第3話

 槙坂涼に指示された通り、学生食堂へ向かう。尤も、もとより昼食を食べに行くつもりではあったが。


 食堂に入るとすぐのところに、自動販売機が四、五機並んでいて――僕はそれを見て、ある事件のことを思い出した。


 それは去年、夏も終わって涼しくなりはじめたころのこと。ある日、自販機全機に『故障中』の紙が貼られていたのだ。皆、文句を言いながらその前を通り過ぎていた。ところが、だ。自販機はどれも故障などしていなくて、僕が「これぜんぶ使えるみたいだけど?」と言うと、皆ようやくその事実に気がついたのだった。一気に自販機に群がる光景は、今でもはっきり覚えている。……にしても、ひどいいたずらをするやつもいたものだ。


 さて、食堂を見回すと、まだ槙坂先輩はきていないようだった。あの人がいるとすぐわかるし、電話で言っていた「わたしもすぐにいくわ」という台詞は、多少遅れるという意味合いを含んでいるようにも思える。


 仕方ないので、僕は先にランチを買ってくることにした。


 迷ったときの日替わりランチ。

 考えなくてもメニューのほうで勝手に変わってくれるし、少ないながらも選択肢がある。毎日の昼食がマンネリ気味になってきたときに便利だ。ランチコーナーで、ライスとサラダ、本日のメインディッシュから一品、それにスープとをトレイに乗せて、テーブルへと向かう。


「おーい、藤間ー」


 手を上げて僕の名前を呼ぶのは、さっき別れたばかりの成瀬だ。ちがう授業を受けていた別の友人たちと合流して、四人ほどの集団になっている。


「スマホ、見つかったのか?」


 そばまでいくと、まずそう聞かれた。気にしてくれていたらしい。

「ああ、学生課に届けられてたよ」

「ならよかった」


 まったくだ。問題はあんなところに届けられることになった経緯のほうだが。


「で、なに突っ立ってんの? 座れよ」


 浮田が僕に促す。いつも一緒に食べているから、僕が立ったままでいるのが不思議なのだろう。


「いや、今日はちょっと人と約束が……」


 と、言ったところで食堂の空気が変わった。


 出入り口は、今の僕の向きからは背後に位置する。だが、振り返らなくても、何が起きたかはわかる。槙坂涼が入ってきたにちがいない。彼女が現れるとどうしても目がいってしまうし、皆その動向が気になるのだ。


 振り返れば、案の定。


 そして、今日は珍しくひとりだった。……まぁ、当然といえば当然か。槙坂先輩はすぐに僕を見つけ、真っ直ぐにこちらにやってきた。


「改めてこんにちは、藤間くん」

「どーも」


 例のいたずらっぽい笑みはどこへやら、年上らしい穏やかな微笑を見せる彼女。対する僕は、多少の警戒心があるせいか、ぶっきらぼう。


 槙坂先輩は僕と友人たちを交互に見た。


「お友達?」

「の類似品だね」


 せっかくそんな友達甲斐のないことを言ってやったのに、当の本人たちは槙坂涼がすぐ近くにいることで、それどころではないらしい。


「ちょ、藤間。お前、約束ってまさか……」

「ああ、そういうことらしいな」


 まるで他人事。何せこうなるに至る過程で、僕の意志がほとんど介在していないのだからそんな気持ちにもなる。


 不意に浮田が勢いよく立ち上がった。


「よ、よかったら俺もご一緒させてもらえませんか。俺、藤間君と親友でっ」


 誰が親友だ。あと藤間君言うな気持ち悪い。


「ごめんなさい、今日は彼と大事な話があるの。遠慮してもらえると嬉しいわ」


 だが、槙坂先輩は例の微笑でもってやわらかくそれを断る。しかも、さりげなく周りにも聞こえるボリュームで発音して、俺も俺もと待ち構えていた連中まで牽制してみせた。……なるほど。この手合いのあしらい方はしっかり心得ているらしい。


「は、はい。喜んでご遠慮します!」


 何語だ、それは。


「ありがとう。……じゃあ、藤間くん。あっちの空いてる席にいきましょう?」


 そう言って彼女は歩き出す。


「おい、藤間。あとでどんなこと話したかおしえろよ」

「……」


 彼女の後に続く僕には、浮田のその言葉は聞こえていたが、あえて無視することにした。


 席を移る間、僕らはずっと周りから見られていた。しかし、それは好奇や羨望の視線とはちがって、呆然と見送る種類のものだった。なぜ槙坂涼と僕の組み合わせなのか、まったく理解できないのだろう。無論、僕だって理解できない。


 槙坂先輩はこういうことに慣れているのか、どんな視線であれ気にした様子はない。やれやれ、僕はできることならこの騒ぎの傍観者でいたいのだが。


 学食の最奥、壁際のテーブルに向かい合って座る。

 なかなか不思議な感覚だった。あの槙坂涼が目の前にいるのだ。今期は週に四つほど同じ授業を受け、よく遠目にその姿を見ていた――いや、それどころかどこにいても目立つ、そんな美貌の彼女が、どういうわけか僕と一緒に昼食をとろうとしている。なんともおかしな話だ。


