動する。

数秒して非常灯と案内灯が点灯するが、その時には健一の姿が無い。

急激に部屋自体が減圧され、全員激しいめまいと共に意識を失い倒れてしまう。

5分後、消化剤が混合された空気が放出され、気圧はほぼ通常状態に戻る。

倒れている者たちは、釣り上げられた深海魚のように眼球が飛び出している。


「いてて。天板の蓋、予想以上に強く吸い戻されたな」

健一が脚立から降り、両手で揉み込むように指をさすりながら呟く。

そこは4階のフロアだった。

「無茶をしましたね」

いつの間に来たのか、太田が立っていた。

「ああ、太田さん。要求通りの仕様、さすがです」

「彼等の処理はこちらでしておきます。・‥残念な結果となってしまいましたが」

「そうだね。出来れば一人でも多く考え直して欲しかったんだが・‥ゆがんだ思想というものは正常な思考をさせないらしい」

「山岸の方も済んでいます。皆、優秀な人材だけに残念です。・‥大丈夫ですか」

「・‥大丈夫、では無いな。これまで多くの人の命を奪ってきた事実は消せない。ただ、これまでは依頼に対し、よりベターな事をした結果、それが対象の死に繋がった。だから殺したという感覚は薄かった。だが、今回は一度で大勢が対象だった事もあり、死ぬ確率の高い事を意識して実行した。・‥俺は殺し屋だからな、仕方ないさ。だからって訳じゃ無いけど、自分自身も死を身近にしてみた」

「・‥非常口から脱出するのが少し遅れたら、減圧下で扉を開けるのは出来なかった。あなたも死ぬ確率が高かったのですよ」

「もしそれで命を落とす事になったとしても、それも一つの結果さ。・‥しかし防火システムの動作プログラム、完璧でした」

「あなたの計画がですよ。ここに彼等を自然に誘い出す手法も、処理の方法も」

「彼等はデータ重用主義の様だったからね。日常目にするものを加工して思考と行動を気づかれないよう誘導して貰った。小林オーナーも思考誘導してこのビルの消火設備をIG-541(不活性ガス)消火剤で消火する設備にさせた。少し減圧しながらシャワーのように消化剤を散布するシステムにする。本来は人体にはさほど悪影響無く避難出来るはずだからね。だが今回はまずあの部屋だけを封鎖しかなり減圧する。そして減圧してから消火剤を噴出するまでの時間を5分程遅延するよう操作してもらった。設計図には無い耐圧非常口をあの部屋に作ってもらったのは自殺する気は無かったからだけどね」

