第46話 ダブルブッキング2

 さて、スマホをそっ閉じしたは良いものの、これからどうするか。このままぶらぶらショッピングモールを歩いてれば、ボスと鉢合わせする可能性も高くなっていく。


 鏡花さんに集中するためにも、上手く足止め、若しくはボスの場所を特定して避けるような立ち回りをしなければならない。


 今、ボスがいる位置はどこか。それは先ほどのチャットからある程度想定できる。『ねえ、いないじゃない、どこいんのよ!』と言っていることから、俺がチャットで適当に指定した場所に来ているに違いない。


 ということは、ボスが今いる階は一階だ。ちなみに俺たちが今いる階は二階である。


 今のところ距離間的には丁度いい。しかし、GPSでは階層ごとに詳しく位置情報を見ることができない、いつの間にかそのちょうどいい距離間が崩れてしまう可能性もある。


 その不安を抱えながら、鏡花さんとのデート?を楽しむのは俺の技量では無理だ。


 それなら、どうするか。


 敢えて近づき、視界のぎりぎりにボスを捉えながら、ぎりぎりのデートを鏡花さんと楽しむのはどうだろうか。いつ来るか分からない恐怖より、覚悟してばっちこいの恐怖の方が幾分かましである。


 もしかしたら探せば、他にもっと良い案があるのかもしれない。しかし、俺の脳内はその案に思考ロック、もうそれしかないとしか考えられない頭になってしまった。


 次に考えるべきは、鏡花さんにそれをどう伝えるべきか。流石の鏡花さんも今日の俺の挙動不審っぷりには気づいていることだろう。


 素直に伝えるのが一番良いってことは分かっているが、多分だけど、割と良い雰囲気である現状に不用意に違う女の話を投下するのはまずいと、俺の危機管理能力が訴えてくる。


 ボスには悪いが、ちょっとやばい女に付きまとわれているんですよみたいな感じで、ボスの人物像を下げまくって、鏡花さんの同情を買うのが無難だろう。



 そして、鏡花さんにお見舞いが終わってからの俺の不審な行動の数々について説明した。俺の都合のいいように脚色済である。


 「なんか、凄い女の子に目を付けられちゃったんだね」


 「はい、GPSも付けられてますし、相当やばい」


 「うわぁ、凄いね」


 ボスの恐ろしさが鏡花さんの中で膨れ上がってきている。ごめん、ボス。今度、千円あげるから、許してちょうだい。


 「思ったんだけどさ、スマホの電源切れば、GPSって分からなくなるんじゃない。なんでそうしなかったの?……もしかして、私との遊びを早く済ませて、その子に合流するつもりだった?その時にわざと電源を切ったと思われたくないから、頑なに電源切らないとか」


 おっと、やばい、流れ変わった。それだけが理由じゃないが、大体あってるし、めっちゃ鋭いし、怖い。頭をフル回転させろ、適当な言い訳をこの手に掴め。


 「俺は女子のネットワークを恐れているんです。ここで俺がむやみにスマホの電源を切ったどうなるでしょう。怒り狂ったボスによって、邪険に扱われた挙句、放置されただのなんだの、尾びれがついた俺の悪評が学年中にばら撒かれるのでしょう」


 「……まぁ、確かにそんなこともないとは言い切れないけど」


 あまり納得していない様子であるが、ここはごり押しに限る。


 「そうですよね。だから何とかGPSを維持しつつ、乗り切らなければならないのです」


 「私のことは別にいつかで良いよ。ちょっと強引に君を誘いすぎたからね」


 「俺も鏡花さんと遊びたいのです。でも、なんとかボスのことも穏便に解決したいと思ってしまうのです。愚かな俺をどうか救ってください」


 鏡花さんの手を両手で包み込んでお願いのポーズ。さっき抱きつかれたし、この程度の手握りなら許してくれるはずだ。


 「わ、分かったよ。うん、分かった」


 よし、チョロい。


 「あ、そうだ。私一応、先輩だしガツンとその子に佐藤君に付きまとわないでって言って上げようか」


 「いや、それはあれですね。子供の喧嘩の土俵にお母さんが乱入してくるみたいな感じで、なんか恥ずかしいと言いますか」


 鏡花さんの表情がダメだこいつみたいな感じになった。どんどん好感度が下がっていく。


 でもまぁ、俺にとっては正直このくらいの距離間の方が丁度いい気がするけど。私とあなたを理解してくれる唯一無二の存在みたいな感じで接して来られると、こっちも気を張ってしまうし。


