牛乳乱舞【3】


「うっひぃ、やべぇやべぇ。静音がキレやがった」


 句曜くようは森の中を駆けながら悲鳴をもらした。しかし口元にはニヤニヤとした笑みが張り付いたままだ。口で言うほど焦っていないことが分かる。


「俺みたいな人間は他人をからかってないと生きていけないからな。ああいう真面目人間は弄りがいがあるんだが……さすがに地雷踏んじまったみたいだ」


 それが句曜にとってのストレス解消法だった。生真面目な人間を、相手が気づかないように揶揄からかう。そしてどんどん困惑してく様子を見てほくそ笑むのが何より好きだった。


 自分でも性格が歪んでいるのは百も承知だ。だがそうでもしなければ、この平賀でここまで生き残ることはできない。まともな奴から死んでいく。句曜のようにいびつな形で溜まったうみを発散させるか、もしくは静音のように忠誠の狂気に呑まれるか。そうして現実から目をそらさねばやっていけない。


「まっ、これも処世術ってわけだな。静音はちょっとばかし目立ちすぎた。これくらいのちょっかいで済ませてやったのに感謝してほしいくらいだぜ」


 そうは言っても静音ならば大抵の責め苦は無表情でやり過ごしそうだが。だからこそ今回は牛乳こんなもので嫌がらせをしたのだ。いかな静音といえど変化球には即応できまい。


 と、そこで思考と足を止める。訝しげに振り返るが人の気配はない。句曜にはそれが不思議だった。


「しっかし妙だ。キレてた割には追いかけてこないな……」


 てっきり今までの奴等と同様に怒って追いかけてくると思ったのだが。

 そうやって私闘に持ち込み返り討ちにする。今までそうして手駒を増やしてきた。平賀の取り決めでは、勝者がこそが正義なのだから。


 静音は優秀な人材だ。みんな口では中途半端者と馬鹿にはしているが、あれだけ多方面に強く柔軟な人材はそういない。みな心の奥底では自分にはない才能に嫉妬しているのだろう。


 彼女を手に入れれば自分が生き残りやすくなる。ぎょすかろうと後回しにしている間に三男坊の付き人になどなってしまったが、そこは上手く手引きして奪ってしまえばいい。当主の血を引くといっても、たかが三男。当主の従順な操り人形など恐ろしくもない。


 しばらく立ち止まって静音を待ってみたが、やはり追いかけてくる気配がない。だがあの様子からして何かしらの報復があるのは間違いないだろう。彼女から身を隠すべきだ。


 いったん自室へ戻るか。それとも……。


 その先は思考にならなかった。なぜならば四方からとび出した平賀門下が一斉に句曜へ刃を向けてきたからだ。


「なにっ――!?」


 身をひねって斬撃を躱す。強襲に驚いた心臓を落ち着けつつ飛び退いた。完全な不意打ちに対処しきれず二の腕を刃がかすめてしまう。


 傷口を押さえて見れば門下はまだ若い者の集まりだった。歳はまばらだが恐らくは十歳から十三歳ほど。まだ基礎訓練も終えていない者達だ。


 なぜそんな者達が自分に刃を向けるのか。そう問おうとして、気づく。句曜の姿を認識した少年少女たちはあきらかに困惑していた。相手が句曜だと気づいていなかったようだ。


(間違いない……これは――!)


『生かさず殺さずの練』


 森に放ったを決して殺すことなく追い詰め、目的地まで誘導する訓練の一つだ。ゴールした野兎が最も重症だったチームに得点が入る陰惨な訓練である。


 今日この森がその舞台となることは知っていた。だが、位置がずれている。句曜のいる場所は訓練範囲に含まれていなかったはずだ。門下が現れるわけがない。


 まさか兎を見失った迷子か? そう思ったが、句曜の脳裏に別の可能性が浮かぶ。


「おいっ、チームの隊長はお前か」


「はい」


「これは『生かさず殺さずの練』だな?」


「はい」


「なぜ範囲がズレている。ここは舞台ではなかったはずだ。なぜ俺を野兎だと思った」


 若い門下らしく目の死んだ少年に問うと、少年は無表情のまま淡々と答えた。


「直前で変更になりました。本日の訓練ポイントはG47からB6、D12までの範囲で行われます。また今回は推察力向上をはかるためについても容姿が伝えられず、身体的特徴のみの開示となっています」


