第23話

 風が吹いてきて、体感温度がさらに低くなった。真昼は身体を縮める。そんな素振りをする彼を、月夜は、首を傾げて、不思議そうに見つめた。その仕草が可愛かったから、真昼は軽く笑った。月夜は、その笑顔の意味が理解できない。だから、とりあえず、笑顔には笑顔で返そうと思って、適当に、有り体に、笑ってみることにした。


「君の笑顔、久し振りに見たよ」真昼は言った。


「……そう?」もとの表情に戻って、月夜は尋ねる。「いつも、それなりに、笑っているつもりだけど」


「その認識は改めた方がいい」


「分かった。じゃあ、改める」


「でも、君は、普段から笑っているよりは、どちらかというと、いつも、その冷徹さを備えていた方が、いい、と、思うよ」


「片言だけど、大丈夫?」


「うん、今、ちょっと、考えを纏めるのに時間がかかったんだ」


「どうして、私は、冷徹な方がいいの?」


「そのキャラクター性が、君に似合うから」


「でも、キャラクター性というものは、もともと、そういう人間だから、そこに、そういうキャラクター性があるように見えるんじゃないの?」


「順番が逆ってこと?」


「そう」


「君は、根は優しいよ」真昼は話す。「だから、君のその冷徹さは、後天的なものなんじゃないかな、と思ってさ」


「私には、分からない……」


「僕も、思いつきで話しているだけだから、そんなに真に受ける必要はない」


「うん」


「それと、普段は冷徹で、ときどき笑う方が、笑顔の価値が高まる、という利点もある。君の笑顔がレアになる、ということ。普段から笑っている人が、今日も笑っていても、ああ、いつも通りだな、と思うだけだけど、普段はあまり笑わない人が、今日は笑っていたら、なんとなく、嬉しい気持ちになるだろう?」


「私は、それは、よく分からないけど、でも、君が、それで嬉しく感じるのなら、それでいいと思うよ」


「うん。だから、それでいい」


「君は、嬉しいのは好き?」


「好きだよ。幸せな気持ちになる」


「私は、今は幸せだよ」


「今も、の間違いじゃない?」


「現在完了形で、幸せとは言えないから、確実な事実として、今は、と言った」


「なるほど。君らしい」


「ねえ、真昼」月夜は、顔を上げて彼を見る。


 月夜に名前を呼ばれて、真昼はちょっとだけぞっとした。それは寒気ではない。面白いものを見たり、自分が好きなものに触れたときに、一瞬興奮した状態になるみたいに、それは刺激的な感覚で、鳥肌が立った、といった方がどちらかというと正しかった。


「何?」


「君は、どうして私と一緒にいるの?」


 月夜の質問を受けて、真昼は彼女の瞳を見つめ返す。目をしっかりと合わせると、やはり少し怖かった。けれど、今はそうしなくてはならないと思ったから、彼は、数秒間、黙って彼女の瞳を見つめ続けた。


 月夜は、きっと、今の質問を真剣に行った。いや、彼女はいつも比較的真剣だが、今回の質問は、普段よりもずっと感情の籠もったものだった、という意味だ。真昼にはそれが分かったから、適当に言葉を並べるのをやめて、暫くの間考えた。


 一分が経過する。


 その間、二人とも目を逸らさなかった。


 鋭利な空気。


 月夜の瞳は、硝子玉のように澄んでいる。


「君が好きだからだ」


 真昼は、考えた挙句に、最もチープな言葉を使って、自分の意見を述べた。


「どうして、好きなの?」


「どうして、そんなことを訊くの?」


「なんとなく」


 月夜は、本当になんとなく訊いている。けれど、真昼は、なんとなく質問する人間が、なんとなく、という言葉を使わないことを、理解していた。自分が人間であるのなら、自己紹介をする際に、わざわざ「人間です」とは言わない。言う必要がないからだ。


「君と一緒にいることで、僕の中に楽しい感情が起こって、それが、僕の利益になるからだよ」真昼は答えた。「その点では、君の見解と一致する。利害関係の一致は、良好な関係を築く基礎になる。だから、そう考えてみると、僕と君との関係は、それなりに良好だ、と考えられる」


「私が、君に楽しさを与えられなくなったら、もう、君は、私の傍にはいない?」


 真昼はすぐには答えない。答えはすでに出ていたが、それを実際に口にするのが、なぜか若干憚られた。


「たぶん、いない」


 真昼は、端的に答える。


「じゃあ、私が、同じ理由で君の傍を離れたら、君は、それでも、納得してくれる?」


「納得はしない。でも、理解はする」


 真昼がそう言うと、月夜は、今日二回目の笑顔を彼に向けた。


「分かった。それで、いいと思う」


「一つだけ言っておくよ。君が、僕にとって、楽しさを与えてくれる存在でなくなることは、絶対にない」


「ありがとう。でも、それは、嘘だと思う」


「もちろん、分かってるよ。でもね、そんな台詞を口にしなくてはいけない瞬間が、人生の中で何度か訪れるんだ。それが、たまたま今だった。だから、君は、理解する必要はないから、僕が今言ったことを、そのまま受け留めてくれればいい」


「うん、いいよ、受け留める」


「それで、納得してくれる?」


「納得はしないけど、理解はするよ」


 月夜の答えを聞いて、真昼は笑った。


 噴水から水が流れる音が聞こえる。


 水滴が電灯の明かりを反射した。

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