 「……はぁ。もう分かったよ。そこまで言われると、その子自体にも興味出てきたし」


 「あざっす。では移動しましょう。ボスの姿を早く視界に捉えなければ。さて、楽しみましょうか」


 「……なんか私が思っていたデートと違うなぁ。でも、これはこれで刺激的でやっぱり君といると楽しいなぁ」


 「何か言いましたか」


 「言ってない」


 多分、不平不満があるのだろう。あとでしばくとか呟いたのではないかと思われる。ごめんなさい、ほんと色々とごめんなさい。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 ボスはすぐに見つけることができた。俺が指定した一階のゲームコーナーで発見。シューティングゲームでゾンビ打ってるから、多分、イライラしてる。その辺に拳銃とか落ちてたら通行人に発砲しちゃいそうだ。


 「あれが、君の言ってる子?」


 「そうです」


 「すごく可愛らしい子だね」


 「そうですね」


 じっと見つめられている感覚を横に感じるも、気づかないふりをしながら対応しつつ、今後のプランを考える。


 「とりあえず、クレーンゲームでもしますか」


 「いやいや、待って。それ近づきすぎだから。……というかなんで私の方が心配してるんだろう」


 「どこまで行けるか試してみましょう」


 「私たちチキンレースしにきたわけじゃないよね。とうかそういうチキンレースって、徐々に難しいことに挑戦していくのが定石じゃないの。なんでいきなり攻めるの!」


 「今ゲームに夢中ですから、大丈夫です。ゲームコーナーに来たのなら、一回くらいゲームはしましょう」


 ゲームセンターデート、一度くらいはしてみたかった。俺にとっても今後あるかどうか分からない美人な先輩とのデート、少しだけ楽しみたいであります。


 制止してくる鏡花さんを引きずりながら、手ごろなクレーンゲーム台に陣取る。


 鏡花さんに頭を引っ叩かれたので、いい感じにボスからの死角になっている場所を選んだ。


 さて、早速クレーンゲームを楽しもうではないか。100円玉をいくつか投入して、ガチャガチャとアームを動かしていく。


 ショッピングモールのゲームセンターは本場のゲームセンターよりは音が控え目ではあるけれど、それでもある程度のボリュームで話さえすれば気づかれることはない。


 「なにかほしいものはありますか」


 「……えっと、それじゃあ、そのぬいぐるみ」


 いまだにボスのことを警戒しているようで、適当な感じで返事が返ってきた。ここはもっと安らかな気持ちで臨めるように俺のクレーン技術で魅了しようではないか。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 結果、惨敗。