 それだけ言うと少年は誤って襲った謝罪もせずに他の三人を連れて行ってしまった。これ以上の時間ロスを避けるためだろう。門下らしい冷徹な判断だ。


「直前で変更だと……? しかも訓練ポイントがちょうど俺のいる場所周辺とは」


 まるで句曜の逃走経路を潰すかのようだ。いくら生かさず殺さずの訓練といえど対象を誤って殺すことも少なくない。だからこそ訓練を重ねるのだが、野兎に間違われる可能性がある状況では文句も付けたくなる。


 句曜も歴戦の戦闘員だ。若輩者に殺されるほど間抜けではないが、万が一ということもある。早々に訓練範囲から離脱すべきだ。脳裏に山の地図を広げてルートを調整しなおす。


 だが駆ける道は、句曜の想定通りにいかなかった。


 行く先々で何かしらの妨害に遭う。



 道を走っていると毒矢が飛んでくる。

「どぅわっ!?」

「狩猟罠にかかったように見せかけた暗殺の訓練です。危険ですので立ち入らないでください」

「なんでこんなとこでっ!」

 悲鳴を上げながらも言われた通りに道を変えた。



 嫌な予感がしたので正規の道から離れて森へ入り木の上へ上ると、食事係に狙撃される。

「今度はなんだ!」

「失礼。夕食に使う鳥肉が足りなくなって……」

「どう見ても俺は野鳥じゃねえぞ! よく見て狙え! 足かすめただろうが!」

 また誤射されそうなので急いで離れた。



 休憩に立ち寄ろうとした山小屋周辺にはなぜか服だけが溶ける無駄に巧妙な罠が張られていた。

「ぐっ、ぐわー! 服がー!?」

「フっフーん! 姐御あねごっテば太ッ腹のビール一気で急性アルコール流星群デす! 小屋の実験使用許可くれるなんテ……今誰カの声しましたデす?」

 幼いマッドサイエンティストの視界に間違っても入らないように局部を隠して退散する。



 辿り着いた句曜の居住一帯は、上官による抜き打ち監査が行われていた。

「あの指揮官は長兄様の付き人様……。やべえな。顔を覚えられたくない。しばらくは近寄れないか……」

 セキュリティーが確保された自室へ避難ができないのは惜しいが、今後の身の振りのためにも大人しく立ち去る。



 そうして幾度も障害を避けていくうちに気づくと句曜は、最初に想定したルートからは大きく外れた場所を進んでいた。


 それが、誘導とも知らずに。


       ◆   ◇   ◆


 里の奥の、門下もあまり立ち寄らない倉庫の裏だった。

 そこで真信まさのぶは緊張した面持ちで壁によりかかっている。


 待つこと数分。すると倉庫の屋根の上から人が降って来て、真信の前に降り立つ。


「おおい真信。んなとこに呼び出してなんだってんだ。くだらねぇことだったらぶん殴るぞ」


 現れたのは真信の兄、平賀ひらが実篤さねあつだった。


次兄つぎにいに渡したい物がある」


 本当はなぜ自分がここにいるのか、一番理解していないのは真信だった。彼は静音にお願いされてここにいるだけだ。本来なら真信も、暴力的な次兄と顔を合わせるのは避けたい。だが自分の付き人が初めて私用で真信を頼ってきたのだ。断れるはずがなかった。


 それに静音は言った。絶対に損はさせないと。確かに損にはならないだろう。そう感じたからこそ真信も了承したのだが、これが得にまでなるかは分からない。


 訝しみながらも天秤を静音へ傾けた真信は、とにかく電話の内容通りに動く。


「次兄にこれを」


「あぁ?」


 差し出したのは茶色い封筒だ。実篤さねあつが受け取り、中身を取り出す。出てきたのは一冊の本だった。


「こっ、これは……!」


 それは写真集だった。次兄が数年前からはまっているモデルのファースト写真集だ。贈り物としては無難で、だからこそ損にはならない。


 だがその写真集には真信の知らない価値があった。


「店舗限定の初回生産限定盤じゃねえか!」


「えっ、そなの?」


「あ?」


「いやっ、えぇっと――喜んでくれたかな」


「あったりまえだろ! これ仕事で買いに行けなかったやつだぞ! プレミアついててもう手に入んねぇし。よくゲットしたなぁ」


「まあ、いろいろ手を尽くして」


「っはー! お前のこと見直したわ。コレくれるんだよな!」


「もちろん」


「サンキュ! 貸しいち……いや三にしといてやるよ! じゃな!」


 大きく手を振って、実篤さねあつは真信が生まれてこのかた見たことないほどすこぶる上機嫌で去って行った。三つ編みを揺らす後姿は大型犬のようだ。一刻も早く中を確認したいのだろう。