「建築資材の搬入出時、彼等の処理と共に非常口は無くすようにしておきます」

再び非常ベルが鳴る。

5階フロアの防火シャッターが上がる音が聞こえてくる。

その音が聞こえなくなるまで無言で聞いている健一と太田。

「オーナーの小林さんはどうしている?」

「今頃、内藤達を見送っていますよ」

「顔立ちのよく似た人物をお願いしたが、内藤だけでは不安だったけど、騒ぎにならないと言う事は上手くいったみたいだね」

「初めて会う集団の、全員の顔なんて覚えていない。メインの人物だけで後は人数と服装が同じなら判らない。そう言ったのはあなたでしょう」

「本当は自信なんて、無かったけど。今回は一度で多くの対象を相手にする必要があったからね。・‥俺は殺し屋。もう、戻れ無いな」

「・‥」

健一の目に暗いものが翳るのを太田は感じていたが、言葉はかけなかった。

「そういえば、健太君が下に来ていますよ」

「え、健太が」

「内藤達が少し遅れたのは、実は健太君のおかげなんですよ。それが無かったら手配が間に合ったかどうか。微妙なところでした」

「あいつ、ついてきたのか、気がつかなかったな。健太が何かしました?」

「内藤達の乗る車の前に飛び出しましてね」

「け、健太は無事なんですか」

「大丈夫。彼、面白いですね」

「とりあえず下に行きましょう。健太!」

健一の目にはもう、翳りは消えている。

「やはりあなたは大丈夫だ」

「え?何が?それより早く行きましょう」


1階に降りると健太が小林オーナーに貰ったアイスクリームを美味しそうに食べている。

「健太」

「父。これ、美味しいぞ」

「お前、何でついてきた」

「・‥父、今日、変だった」

「はは、健一さんにとって、初めての大きな仕事でしたからでしょう」

二人の雰囲気を変えるように太田が笑いながら言う。

「そうだよ、お父さんはこの建物の美術アドバイザーなんだよ」

小林オーナーが太田の言葉を受け取り健太に言うが、健太には理解出来ていない。

「びじゅつあどばいざー?正義の味方の名前か?」

「名前じゃ無いよ」

健一が苦笑いしながら言う。

「まあ、それでいいじゃ無いですか」

太田が微笑みながら健太の頭を撫でる。

健太がアイスクリームを食べ終わるのを待っている間雑談をしていると、施工業者がやってきた。

建築資材やシートを持って15、6人で上に行く。

「ああ、上の階がまだ完成していません。壁なんかもむき出しのままでね、来週にはほぼ終わると思います。そうしたら又、健一さんに見て頂かないと」

「了解です」

内藤達の処理をしに来たであろう事は健一には判っていた。

多分、廃材と一緒に運ばれるのだろう。

塗料や接着剤等の匂いで死体の匂いも気づかれない。

運ばれた後、どう処理するかまでは知らない方が良さそうだ。


帰りは太田が車で作業場まで乗せてくれた。

「あいつ、緊張していたのかな。ぐっすり寝ている」

健一が後部座席を見ると、健太は寝息を立てて眠っている。

「彼が面白いと言ったのはですね、その類い希な資質にです」

「・‥」

「内藤達の車の前に飛び出した事は話しましたね」

「ああ」

「実は車は止まりきれず、健太君をはねたのです」

「え!」

そう声を発してもう一度後部座席の健太を見る。

「大丈夫です。車に当たる瞬間、逆方向に飛んで衝撃を緩和しました。まるで野生動物のようでした」

「いや、子供は体が柔らかいから」

「それだけではありません。彼、立ち上がって何言ったと思います」

大体の想像はつくが黙っている健一。

「お前達、嫌な匂いがする。父のところに行かせない。ですよ。独特の感性をお持ちのようだ。まあ、彼等は健太君が無事のようなのでそのままあのビルに入ったのですが。追いかけようとしている彼を止めに行った私を見て、おじさん匂いがしない。でも変な感じはしない。って、どういう意味です?」

「はは。・‥太田さんがただものでは無いけど、悪い人じゃ無いってことさ」

「私は自分を良い人間だとは思っていませんよ。その自覚はあります」

「彼等にはその自覚は無かったようだね」

「彼等も優秀な人材だっただけに、残念な事です。それにあなたが闇に落ちそうな時、健太君はそれに気づいていました」

「そうだな、あの時は危なかった。人を殺したという実感、それも一度に大勢を。自分が殺し屋だと改めて突きつけられたからね」

「しかし、匂いとは面白い表現をしますね」

健一は苦笑いをする。

(本当に匂いとして感じ取っているとは言わない方が良さそうだ)

「彼のあの感性や、性格はあなたと周囲の方々のおかげですね」

「ああ、百合子さんや由美、美幸のおかげかな」

(それと山本さんもいるな)

健一の心の声まで聞こえたように、少し間を置いて太田が言う。

「実は今度、学校を経営する事にしましてね、小さな子供のうちから才能のある子を育てようと計画しています。健太君も入学させませんか」

「まさか殺し屋の育成じゃ無いだろうな」

「当然です。CIAやNSAに近い、新たに設立予定されている国家組織のエリート育成校ですよ。現にこの組織も主なものは情報収集です。情報は優秀な調査員達が実際に赴き、その5感あるいは第6感を駆使して得る事が重要なのです。その活動の中で自分の身を自分自身で守る技術や技能、あるいは外部からの支援をするための部隊が不可欠なだけです」

「情報を得る件に関してはその通りと思う。・‥国家組織ね。誰のための国家、か」

そう口に出しながら内藤達との会話を思い出す健一。

「何を言っているんです?国家とは全ての国民を守るための意思のよりどころとなるものです。特定の個人や団体の為にあるものではありません」

「ははは、あなたからその言葉を聞けて良かった」

「何かおかしな事を言いましたか?これまでも、より多くの善良な国民の為に使役してきたつもりですが」

「いや、この組織で俺も善良な国民の為に使役してきたのかなって思ったらね」

「笑うところではありませんよ、手段は正義からは外れているかもしれませんが。だから新しい正義の組織を作ろうとしています」

「正義なんて、10人いたら10通りの正義があるものさ」

「承知しているつもりです。私が言っているのは」

「判っているよ。いや、そのつもりだよ」

太田を遮るように言う健一。

不愉快になって遮ったのでは無い事を太田も理解していた。

水掛け論になるのはお互いしたくなかった。

「ところで先ほどの話、どうです」

「健太は正義の味方になりたがっていたからね、話しておくよ。判断は健太がすれば良い」

「まだ幼い子供に決めさせて良いのですか」

「あいつはもうアイデンティティをほぼ確立している。それと親の考えを子供に押しつける様な事はしたくない。幼いまでもあいつは自分なりに考えるさ。由美だってそう思っている」

「・‥あなた方は本当に良い家族だ」

「そうだ、今度家に食事に来ないか」

「そういうのは苦手でして」

「太田さんだけじゃ無くて、今回の例の人達も一緒に。あの防犯、防火の点検に来た子もそうでしょ」

「お気づきでしたか、彼はまだ若いがとても優秀なプログラマーです。今回もICT関係は全て彼が」

「優秀な精神科医、それと優秀な行動心理学者にも会いたい。皆、太田さんの愛弟子でしょう」

「・‥」

「あなた自身、大変優秀なプログラマーであり優秀な精神科医、それに優秀な行動心理学者でしょう」

「そんな事はありませんよ、あなたの買いかぶりです」

「まあいいさ。百合子さんや由美と話して日時が決まったら連絡するから」

そういった所で作業場に着いた。

「健太はこのまま寝かしておこう」

そのまま健太を抱きながら家路につく健一。

「参りましたね、断るつもりが言い出す余地も無かった。仕方ありませんね」

そう言いながら微笑む太田だった。

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