 「ねぇ、あの子、ゲーム終わったみたいだけど」


 「まじですか。もう引き下がれないところまで、お金投入しちゃったんですけど!」


 いまだに取れないぬいぐるみと俺は睨み合う。おっさんマネーを失って、貧困状態な俺のお金をどれだけあいつに奪われたことか。


 鏡花さんのためとかもはや関係ない、俺のプライドが引き下がることを許してくれないのだ。


 「うん、私がぬいぐるみほしいとか適当に答えなければ良かったね、ごめんね。お金後で渡すから、とりあえず、逃げよう。早く隠れて、観察しないと」


 なんやかんや言いながら、この人もステルスミッションを楽しみ始めてるな。俺がおかしなことをやり過ぎたからだろうか、頭が混乱してきているのだろう。


 大丈夫、馬鹿になった方が世の中楽しめる。親戚にいるアル中のおっさんも同じようなことを言ってた。


 「あ、取れた」


 最後のクレーンの一掴みでなんかぬいぐるみをゲット。台から落ちたぬいぐるみを拾い上げた瞬間に、鏡花さんに腕を引っ張られる。


 「もうー、早く来て」


 「あいあい」


 鏡花さんに手を引かれ、そのまま適当な服屋に入り、店頭に並んでいる服に紛れながら、二人でボスの様子を観察。


 店員になんだこのガキども的な目で、見られ始めているのに鏡花さんは気づいているのだろうか。俺は気にしないから別にいいが、鏡花さんはそういうの気にしそうだ。


 ボスからの距離がある程度できたことに安心したのか、鏡花さんが我に返る。周りを見渡し、店員に微妙な顔をされていることに気づいたようだ。


 「このお店、お洒落だからちょっと見ていこうか」


 わりと大きめの声で服屋をヨイショした鏡花さんはそのまま店内を歩き出す。


 それとほぼ同時に、俺のスマホに着信が来た。相手はボス。鏡花さんも着信音に気づいたのか、俺の方を振り向く。


 これ以上、無視を続けるのはちょっと心が痛い。そんな心情が鏡花さんに伝わったのか、受けなさいというジェスチャーをもらう。


 警戒しすぎて言葉ではなく、ジェスチャーでやり取りをしてくる鏡花さんに吹き出しそうになるも、それが伝わったのか、キッと睨まれたので、しゅんとなった。


 気を取り直して、電話に応答。


 「はい、もしもし」


 『……』


 これが無言の圧力というやつか。自然と弁明の言葉をつらつらと述べてしまう。


 「あのですね、ちょっと、急にトイレが行きたくなりましてね。待ち合わせ場所に行けなかったと言いますか」


 『……そんなにあたしに会いたくないんだ』


 やばい、半泣き声だった。調子にのり過ぎた、どうしよう。泣かせちゃった。女の子を泣かせた時ってどうすればいいのだろう、知恵袋で聞きたい。


 「会いたいです」


 『……ちょっと、黙って』


 黙らされてしまった。こうなると言い訳をするのも難しくなる。


 『あんた私の近くにいるでしょ』


 「え、あのー」


 『うっすらと、私が今いるゲームコーナーの音が聞えるのよ』


 「耳良いね」


 『泣いたふりして、情報引き出そうとしたけど、その必要なかったわね』


 演技だったのね。良かったです。普通の女の人だったら、泣くどころじゃなかったかもしれないと反省。ボスが普通じゃなくてよかった。


 『場所は掴んだわ。ぶっ殺しに行くから待ってなさい』


 ブチッっと通話が切れる。半殺しくらいにはされそうな雰囲気だ。


 すぅーっと深呼吸して、脳に酸素を送る。


 「店内の音から、場所を割り出されたっぽいです」


 「え、ほんと。どうしよう。……そうだ、来て」


 何か、アイディアがあるのか鏡花さんに付いて行く。


 そして、服屋の試着室に押し込まれた。シャーっと、黄色のカーテンが閉められる。


 どうやら、俺を隠してくれるらしい。


 「ここで、待ってて。やっぱり、私があの子にガツンと言ってくるから」


 「え、ちょっと待って下さいよ」


 あなたたち二人をタイマンさせるの怖いです。


 「私と君は一蓮托生の関係でしょ。君が私を振り回すように、たまには私だって君を振りまわしてもいいじゃない」


 なんか高揚しているみたいだ。なんとか思いとどまってほしいと、声を掛けようとするも遮られる。


 「黙って」


 強い口調で言われたこともあり、思わず黙ってしまう。ボスが近くに来たのだろうか。


 耳を澄ましていると、鏡花さんとは違う足音が近づいてくるのが聞えた。


 これ、ボスの足音かな。なんで通話の音声だけで、こんなにも俺の場所をピンポイント特定してくるんだ。


 なんか他にスマホに仕掛けとかあったりして、スマホを見てみると特に通知とかもないにもかかわらず、なぜかバイブレーションしていた。なにこれ心霊現象。


 もしやと思いGPSアプリを開いて、適当にいじっていると、『一定以上の距離になるとペアになっている携帯機器が振動します』という説明書きを見つけた。GPSの不安定な部分をカバーする機能のようだ。


