第三章 1

 事件現場の分布はぼくたちの町の周りに集中していたことから、犯人はここに住んでいるだろうことが予想できる。これは昼間図書館で調べた時と考えは変わらない。ただここに犯人が高角先生であると仮定した場合、疑問が浮かぶ。高角先生は今年の四月、うちの学校に来たばかりだ。もともとこの町に住んでいたのなら特に疑問は浮かばない。だが以前先生大好きの取り巻き軍団と先生が会話していた内容だと、どうも転勤に合わせてこの町に引っ越ししてきたようだった。それだと平成二十九年から平成三十一年三月までの間、あえてこの町をターゲットにしなかった、という説明がつかなくなる。


 あぁ、くそ。眠くなってきた。さっき夕飯を食べたからか。どうしてご飯を食べた後はこんなに眠くなるんだ。寝てはだめだ。このノートを完成させて、明日おじさんに見せる約束だろう。手を動かせ。頭を働かせろ――というか、そもそも先生はどこから転勤してきたんだ? そんなに遠くない場所だったような記憶があるが……思い出せない。


 椅子から立ち上がり、ソファに座ってテレビを見ている母さんに駆け寄る。


高角先生って、前はどこの小学校に勤めてたんだっけ?


 手話を見た母さんはしばらく宙を見つめた後、


「たしかH市から来られたんじゃなかったかしら。小学校の名前までは分からないわ。なんでそんなこと気にするの?」

ふと思ってさ。ありがとう。


 椅子に戻って、ノートの新しいページを開いて描き始める。H市ってたしか縦長で、K町とY市、そしてS市にも接している大きな街だよな。という事は、ぼくたちの町がノートの真ん中にあったとして、その東にK町があって、その北にY市、南にS市だから……こんな感じか。事件のあった街も描いて……と。あとは事件のあった大体の場所に印を入れて――できた。


 こうして改めて見てみると、やっぱり不自然だ。H市も沙紀の事件が起こる前のこの町も、今まで全く事件がなかったなんて。特に、K町は他の街に比べて小さい。H市からぼくたちの町まで来るのに、そう時間はかからないはずだ。なのになぜ……。


『依然、ドラマチームが一歩リードしています! 次の問題をドラマチームが正解したら、お笑いチームの敗北、という形に――』


 うるさいな。集中力が乱れる。もう少し音を小さくしてくれないだろうか。


『さぁ、運命の問題です――星座占いで使われる誕生星座は十二星座ありますが、正しい順番に並べ替えなさい――順番を問う問題です! おぉっとこれは――』


 順番? 順番か……事件が起きた順番を考えてみるとどうだろう。


 母さんをソファ越しにつついて、


スマホ貸してくれない?

「いいけど、何に使うの? アプリはだめだからね」

アプリは使わないよ。ちょっと調べもの。

「ならよし!」


 借りたスマホで、昼間調べた記事を探す――あった、これだ! それぞれに事件発生日時を書いていくと……ビンゴだ。先生がH市に住んでいた時期に、Y市、K町、S市と順番に事件が起きている。その頃はまだ、ぼくたちの町には手を付けていない。つまり、手を付ける前に転勤になって、先生の生活圏がこの町に変わったから今まで事件が起こっていなかったんだ。これでより一層、高角先生の可能性が高まった。あとは一番の問題、証拠をどう見つけるかなんだが――


 突然スマホの電話が鳴った。時計を見る。時間は十九時四十一分。もうこんなにも時間が経っていたのか。スマホの画面には「磯山さん」と表示されている。


 母さんがこちらに来てスマホを取り、応答する。


「――あら、磯山さん。こんばんは。どうされたんですか? ――ええ、うちの子は家にいますよ」


 なんだろう。ぼくに何か用があっての電話なのだろうか。それにしてはなんだか様子がおかしいな。


「――ええ!? まだ遥ちゃん、帰ってきていないんですか?」


 まだ遥が帰ってきていない? そんな馬鹿な。プリンを食べた後、近くまで一緒に帰ってきたんだぞ。


 椅子から降りて母さんの袖を引っ張る。母さんはスマホをポケットに戻すと、しゃがんで口を開いた。


「遥ちゃんに十八時三十分頃買い物をお願いしてから、ずっと戻ってないんだって。今探しに行っているみたいだけど、全然見つからないみたい。あっくん、何か聞いていない?」

今日遊んだけど、特に何も言ってなかったよ。


 手話で答えた。それにしても十八時半か。まさかとは思うが、おじさんの家に抜け駆けしているんじゃないだろうな。図書館から出たとき、早く伝えたそうな雰囲気だったし。一度おじさんの家に確認を入れてみたほうが良いかもしれない。