 何事もなく済んで真信は胸を撫で下ろす。普段の次兄は大型犬どころか飢えた肉食獣だ。下手したら身内であっても半殺しにされる。


 真信は通話状態の保たれた携帯を取り出し、耳に当てた。


「これでよかったの? 静音」


『ええ。ありがとうございます。ここまでご足労頂き申し訳ありません』


「別にいいけど。あの写真集どうしたの? よく次兄つぎにいがあれ欲しがってたって知ってたね」


『いつか使えるかと確保しておりました。真信様のお役に立てたようで何よりです。それでは仕上げを見届けますので失礼します。夕刻までにはそちらへ帰還する予定です』


「ん、了解」


 通話を切る。表示される履歴を眺めて、真信は内心で冷や汗をかいていた。


(いつか使えるかって……。あれ発売されたの二年前なんだけど。まさか僕の弱みも握られてたりしないよな……?)


 能ある鷹が爪を隠すように、有用な切り札は時が来るまで覚られないよう懐に秘める。それが当たり前にできる人間こそ恐ろしいのだと、静音を見て再認識した。



        ◆   ◇   ◆



「さっきから何なんだ?」


 里の外れの倉庫に身を隠すため句曜くようは走っていた。ほりと塀の間の迷路のような細い通路は、人がすれ違うのも苦労する狭さだ。他に見渡しの良い道はあるのだが、ここを通るのが一番早い。


 倉庫は普段開かれていない。毎日巡回に来る門下はいるが、昼の見回りは終わっている。人と出会うことはないだろう。


「まるで俺の邪魔をするみたいな」


 妨害に気をつけて速足に進む。今日の里は変だ。一つ二つのスケジュールが変更になるのは珍しくない。むしろ人の流れが単調にならないように予告のない置き換えは頻繁ひんぱんだ。だがそれも、今日のように重なることはないはずなのだが……。


(まさかとは思うが、静音か?)


 確かに付き人の権力を使えば予定の変更は可能だろう。だが里の監査には平賀家長兄の付き人まで出張っていた。静音よりも上のくらいだ。若輩者の静音にどうこうできる相手ではない。


(じゃあ偶然なのか……? もう意味が分かんねえな)


 そうやって考えごとをしながら進んでいたせいもあっただろう。句曜は曲がり角の向こうで完全に気配を殺した人間が何かを立ち読みしていることに気付かなかった。


 急に止まれず何者かにぶつかる。たたらを踏んで後ずさった。


「なっ、誰だよ――って貴方あなた様は……!」


 ぶつけた鼻頭を押さえて顔を上げる。そこにいたのは門下が恐れる暴君。当主の息子。頭脳派の長兄とは対照的な生きた暴風雨とまで言われる存在。


 平賀家次男。平賀実篤さねあつだった。


 彼の姿を網膜に映した瞬間、反射的にその場へ叩頭する。額を地面に叩き付けるようにして三つ指をついた。


「もっ、申し訳ありません。わたくしめの不注意です」


 全身に汗が噴き出していた。なぜこんな所に次兄がいるのか、そんな疑問も浮かばないほどの緊張に支配される。視界に唯一入る実篤さねあつの靴が一歩一歩と近づいてきた。


「はっ、俺にぶつかるとはいい度胸してんじゃねぇか。つか何でなんだ?」


「申し訳ありませんっ」


 それしか言葉が出てこない。威圧感に心臓を潰されそうだ。これは死ぬかもしれない。そんな覚悟がにわかに浮かんでくる。


 実篤さねあつ前屈まえかがみになり真上から句曜の後頭部を見下ろしてくる。


「お前確か、先月の十五日と二年前の二月八日の任務で一緒になった奴だな?」


「はっ。その通りであります」


「名前は……句曜っつったか」


「はっ」


「俺の動きについて来れてたっつうことは上級戦闘員だったよなぁ」


「はいっ。三年前より位を拝命しております」


「そりゃあいい。楽しめそうだ」


「?」


 弾んだ声音に句曜は視線だけ上げた。いつもの不機嫌そうな声ではない。実篤さねあつはギラついた笑みを浮かべている。


「俺にぶつかるなんざ、本当ならぶっ殺すとこだがよぉ。俺は今機嫌が良いんだ。八割で勘弁してやる」


「八割……とは……?」


 示された生存への道に高鳴る胸を我慢して問いかける。すると実篤さねあつは笑みを深めた。


「ひっさしぶりの『生かさず殺さず練』だ。脱兎のごとく走れ。二割は生かしてやるよ」


 喉の奥で鳴りかけた悲鳴を堪えるだけで精一杯だった。



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