 心なしか、少しずつバイブレーションの振動も大きくなってきているような気がする。


 ゲームセンターにいた時点で、かすかに振動していた可能性もあるな。ボスはシューティングゲームに夢中で気づいていなかったようだから、その時に早く気づいておくべきだった。


 俺もクレーゲームに夢中になっていたし、登場人物、馬鹿ばかり。


 近づいてきた足音が、カーテンの向こう側で止まる。


 もうどうにでもなってしまえの精神で、俺は試着室の床に胡座で座り、見守ることにした。


 「すいません。この辺に中学生くらいの生意気そうな男の子いませんでしたか?」


 どうやら、ボスは鏡花さんに話しかけているみたいだ。


 誰とでもオラオラ状態な口調で話しかけそうなボスであるが、目上というか他人と話す時は畏まった対応ができるらしい。


 「佐藤君に付きまとわないでくれるかな」


 ちょっと待って、鏡花さん、急すぎやしませんかい。あなたの方がオラオラスタイルで攻めるんですかい。


 「え、いきなりなんですか。……あ、もしかして、その試着室に照人、入ってます?」


 早速バレました。


 もう、十分スリルは味わった。ドッキリ大成功的なテンションで登場して、土下座を決め込んで許してもらおう。その方が二次災害を生まずに済む。


 そう思い、試着室のカーテンに手をかける。


 「佐藤君は今も怖がってるの。だから、その質問には答えないわ」


 変なテンションに入っちゃってるなこの人。これまでになかった状況に高揚しているのかもしれない。


 「いや、いるって言っているようなもんじゃん。……もしかして、照人はこの変な人に誑かされているのかも。先輩っぽいし美人だから、あいつ逆らえないだろうし」


 なんか、良い感じに解釈してくれたわ。このまま、最後まで良い感じになってスッキリしましょうや。ここいらで出ていって、上手い感じに収めよう。再びカーテンに手をかける。