「心配ねぇ。どこに行っちゃったのかしら」

一緒によく千代崎さんの家に遊びに行くよ。もしかしたらそこに行ってるかもしれない。

「ああ、うちの大家さんね。わかった。一度連絡を取ってみる」


 母さんはさっそくおじさんの家に電話をし始めた。しかし電話で応答する母さんの声色は決して良いものではなく、むしろ不安が募っていくような様子だった。終話の後、


「千代崎さんのお宅には遥ちゃん来ていないらしいわ」


 おじさんの家にもいないか。一時間以上もどこに行っているんだ。なんだか違和感を感じる。そもそも遥はこんなに周りに心配を掛けるような行動をするか? ぼくの知っている遥だったら、お使いを頼まれたらすぐに買ってすぐに戻って来そうな気がするけど。


「私も探しに行ってくる。あっくんは家に居てね」


 首を振る。遥の行方がわからない以上、ぼくもじっとはしていられない。手話でぼくも行く旨を伝えて、靴を履く。


「ちょっと待ちなさ――」


 家を出ようとした時、再びスマホが鳴った。即座に母さんが応答する。明らかに顔色がおかしい。やめろ、ぼく。最悪の事態を考えるんじゃない。そんなことあってはならない。遥が誘拐された、なんて考えるな。


「磯山さん、お店までのルートと周辺を探したけれど、見つからなかったって」


 認めるな、別の可能性を考えろ! あれだけ辛い思いをした遥に、またそんなことがあってたまるか!


「それに……」


 それに? まだ何かあるのか? なんだよ。早く言ってくれよ、母さん!


 母さんの言葉をじっと待つ。母さんは青ざめた顔で、


「……買い物の時に持っていった遥ちゃんのポーチが、近くの道路に落ちていたらしいわ」


 頭が痺れるような感覚に襲われる。と同時に視界が、揺らぎ始める。ポーチが落ちていた? 違う。落ちていたんじゃない。遥のことだから、落としたんだ。それが意味することは……一つ。嫌だ! 違う違う違う! 遥は今、どこかで遊んでいるだけだ! 必ず何事もなかったように帰ってくる! いつものように意地悪な笑顔を浮かべて、びっくりした? とか言って! それがぼくたちの日常なんだ! こんな非日常があってたまるか! そんな可能性、頭から消えろ! 消えろ! 消えろおおぉ! …………消えない。遥は、誘拐された。


「あああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 ぼくのせいだ! ぼくがあの時、高角の変態野郎を見つけて釘を刺しておくことができていれば! ちゃんと警戒して、一人で出歩かないように言っておけば! 遥が誘拐されることなんてなかったのに! 何が遥を守る、だ! 全然守れてないじゃないか! ぼくは大馬鹿だ! くそ! 遥は無事なのか? どこにいる? 考えろ。考えろ!


「あっくん……」


 母さんが、こちらを見て驚いた表情をしている。


「何? 母さん」


「何って……。それに……声が」


「あ……」


 確かに、戻っている。なぜこのタイミングで? ――いや、今はそんなこと考えている場合じゃない。一刻も早く探しにいかないと。家を出ようとした時、母さんに肩を掴まれて引き留められた。


「さっきも言ったでしょう。あっくんは家で待っていなさい」

「きっと誘拐されたんだ。ぼくも探しに行く」

「……もしそうだとしたら、なおさら今行かせるわけにはいかないわ」


 もしそうだとしたら? この期に及んで、まだ疑っているというのか。どうしてそんなにゆっくりとしていられるんだ! 頭では誘拐されたんじゃないかって思っているくせに! こうしている間にも遥は苦しんでいるかもしれないんだぞ。ふざけるなよ! あの時だってそうだ。信用して警察に通報してくれていれば、遥だって誘拐されなかったかもしれない! もうわかった。大人は何か取り返しのつかないことが起きてからしか動かない。動こうとしない。それじゃ遅いというのに。大人たちが対処しか出来ないというなら、ぼくは予防してやる!


 母さんの腕を力いっぱい振りほどいて、家から飛び出る。背後から母さんがぼくを呼ぶ声が聞こえるが、そんなことどうでもいい。アパートの階段を駆け下りる。まずはぼくと分かれたところから遥の家までの道に、何か手がかりがないか探してみよう。遥のことだ、ポーチの他にまだ何かしら残しているかもしれない。


 痕跡を探しながら、遥の家までの道を走る。


 ――だが何もなかった時はどうする? 焦るな。こういう時こそ冷静になれ。落ち着いて考えろ。高角は遥を連れ去った後、どこに連れて行くだろう。自宅に戻られてしまっていたら非常にまずいが、それはおそらくないんじゃないか。転勤と同時に引っ越して来たのなら、住んでいるのはアパートかマンション、ということになる。わざわざ誰かに見られる可能性が高いところに連れていくとは考えにくい。


