スイカ

小欅 サムエ

スイカ

 2020年8月15日。お盆休みの真っ只中、私は一人で実家へと訪れていた。


 本来、実家への帰省は家族単位で行うのが一般的であろうが……私の妻は、私の両親を毛嫌いしている。そのため、何とか説得をして、単身で日帰り、という条件の下でこの帰省が達成されたのだ。


 それもあってか、両親には本日帰省するようなことを告げていない。それどころか妻以外、私がここに来ているということを知らない。私の過去を否定されているようで、少し物悲しさを感じるものだが……妻の意見には極力賛成しておくことが、良い夫婦関係を続けるうえで非常に大切なのだ。


 現在、私はその妻と、二人の子どもと共に都心部にあるマンションで暮らしている。通勤、買い物といった生活上の不便は一切ないのだが、せせこましく、どうにもあの環境を、私は好きになることが出来ないでいた。


 それというのも、遠く離れたこの緑豊かな田舎で、私は幼少期を過ごしていたのである。どこまでも透き通る青い空に、深緑の木々のさざめき。さらさらと流れる小川、その横にある未舗装の道を軽トラックが走り抜け、土煙をもうもうと上げる……こんな環境で育ったのだから、当然のことであった。


この景色は、いつまで経っても変わることがない。そんな懐かしさから、自然と込み上げる衝動を抑えられず、子どものように自家用車から降り立つ。


「……相変わらず、こっちも暑いな……」


 うだるような都心の暑さとは異なるが、ジリジリと肌の焼ける感覚は、どこでも同じであった。小さい頃に感じていた暑さとは、大分性質が異なるようだが……それを感じるようになったというのも、ある意味で大人になった、ということなのだろう。


 いつまでもこうしていたい、というのは山々であるが……時間は有限だ。私は私の目的を果たさねばならない。


 トントン


 古めかしい家屋の玄関をノックする。今時珍しく思うかもしれないが、呼び鈴などはない。こうしてノックするか、声をかける以外に家主とコンタクトを取る術はないのだ。


「はいはい、どちらさまですかー?」


 ドアの向こう側から、聞き馴染みのある声が聞こえてくる。相手が私であることを知らずに、余所行きの甲高い声色を出している。昔ほど速く移動はできていないが、どうやら耳は遠くなっていなさそうだ。


「母さん、俺だよ」


 ドアが開くのを待たずして、声を掛ける。すると、途端にドアの向こうにいる人物の動きが止まった。そして、やや気の抜けたような返事が返ってくる。


「……なんだ、あんたか……鍵は開いてるから、勝手に入って」


 素っ気ない態度にも思えるかもしれないが、これが私たち親子の会話である。用が無ければ話さないし、用があったとしても、ほとんど単語だけのやり取りで終わる。それが正常な親子関係でないと知ったのは、つい最近のことであった。


 玄関を無言で通り、居間へと向かう。昔ながらの日本家屋らしく、だだっ広い空間、い草の香り、立派な装飾の施された鴨居……そして、開け放たれた襖の先には、縁側が広がっている。


「……墓参りは」

「これから」


 それ以上の言葉を交わすことなく、母親は静かに台所へと消えていく。僅かな寂しさを覚え少しだけため息を吐き、お供え用に持参した黄色と黒のユリを机に置く。そして、吸い寄せられるように縁側へと歩みを進める。


「……懐かしいな」


 縁側からの眺望は、昔と大きく変わりがない。街を見下ろせる高台にあるこの家の、俗にいう絶景ポイント……それが、この縁側からの景色だ。





 昔はよく、祖母とここで色々な話をした。戦争の話を一方的に聞かされることはなく、小学校で起きた出来事や、両親に対する愚痴を聞いて貰っていた。黙って私の話を聞き、的確にアドバイスしてくれる祖母は、私にとってとても大事な人であった。