 「さっきから、照人、照人って、勝手に付きまとってるだけの分際で、馴れ馴れしいと思うよ?照人君だって嫌がってるって言ってた」


 うん、言ってない。


 ちょっと鏡花さん落ち着こうか。何を対抗意識燃やすところがあるのだろうか。俺の呼び方も照人に進化しちゃったよ。


 「はあ、嫌がってる?名前ごとき、あいつなんとも思わないですよ。あなた、多分、私より年上ですよね。それなのに、名前呼びで対抗意識燃やすとか乙女なんですね。可愛い」


 最高に底意地の悪い『可愛い』の言い方だった。


 「別に対抗意識とかない、けど」


 「最初、佐藤君って言ってましたよね」


 「言ってないよ」


 柳谷といつも言い合いをしてるだけあって、流石にボスは強いな。


 「あとあれです。付きまとってるとか言ってますけど、あたしと照人は普通に友達ですから」


 「嘘、照人君は付きまとわれてるって言ってたよ」


 「今のあなたを見て分かりました。照人は多分、面倒くさい事になることが分かってたから、そうやって嘘ついたんだと思います」


 「……」


 ボスはしっかりと俺のごまかし癖を見抜いているようだった。


 対して、それを認めらない鏡花さん。あのー、ほんとごめんなさい。


 「まぁ、あまり悪く思わない方がいいですよ。詐欺師みたいな奴だけど、嘘吐く時は色々気遣った上で、言ってるみたいだし。空回りばっかりだけど」


 「そうなのかな」


 「そうですよ。まぁ、最近、私には雑に嘘吐きますが、それは多分、信頼があるからだし。あなたも信頼されるように頑張ってください」


 「……」


 なるほど、鏡花さんをフォローしているのかと思ったが、そうじゃない。


 俺に対する関係の深さで対抗意識を燃やしてきた鏡花さんに、更なる追撃をしたかっただけっぽい。


 「私だって信頼されてるもん、あなたが絶対に知らない情報だって知ってる」


 それってもしかしなくても俺の転生情報だよね。こんなしょうもない痴話喧嘩みたいなのでポロリしないでくださいよ。


 「ふーん、そうなんですか」


 「それが私と照人君が仲良くなったきっかけでもあるからね」


 「……ふーん、そうなんですか」


 ボスの勢いがちょっと弱まった。気になりだしちゃってるよ、絶対。


 「まぁ、あたしにもあいつとそういう繋がり?みたいなものありますから」


 なんかあったけ。


 「何があるの?」


 「『俺のことを生涯ずっといじめ尽くしていい』って言われました。ね、私たち普通の関係性じゃないでしょう」


 多分、ドヤ顔で言ってる。だって、声色が自信満々だもの


 てか生涯ずっとなんて言った覚えはないな。どんどん話が盛られてスケールが大きくなっていく。


 流石の鏡花さんも、これにはドン引きだろうな。


 「……ちょっと、それ、良いかも」


 おい、待て。変な性癖目覚めちゃってない?


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 それからも、二人はよく分からんマウントの取り合いを数度繰り返した。


 そして、その言い合いがある程度落ち着いてきたころ、二人はなんとなく軽く自己紹介を行い合った。


 その流れで、鏡花さんが清川の姉であることを知ったボス。


 わりと清川と仲が良いボス、なにか思うところがあったのだろうか、さっきまでの攻撃モードを解除し、普通の世間話みたいなことを話し出した。


 鏡花さんもそんなボスに毒気を抜かれたのか、戸惑いながらもその世間話に応じる。


 このまま、俺のことを忘れて、二人ともどこかに行ってくれたら万々歳。


 二人の会話をBGMにしながら、しばらくして、俺に危機が訪れた。


 鏡花さんと爆食いしたアイスが、お腹を内部から殴ってきた。


 端的に言うと、うんこしたい。


 このままカーテンを開け登場からの、うんこしたいですカミングアウト。


 せっかく落ち着き始めた空気感に、うんこを投下していいものか。


 だが、言わなければ脱糞男の誕生だ。


 しかし、美少女二人の前で脱糞というのもまた、興味をそそられる。一発ぶちかましたいところではある。いやしかし、だめだな。ここは二つの意味で我慢しなければ。


 朝起きてカーテンを開けるように、何ら違和感のない所作でカーテンをシャーする。


 二人の眼がこちらを捉えたのを確認し、口を開く。


 「ちょっとトイレ行ってきます」


 そう言ったと同時に、歩き出す。しかし、立ち塞がるはボス。


 「待ちなさい、逃げるつもりね」


 和やかになりつつあった先程とは、打って変わって、底冷えのする声でのご対応だ。


 「いや、まじで腹痛い。絶対逃げない、約束する。今日散々振り回したことの埋め合わせはするから、どうかご容赦下さい。後で何でもしますからぁ」


 冷たい視線を受けながらも、俺は早口でゴリ押し。


 「言ったわね?後で何でもする?その言葉忘れないからね」


 ボスは悪い笑みを浮かべながらも、俺のトイレを許してくれた。これまでの負債を何でもする券で解決できるのであれば安いものだ。


 「じゃ、じゃあ私も……後で何でもしてもらおうかな」


 あなたもですか。


 まぁ、いいや、どんとこい。適当に返事しておこう。俺はトイレに行きたいのだ。


 「お易い御用です」


 「あ、スマホは置いていきなさい」


 「あ、そうだね。多分、いまトイレのことしか考えられてないみたいだけど、ホッとしたら、そのまま逃げそうだもんね」


 「はい、あたしもそう思ってます」


 うんうんと頷き合う二人。


 さっきは二人で言い合いしてたはずなんだけどなぁ。一回殴りあったら友達みたいな感じのヤンキー理論は女の子の口喧嘩にも言えることなのだろうか。


 いや、普通はギスギスして終わりそうだな。ヒロインではないモブ美少女二人同士で何かシンパシーを感じたとかありそう。


 あと、俺が全く信用されてないのは、もはや自業自得なのでしょうがない。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ということで、なんとかトイレへの旅路に向かうことができた。