 そういえば。今日高角と会った時に仕事を片付ける、とか言っていたが、休日でも学校に入ることが出来る、という意味だよな。それができるなら、誰もいない夜の学校に忍び込むことも可能ということになる。警備員なんていないし、学校は完全に孤立した空間になる。誘拐して事を起こすには良い場所だ。調べてみる価値は十分にある。


 だが問題は、高角を止めることができるかどうかだ。非力な小学生じゃ、大人に力で敵うわけがない。返り討ちにあって終わりだ――普通だったら。ぼくには“声„が戻ってきた。まるで神が「この力で遥を救え」と言っているかのようなタイミングで。この“声„さえあれば、何とか戦えるかもしれない。だが、本当に使っても良いのだろうか。怖い。遥の事件の時に湧きあがったどす黒い感情と同じものが、今自分の中でくすぶっているのを感じる。高角と対面したときに、この感情を抑え込んだまま“声„を使える自信がない。またあの時と同じように取り返しのつかないことをしてしまったら。また遥を悲しませてしまったら。もしそうなった時のことを考えると、心臓が押しつぶされそうになる。


 遥の家の目の前で止まる。ここまで痕跡は――なかった。何らかの方法で対抗できなくされたのであれば、ポーチを落とすことで精一杯だったのかもしれない。


 遥の家から漏れる光の奥で、遥のお母さんの話す声がうっすらと聞こえた。


「――娘が行方不明なんです。どうかお願いします。娘を探して下さい。たった一人の娘なんです! 四年前あの子は溺れて死にかけたんです! 今度また同じようなことがあったら、私は……」


 どうやら警察に連絡をしているようだ。胸が締め付けられる。ぼくのこの気持ち以上に、遥の両親は心配しているだろう。目を閉じる。まぶたの裏に遥が浮かんだ。満面の笑みを浮かべる遥。元気いっぱいの遥。いろんな遥が脳裏に浮かんでは消える。


 ふと、昼間のことを思い出した。自分の意志を押し隠して、悔しそうに涙を流す遥。意を決して口を開くぼく――そうだ。遥を助けることができる力を持っているのに、その力が怖くて躊躇するなんて、どうかしている。四年前に決めたじゃないか。遥の進む道に危険があるなら、ぼくが振り払うと!


「……どす黒い感情に邪魔されたとしても、ちゃんとコントロールするんだ!」


 決意をあえて口にした。自分を戒めるために。しかし不安なのは、“声„を失ってから四年経った今、以前のように力を使えるかどうかだ。ぶっつけ本番はできれば避けたい。学校へ向かう前に何か試せるものがあれば……。


 遥が手がかりを残していないかの再確認も含めて、周囲を見回す。遥の家の塀とその奥に生い茂る庭木。左側に伸びる道路とそれに連なる家々……と、二軒となりの家のブロック塀からこちらを様子見る目。近づく。猫だ。まるで闇夜をまとったような真っ黒の猫が伏せている。まだ距離があって定かではないが、首輪はついていないようだ。さらに近づくと、以前小学校の校門で遥を待っていた黒猫だということに気付いた。普段から遥と接しているこの黒猫ならば、なにか知っているかもしれない。話しかけてみよう。小さい頃と能力が変わっていなければ、動物にも“声„が届くはずだ。


 怖がらせないように、ゆっくりと黒猫に近づく。黒猫は即座に立ち上がり、警戒態勢をとった。息を深く吸い込み、精神統一する。


“このあたりで、いつも君と接している女の子が誘拐される所を見なかったか?„


 黒猫は警戒態勢を解き、ぼくをじっと見つめてから頷いた。よし、成功だ! しかも遥のことを見ている!


“匂いをたどって、追跡できるか?„


「ナーォ」


 独特な鳴き声の猫だな。これは追跡できる、という返答なのだろうか。


“彼女を助けたい。ぼくに力を貸してくれないか?„


 黒猫は突然道路に飛び降り、走り出す。それに従って全力で走る。と、同時に喉が熱くなった。“声„を使った代償か。だがこの程度だったらまだ大丈夫だ。高角に力を使うことはできる。


 あっという間に遥と分かれた交差点に戻って、夕方歩いた道を逆走する。苦しい。肺が破裂しそうだ。でも例え破裂しようとも、走り続けてやる! ぼく以上に、遥は苦しい思いをしているんだから!


 ひたすら走る。走って走って公園まで来たところで、黒猫は突然脚を止めた。


「はぁ、はぁ……ど、どうしたんだ?」


 黒猫はきょろきょろと辺りを見回すばかりで、動こうとしない。どうやら追跡できなくなったようだ。鼻と耳を絶え間なく動かして、必死に探そうとしてくれている。


「……………………」


 その様子を見て、ふっ、と顔がほころんだ感じがした。


「言葉に縛られていて、君に意思がないのはわかってる。でも、聞いてくれないか? ずっと誰にも話せなかった、ぼくが人を殺してしまった話を」

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