 しかし、槙坂先輩はこちらの心中など知る由もなく、さっきまで肩に提げていたトートバッグから小さなランチボックスを取り出した。二段重ねにはなっているが本当に小さなランチボックスで、いま僕が食べようとしているランチの半分の量もないのではないだろうか。それで足りるのかと心配になるが、きっと彼女にとっての適量がこれなのだろう。或いは、意識的に制限していて、そういった不断の努力が何かの結果として結実しているのかもしれない。


 ランチボックスに続いて、プラスチック製のケースが出てくる。フタを開ければそこには、短い箸とスプーン、フォークが並んで入っていた。彼女はそこから箸だけを手に取る。


「藤間くんはいつも学食なのね」

「まぁ」

「わたしも何度か食べたことがあるけど、口に合わなかったわ」


 槙坂先輩はお気に召さなかった味を思い出したのか、眉根を寄せた。それから箸で自分の弁当からウィンナーを掴んで口に運び、満足げに小さく頷いた。弁当は自作なのだろうか。


「学食のメニューなんて所詮は安さと量が売りだ。僕だってそこまで美味しいと思ってるわけじゃない」


 って、なんで普通の話をしているのだろうな。こんな日常会話がしたかったわけでもないのに。


「いくつか聞きたいことがある」


 僕はサラダを二、三口食べて、多少空腹感がおさまったところで切り出した。


「どうぞ」

「僕のスマホについて」

「ええ」


 なぜか楽しげに微笑む槙坂先輩。


 間近で見る彼女は、本当に整った容姿をしていて、これがひとつしか年の変わらない先輩なのかと思うほど大人っぽかった。


「あれはあなたが盗った」

「もちろん」


 出来のよい弟を見る姉のように、嬉しそうにうなずく。


「少し拝借して、わたしのアドレスを登録してから落としものとして学生課に届けたの。ちょっとしたいたずらよ。実害はないに等しいわ」


 そして、己の窃盗罪について、悪びれる素振りもない。


 実害はない? スマホを失くしたときの僕の不安や、かぎりある容量への圧迫は? と言いたいところだったが、まぁ、目くじらを立てるほどでもないか。


「なぜそんなことを?」

「この場をセッティングするためよ」

「だったら普通に話しかければいい」


 あんな手の込んだことをする理由がわからない。


「何ごともインパクトが大事だと思うの。残念ながら『突然の電話作戦』は不発だったけど、でも、おかげでもっと面白いことを思いつくことができたわ」


 今さら昨日の未登録の番号が槙坂先輩だとわかったところで驚きはしない。とっくに気づいていたことで、単に確認が取れたに過ぎない。


「インパクト、ね。僕には回りくどいことをしたようにしか見えないな」

「それもことをスムーズに進めるための布石。得たいものを得るための下準備よ。事実、藤間くんは電話に出てくれて、ここにもきてくれた。ちがう?」

「……まぁ」


 確かに、思いがけず愉快なことをされて、槙坂涼に興味を持ってしまったのは否定できない。それを素直に認めるのは癪だし、本人には絶対に言いたくないが。


「にしても、よく僕のスマホを盗るなんて芸当ができたものだ。あなたは何をやっても人目を引くのに」

「ええ、でも、目立たないように行動するコツも覚えたわ。これくらいならいくらでもできるわよ」

「……」


 なるほど。槙坂涼の知られざる特技というわけだ。


「じゃあ、次の質問。……なぜ僕だった? なぜ僕に声をかけようと思った?」


 そう。そこが問題だった。

 何がきっかけだ?


「そうね」


 そう言って彼女は考えるポーズを見せるが、こうして行動に移している以上理由はすでに明確になっているはずだ。考えることがあるとすれば、それを出力するための言葉だろう。


「わたしと似ているから、でしょうね」

「似てる? どこが?」

「ふたりとも名前に『真』の字があるわ」


 そうして出てきたのがそれだった。


「なるほど。僕の中学のときの友達に槙真二っていうのがいるから、今度紹介しよう」

「ええ、ぜひお願いするわ」


 僕の嫌味混じりの返答も、彼女は笑顔で受け流す。なかなかの難敵だ。


 そこで会話は途切れ、しばらくの間、僕らは言葉もなく食事を進めた。安っぽいチキンソテーを頬張りながら考える。果たして本当に名前の字に共通点があるというだけで声をかけてきたのだろうか。まさかな。