 ショッピングモールの分かりやすい案内に従いながら、スムーズにトイレを発見。


 男女トイレの他に様々な用途で使えるように多目的トイレも別枠で設けられているようだ。


 男子トイレの通りかかるよりも前に多目的トイレが設置されているようだが、ここは横着せずに、しっかりと男子トイレに向かう。本当に必要な人が使うべきトイレだからな。


 これで間に合わず、脱糞しても、我が生涯に一遍の悔いなしである。



 そんなことを思いながら、多目的トイレの前を横切ろうとしたその瞬間、横から伸びてきた腕に髪を掴まれ、引っ張られるような形になりながら、多目的トイレに強制侵入。


 掴まれた髪は急に解放され、引っ張られた慣性も相まって俺の体は多目的トイレの床にどしゃりんこ。


 いや、どしゃりんこ言ってる場合じゃないと、すぐさま状況確認。


 とりあえず、俺を引っ張った何者かを確認しなければいけないと、顔を上げる。


 その瞬間、俺の側頭部に衝撃がきた。


 そのまま壁まで吹っ飛び、衝撃を受けた方とは反対側の頭部もトイレの壁とキス。


 人間ピタ〇ラスイッチだなとか、考えている暇はなかった。


 目の前がフラッバックする。目に映る映像はどれも歪んでいる。


 上手く頭が回らない。


 俺、今、どうなってる。


 多分、脱糞するよりも、やばい状況であることは確かだ。


 体が震える。


 頭に感じる痛みを堪えながら、なんとか体を動かそうと努力する。


 その度に、体に衝撃を受け、トイレの床にどしゃりんこを繰り返す。


 何か固いもので殴られ続けているのは分かる。


 そして、これ、多分、殺しにきてる。

 

 胴体も殴られてるようだけど、頭殴られる数、めっちゃ多いもの。



 しばらく殴られ続ける俺。痛みはもう感じなくなっていた。


 体が上下左右に揺さぶられるのは感じられる。


 耳はもうほとんどよく聞こえない。


 体は動かすことが出来ない状態みたいだけど、辛うじて眼球だけは動かせる。左目の方は全く見えないが、潰れたか腫れたか、もうこうなったらどっちでもいいや。


 右目の視界もぼやけてはいるけれど、そこに何があるかくらいは確認できる。


 床には、俺の血がまだらに広がっているっぽい。見て楽しいものでは無いので、すぐに視界をずらす。


 どうせ死ぬなら、俺のことをリンチしてる犯人の顔くらい拝んでから死にたい。


 何とか眼球を動かして、殴られながらも確認しようと頑張る。


 相手の姿は全身真っ黒、頭から足元まで、指先すらもカバーしているように見える。背丈からして、大人だろうか。体格的に男っぽい。


 逆に目立ちそうな格好だなーと、なんともなしに思う。まぁ、血飛沫がとんでも目立たないようにしたり、後で着替えるとか色々方法はあるから問題ないのか。あー、もう、よく分からん。


 色々と考えようとするも、途中でどうでも良くないみたいな感じで勝手に脳にシャットアウトされてしまう。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 あ、一瞬、意識飛んでたっぽいな。目の前の映像が突然、切り替わっていた。


 ひとしきり殴り終わったのか、呼吸を整えている様子の犯人


 そして、左腕を上げる。腕時計を確認しているようなポーズだ。


 俺から視線を外して、帰り支度を始めたようだ。服を脱ぎ始めた。


 さっき何となく考えていたように、黒ずくめの衣装は、リンチ専用装備だったみたいで、一般人に紛れる用のカジュアルな服をリュックサックから取り出したのが目に入った。


 とりあえず、俺のことは半殺し程度で勘弁してくれるのだろうか。俺の体が現状どうなってるのか分からないが、とりあえず、こんな風にごちゃごちゃと考えられる頭を持っているって事はまだ生きてるってことだ。


