第50話



 真昼が去った一軒家を、月夜はその夜見に行った。酷く閑散とした雰囲気が漂っていて、事実として、その家には、今は何もない。それでも、玄関のドアを開けたら、そこに真昼が立っているような気がして、月夜はとても不思議な気持ちになった。近づいて、試しにノブを引いてみたが、ドアは開かない。もう、誰も住んでいないのだから、開かなくて当たり前だ。ドアは、内と外を区切るものだが、果たして、本当に、この空間は存在しているのか、と月夜は考える。ドアを作って、内と外を区切ったことで、空間というものが認識されるようになった、と考えることもできる。そんなことを考える自分が、今、この空間に存在しないような気がして、月夜はわけの分からない恐怖に襲われた。その恐怖に打ち勝つには、移動して、空間が存在するのを確かめなくてはならない。そう思って、月夜は、逃げるように彼の家から立ち去った。


 自宅に帰って、風呂に入ると、月夜はすぐに布団の中に潜り込んだ。いつもなら、まだ眠る時間ではない。けれど、今日は起きていたくなかった。どうしてかは分からない。仕方がないから、人間は、ときどき、意味もなく眠りたくなるものだから、たまたま、今日がそういう日だったのだろう、と自分に言い聞かせることで、説明のつかない状況に説明をつけようとした。


 真昼が傍から離れたことで、自分にどんな変化が起きるだろう?


 月夜は、天井を眺めながら、ぼんやりと考える。


 おそらく、真昼は、自分にとって、ただの話相手ではなかった。けれど、本当は、ただの話相手だったのではないか、という気がしないわけではない。自分が彼に向けていた好意は、彼が近くにいることで生じる、ある種の錯覚だった、とも考えられる。そもそも、錯覚とはそういうものだ。だから、やはり、彼との距離が離れることで、それが錯覚だったのか、そうではなかったのか、分かるようになる。彼と離れて、彼に対する好意が消えたのなら、それは錯覚だったのだろうし、彼と離れても、彼に対する好意があり続けるのなら、それは錯覚ではなかった、ということになる。したがって、この命題に対する答えを出すには、ある程度の時間を置くしかない。テストと同じだ。普通は、空間よりも、時間の方が存在が曖昧になりがちだが、今は、時間の方が、自分のすぐ傍にあるように月夜には感じられた。


 寝つけない、ということもなく、月夜はすぐに眠った。夢も見ない。金縛りに遭うこともなかった。いたって普通の休養だったといえる。真昼がいなくなっても、睡眠の質は変わらない。彼と一緒に眠れば、たしかに温かさが増すが、一人で眠っても、全然温かくないわけではない。二人で眠ると、本当に僅かに、温かさ指数がプラスになる、というだけでしかない。


 だから……。


 真昼の価値は、それだけのものだった、ともいえる。


 けれど……。


 月夜は、どうしてか、そんなふうには思いたくなかった。


 朝になって、布団から起き上がったとき、そう思った。


 制服に着替えて、学校に向かう。


 真昼には会わなかったが、彼女の生活はいつも通りだった。


 そう、いつも通り。


 三年経てば、彼も、いつも通りの笑顔で、またここに戻ってくるだろう。





 夜。


 真っ暗な教室の片隅で、月夜は本のページを捲る。


 自分が、どうして、そんなふうに、規則を破ってまで夜の学校に残るのか、彼女には分からない。


 けれど……。


 真昼と再会したとき、自分は何も変わっていない、と自信を持って言えるように、彼女はそれを続けようと思った。


 彼も、自分も、いったい何に操られて、そんなことをするのだろう?


 冬の夜は長い。


 窓の外で雪が降り始めた。


 彼女は立ち上がって外を見る。


 闇夜を彩る舞台装置が、空の彼方に浮かんでいた。

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舞台装置は闇の中 彼方灯火 @hotaruhanoue0908

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