 と――、




「あなたっていつも退屈そう」




 不意に槙坂先輩が言う。


「……僕は平和と退屈と本を愛する人間でね。そう見えたとしても、それは僕が望んでやっていることだ」

「いいえ、そんなことはないわ。退屈な毎日を楽しんでいるように見えて、その実、面白いことを探しているの」

「……」

「そして、面白くするためなら何だってする。できるだけ実害は少なく、自分は傍観者でいられるかたちで」

「それじゃ、まるで僕が愉快犯みたいだ」

「去年の秋だったかしら――」


 先輩は僕の言葉の終わりに発音をかぶせてくる。


「ここの入り口の自販機に、壊れてもないのに『故障中』の紙が貼られていたのは」

「……だったかな」




「面白いいたずらをする子もいたものね」




「……」


 いたずらをする


 犯人を指して『子』と、彼女は言った。ニュアンス的には年下を想定しているように聞こえる。


「そうそう。わたしがどの授業をとろうとしているかの情報に、嘘が混じりはじめたのも去年からだったわ」


 去年。

 僕がこの明慧大附属に入学した年。


「……何が言いたい?」

「さぁ?」


 例の如く、笑って流す。


「……」


 これは参った。


 何が参ったかというと、僕が思っていた以上に僕について知っているふうであることもそうだが、しかし、それより何より――、


「ねぇ」


 と呼びかけられ、僕は考えるのを一旦やめる。




「わたしとつき合ってみる気はない?」




 彼女は真っ直ぐにこちらを見て、そんなことを言うのだった。


 警戒する。

 こうして彼女と向かい合うまで、すべて偶然の産物だったのなら「はい」と言っていたかもしれない。向けられる微笑も、裏表のない澄んだものに映っただろう。だが、今はもう天使の表情をした悪魔のそれだった。すべてを知られているような気がする。




「ないね」




 よって、それが僕の返事。


「振られちゃったわね。生まれて初めて」


 にも拘らず、槙坂先輩はくすくすと笑う。


 彼女ほどになると、告白なんていくらでもされるだろうし、自分からしても断る男なんていないのだろう。そんな百戦錬磨にとっては、一度の敗北など気にするほどのものではないということか。


「残念ね。藤間くんと一緒なら、毎日が面白くなると思ったのに」

「何を期待してるのか知らないが、あいにく僕はどこにでもいる冴えない高校生でね」


 問題はそれだ。


 自販機故障中騒動を『面白いいたずら』と言ってしまう精神性と、目的のためなら人のスマートフォンを無断拝借だってしてしまう感覚。常に面白いことを求め、そのためには何でもする――。ああ、そうだ。確かに僕らは似ている。彼女だって最初からそう言っていた。


 だからこそ、距離をおくべきだ。


「さて、話は終わりみたいだし、僕はこれで」


 これ以上僕を知られることはあまりに危険だ。


「待って」


 だがしかし、槙坂先輩はトレイを持って席を立ちかけた僕を呼び止めた。


「何か?」

「まだわたしが食べ終わってないわ。置いてけぼりにされても寂しいじゃない?」


 見れば小さなランチボックスには、まだ少し中身が残っていた。確かに彼女ひとりを残して立ち去ってしまうのもひどい話ではある。仕方なく僕は、浮かした腰をもう一度下ろした。


 槙坂先輩は先の話にはもうふれようとはせず、いつもの大人っぽい笑みを浮かべながら残りを食べている。振られた後どころか、仲のいい友達と食べているみたいな表情だ。僕は頬杖を突き、何を考えるわけでもなく、ただ彼女が食べ終わるのを待った。


 やがて残すところ例のウィンナーひとつとなり――、


「藤間くん」


 不意に名前を呼ばれ、先輩へと顔を向ける。


 と、




「はい」

「むぐっ」




 彼女は箸で掴んだそのウィンナーを、僕の口に突っ込んだ。一瞬、息が詰まりかける。

 何をするんだ――そう言おうとした。


「お味はいかが?」


 しかし、口の中にものが入っているせいですぐには発音できず、その隙に先に尋ねられてしまった。まるで得意料理を出したときみたいな、自信ありげな顔だ。


「……まぁ」


 僕は不貞腐れたみたいにして、渋々頷いた。


 多少腹が立ったこともあって、肯定はやや消極的に。完全に否定しなかったのは、実際、シンプルながらスパイシィな味つけで美味しかったからだ。


「そう、よかったわ。今日はいつも以上にいい出来だと思っていたの」


 なるほど。本当に自作の弁当だったのか。


「藤間くんはわたしのほしい返事をくれるわ」

「どこが。ついさっき拒絶したばかりだ」

「ええ、それについてはむしろ望む以上のものだったわね」


 さらりと言う。




「だって、あなたの首を縦に振らせる楽しみができたじゃない?」




「……」


 いや、本当に参った。


 確かに僕たちは似ている。でも、決定的にちがう点があった。


 僕は平和と退屈と本を愛している。そこに嘘はない。ただ、退屈な日常の中にスパイス程度に面白いことがあればいいと思っていた。対して彼女――槙坂涼は、もっと積極的に退屈から抜け出したがっているのだ。


「これから毎日が面白くなりそうね」


 そう言って彼女は、天使の表情で微笑んだ。

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