 すると、何を思ったのか犯人が俺の方を振り向いた。


 そして、驚いたように後ずさる。ぼやけている視界でもそれがよく分かった。


 どうしたんだろうか。


 そう思った時には、犯人はまた俺を殴るためにアイテムをリュックサックから取り出していた。


 なるほど、さっきまで俺を叩いてた物は金槌だったみたい。もっとゴツイものかと思ってた。


 俺の方を見て驚いていたのは、殺し損ねていたのに気づいたからなのかもしれない。


 やっぱり、半殺しでは済みそうにないっぽい。


 再び俺に向かってくる犯人。


 でも、何故か足取りが恐る恐るって感じ、どうしたんだろう。さっきまで大工さんもびっくりなくらい金槌を元気に振り回していたというのに。


 「……どうしたん?」


 あ、なんか声でちゃったわ。


 やべ、気まずい。


 いや、待て、これから殺す相手にごちゃごちゃ小言言われるとか一生もののトラウマになるんじゃないか。一矢報いるチャンスじゃないか。


 「……さぁ、ここまでやったんです。さっさと殺してスッキリしましょうや」


 自分の声は微かにしか聞こえないが、多分、喉の引っかかり具合からして、血とか痰とか喉に詰まってしゃがれた声だ。どうだ、怖いだろう。このままビビって逃げでくれても構わないぞ。


 犯人は俺に背中を向ける。


 よっしゃと思った俺だったが、その喜びは、ぬか喜びだった模様。


 再びリュックサックをまさぐりだした犯人が次に取り出してきたものは鋭利なナイフ。


 その流れのまま、飛びかかるような勢いで、ナイフと共に犯人が目前に迫ってくる。


 しっかりと走馬灯モードで、周りもスローモーションだ。


 どうやら、俺の最後のあがきは失敗してしまったようだな。


 もう、スローモーションは飽きたから、さっさと終わらせよう。

 

 そして、頭に何か突き刺さる僅かな感覚とともに、俺の思考は真っ黒に染められた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 目を開けると、まぁまぁ、知ってる天井だった。


 ちょっと視界が霞んでいるが、多分多目的トイレの天井である。


 幽霊にでもなってしまったのだろうかと、何の気なしに体を動かそうとしてみるも、節々に強烈な痛みを感じる。


 痛みを感じるってことは、俺、生きてるのかも。まぁ、幽霊だって痛み感じるかもしれんから、なんとも言えんか。


 痛みをこられながら、何とか立ち上がり、壁に寄りかかりながら、周りを見渡す。


 どうやら、犯人は出ていったっぽい。


 その事実に安心し、次は多目的トイレにある備え付けの鏡に向かってよろよろ歩き出す。俺はいったいどんな有様になっているのだろうか。


 鏡を見ると、そこにはゾンビがいた。


 よくこれで生きてんな俺。外傷はヤバいけど、中身はそんなやばくなかったとか、そんな感じなのかな。


 いやでも、最後、ナイフ頭に刺されなかったか。


 しかし、鏡をよく見てもそんな傷はなかった。


 まぁ、正直その辺の記憶はずっとおぼろげって感じだったから、ちょっと脳で改変が起きているのかもしれん。恐怖が生み出した幻覚とか。


 今、俺は生きている。その事実の方が大事だな。


 一息ついたら、お腹がギュルリ出した。


 そういえば、うんこをするためにトイレに来たんだった。あれだけ殴られて漏らさなかった俺に敬礼。


 ということで、面倒な事はあとから考えよう。


 身体を引きづりながら、便座に座る。


 しっかりと出すものを出し終えて、便座に座りながら、再び気絶する俺だった。











































































































 

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