第一章 2

「お待たせ。悪いね。少し長引いてしまったよ」

「それはいいんですけど、話ってなんてすかー?」

「ああ。ここで話すのもあれだから、奥へ行こうか」


 先生は遥のつっけんどんな対応に動揺しつつも言った。そしてぼくたちは先生たちのデスクが立ち並ぶ脇を通しすぎて、個室に案内された。先生の指示でソファに腰を落とし、ショルダーバッグから筆記ボードとペンを取り出したタイミングで、先生がぼくの目を見ながら口を開く。


「それで、どうだ。学校生活に不満や心配事はないか?」


 いきなりな話だな。わざわざ職員室に呼んで、話す内容がこれなのか。ともかく筆記ボードに返答を書いていく。


特に何もありません。

「それならいいんだ。声の調子はどうだ?」

どうもなにも、いつも通りですよ。

「そうか。確か声が出なくなってからだいぶ経つんだよな」

約四年です。

「そんなに経つのか。もうそろそろ戻っても良い頃だとは思うのだがなぁ」


 一体何なんだ。何が言いたいんだ。正直、不快だ。筆記ボードを書き殴る。


なぜそんなことを聞くんですか?

「俺は君を見てきて七ヶ月になるが、どうも周りに溶け込めていないような気がしている。もし声の事を気にしてコミュニケーションを取ることに引け目を感じているなら、何か力になれないかと思ってな」


 せっかくの先生のお人好しな部分が悪い方向に出てきている。先生は若くて教員経験も浅そうだし、困っている生徒の力になりたいと意気込むのはわかる。でもこれは全くの勘違いだし、余計なお世話にもほどがある。迷惑でしかない。


「君たち二人は仲がいいし、磯山も協力してやってくれないか?」

「協力って、何をするんですかー?」

「簡単なことさ。磯山は誰とでもすぐ仲良くなれるだろ。だからみんなで話をするとき、彼も呼んで輪に入れてあげてほしいんだ」

「まぁそれくらいなら私にもできますけど……」


 遥がぼくの様子を伺うように、ちらりと視線をこちらに向ける。どうやら困っているようだ。ぼくだけならまだしも、遥まで巻き込まないでくれ。これは少し度が過ぎている。とにかく、この無駄な会話を終わらせよう。


色々と気にしていただいてありがとうございます。でも大丈夫です。自分のことは自分でできます。


 先生に筆記ボードを見せた後、そのまま手に持ちながら立ち上がる。遥に「いこう」と言って――もちろん口パクだが――軽くお辞儀をしてから、先生に有無を言わせる暇を与えることなく応接室を出た。職員室を歩きながら筆記ボードとペンをショルダーバッグにしまう。職員室を出て昇降口に向かう途中、


「あっくん、大丈夫?」


 遥に心配された。


大丈夫だよ。先生はお人好しで優しいな。


 そう。お人好し。お人好しすぎて迷惑だ。だいたい、根本が間違っている。コミュニケーションが取れないのではなくて、取らないだけだ。ぼくには他人と関わる資格なんて、ないのだから。


「うん、優しいね。あっくん、険しい顔をしてたから先生との話が嫌なんじゃないかなって思ってた」

ぼくを想って言ってくれたんだと思うし、ありがたいよ。でも確かに踏み込まれすぎてあまりいい気はしなかったけどね。

「え?」


 言葉が少し長すぎたようだ。手話で捕捉する。


「やっぱりそうだよね。なんだか、さっきの先生はいつもと少し違ったような気がするなー」


 確かに。普段なら相手が嫌だと思った様子を見せたら、無理に話を続けようとしない人なのに。それほどまでにぼくを心配してくれているのだろうか。もしそうだったら、先ほどの対応は失礼だったよな。少し反省しよう。


 昇降口で上履きと下履きを履き替え外に出る。右手側の校舎――この小学校は運動場を囲むようにくの字に曲がった構造をしている。不思議な形だ――と、左手側の運動場に挟まれた校門までの一本道を歩く。


「それはそうとさ、あっくん」


 隣を歩く遥を見る。


「今日この後暇? おじさんの家に行こうよー!」

それを言うなら今日「も」だと思うけれど。最近二、三日に一度おじさんの家に遊びに行っているんだから。こんなに頻繁に行って、おじさんにとっては迷惑なんじゃないか?

「だいじょーぶ、大丈夫。おじさん、私たちが遊びに行くといつも嬉しそうにしてくれるしさ。ねぇ、行こうよー!」


 そんな上目遣いで目をうるうるさせるな。ちくしょう、可愛いじゃないか。そんな表情で見つめられたら、断るに断れないじゃないか。


わかったよ。行こうか。

「やったー! お菓子が楽しみだなーっと! でもおじさんってさ――ん?」


 無邪気にはしゃいでいた遥が何かに気付いたらしく、校門に向かって駆けていった。引き離されないよう、ぼくも駆け足でついていく。


「おー! おまえさん、こんなところで会うなんて珍しい。もしかして迎えに来てくれたのー?」


 遥がしゃがんで何やら桜の木に向かって話始めた。追いついて遥の視線の先を見ると、桜の木の下に黒猫がのんびりとした様子で座っていた。抱き上げて幸せそうにもふもふしている。そういえば一度聞いたことがあるな。遥の家の周りを拠点にしている黒猫がいて、友達になったとかなんとか。どんな人とでも仲良くなるようなやつだが、まさか野良猫とも仲良くなるとは。遥、恐るべし。


「ごめん、お待たせ―。さあ行こ!」


 しばらくその場で黒猫を愛でていたが、ようやく黒猫を離して立ち上がった。遥はどこかすっきりしたような表情をしていた。学校の敷地に植えられた桜並木の紅葉を眺めながら、自宅がある方向とは逆に歩き始める。と同時に先ほどの言葉の続きを促す。


さっきは何を言いかけたんだ?

「へ? さっきって?」

おじさんについて何か言おうとしていたじゃないか。

「ああ、そうだったねー。おじさんっていつも家にいるけど、普段何してる人なのかな?」

たしか結構前に聞いた時、自分じゃなくてお金に働いてもらってるって言ってたように思う。


 遥が大きな瞳をぱちくりとさせながら首を傾げたので、手話で補完する。


「お金が働く? 手足が生えて出稼ぎにでも行ってくれるのかなぁ」


 よくわからないが、流石にそれはないだろう。苦笑いをしてしまった。そういえば。四年も交流があるのに、ぼくの住んでいるアパートの大家さんということ以外、おじさんについてよく知らないな。今日聞いてみるか。


 学校を過ぎてしばらくしてから曲がり、住宅街に入る。複数の交差点を曲がって、立ち並ぶ家が一回り大きくなる。そこからもう少し歩いて、目的地であるおじさんの家に辿り着いた。


 敷地は周りの家の四倍はあろうかという広さで、その敷地いっぱいに白を基調としたモダンな家が建っている。二階建てで、背の小さなぼくにとってはゲームに出てくるお城のような印象を受ける。玄関周りは緑が溢れ、手入れの行き届いた色とりどりの草花が来客者を歓迎している。その隣には立派な車庫。普段はシャッターが下りていて中は見えないが、今日は少し開いていて、中に鈍く黒光りする車が見えた。


「いつ見ても大きいね。さぁ、おじさん呼ぶよー!」


 遥は言いながらニッコリすると、インターホンを連打した。

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