 そんな祖母とは、夏になると決まってこの縁側で、一緒にスイカを食べた。あまりにも急いで食べるものだから、祖母から、種ごと飲み込んでしまうと臍からスイカの芽が出る……などと、脅かされたものだ。


 あの夏の日も、私と祖母はスイカを食べていた。普段は器量のない母親が、気を利かせて持ってきた塩を喜んで受け取り、祖母はそのままスイカへと振りかける。その姿を見て、私はとても驚いたものだ。甘いものに塩辛いものを振りかけるなど、当時の私には到底理解できない行為であったからだ。


 そんな私に気付き、祖母は笑顔でこう言った。


「スイカに塩をかけると、甘みが引き立ってより美味しくなるの」


 美味しそうにスイカへと齧りつく祖母を見て、私も真似をしようとしたが、母親は、子どもはそんなことしてはいけません、とピシャリと言い放った。試すことが出来ず悲嘆にくれる私を、祖母は優しく、そして悲し気に見つめていた。


 そして、あっという間になくなった。それだけ、塩をかけたスイカは美味しかったのだろう……当時の私は、そんな風に考えていた。






 そのまま時が流れ、初めてスイカに塩をかけることができたのは、何とほんの数日前のことである。買って来たスイカを手に持つ妻を見て、ようやくこの出来事を思い出したのだった。

 実際に塩をかけてみた感想としては、言うほど甘くなっていなかったのだが……そのおかげで祖母のことを思い出し、こうしてここに来ることとなった訳である。


 静かに縁側へと腰かけ、物思いに耽る私の頬を、夏風が優しく撫でる。そして、私を勇気づけるように、温かな空気が包み込む。


「おう、帰ったのか」


 不意に、背後から男の声が響いた。ゆっくり振り向くと、当時の面影より少し痩せた父親が、仏頂面で私を見つめていた。


「うん、墓参りに」

「そうか。早く済ませろよ」


 そう言うと、もう興味を失ったように私に背を向け、どっかりと机の前へと座りお茶を啜る。ふと見ると、お供えに用意した花々が机の隅に追いやられていた。


 両親は、祖母と仲が悪かった。しょっちゅう言い合いをしており、その度に祖母は、遺産は全部お前にあげるからね、と私に言っていた。そしてそのせいもあり、私は両親から疎まれる存在になったとも言える。


 結局のところ、正当な相続人である父親が後を継ぐ形で相続し、こうして家、土地、そして墓を手にした。急逝したため、遺書など何も用意できなかった祖母としては、不本意だっただろう。しかし得てして、傲岸不遜な人間ほど利を得るものだ。


「ああ、おかえりなさい、あなた。スイカを切ったところなの、食べるかしら?」

「おう、やっぱこの時期はスイカだな」


 立派な青色の大皿に、鮮やかな紅色の果肉と濃緑の果皮。切り分けられたスイカを囲んで夫婦の団欒を始める二人を尻目に、私はゆっくりと立ち上がる。そのまま無視して墓参りに向かってもよかったのだが、せめて少しくらい、立派な孝行をしてやろうと考えた。


 そして、鞄から塩の入った瓶を取り出し、机の上に置く。


「……良かったら、使って」

「……お、おう。気が利くじゃねぇか」


 予期せぬ行動に、若干の戸惑いを見せる二人だったが、何の疑いもなくその塩をスイカへとかけていく。それを見て、私は少し俯き、無言のまま家を去った。





 墓参りを済ませ、自宅へと帰る途中……両親の家に、ちょっとした人だかりができているのを目に映した。よく見ると、制服を着た人間の姿もある。どうやら、何かしらの事件が起きたらしい。


 はぁ、と一つ大きなため息を吐き、私はそのまま車を走らせる。誰にも見つからずに帰ること……それも、妻との約束だったからだ。


 ただ、たった一つだけ気がかりなのだ。今さら確認のしようがないことであるが……これだけは、知っておきたかった。





 彼らは、感じることができたのだろうか……その甘さを。

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スイカ 小欅 サムエ @kokeyaki-samue

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