第16話

 背後に気配を感じてアシェルはゆっくり振り向く。息を弾ませ、美しい蒼い瞳を見開かせた白い髪の少女━━━ネージュが立っていた。


「……転送したの?」


 アシェルは何も言わなかったが、ネージュにはその場に残る魔力が感じられる。


(既存の魔法陣を使わずに転送? あり得ない)


 そう思いながらも、アシェルなら出来そうな気がするから本当にこの男は底が知れないのだ。


 アシェルは黙っているネージュを見て、鼻で笑って紅い瞳を眇める。


「約束、破ったね」


 約束、という言葉にネージュはピクリと反応し、不機嫌そうに口を尖らせた。


「破ってないよ」

「へぇ? これで破ってないって? 約束の内容を忘れたなんて言わせないよ」


 アシェルの纏う黒い魔力に顔をしかめた。

 いつもの輝くような金色の魔力ではない。どす黒い、禍々しい闇魔法だ。


 光闇の民は、光の魔法と闇の魔法を使うことが出来る。基本的には光の魔法を使うことが多いのだが……。

 どうやらアシェルは本気で怒っているらしい。

 紅い瞳がいっこうに金色に戻らない。


 アシェルは無表情のまま言葉を続けた。


「ネージュはアルメリアの魔法学校に行きたいんでしょう? ティナと一緒に」

「……そうだね」

「だから言ったじゃないか。僕の邪魔をしないのなら、僕に協力してくれるのなら、アルメリアに行くことを許可するって」


 アシェルは少し微笑んで首を傾げた。


 ネージュは苦虫を噛み潰したような表情をする。ネージュは今まで、アシェルに睨まれたことはあっても微笑まれたことは一度もない。

 ちなみにここまで饒舌に話しているのも見たことがない。

 アシェルはティナの前以外では基本無口無表情の無愛想なクソガキなのだ。


 それが、今、これだ。

 不気味すぎて背筋が凍りそう。


 ネージュはわざと体を震わせるようにぶるりと身震いをして、剣呑な視線をアシェルに浴びせた。


「アシェル、何か勘違いしているようだから言っておくけれど原因は貴方だよ」


 アシェルはじっとネージュを睨み付ける。

 あぁ、その睨み方も昔のままだ。


「ティナが好きなら、ティナが不安になるようなことをしないで」


 そう言えば、アシェルはハッとしたように目を開く。

 ネージュは構わず続けた。


「お洒落して、用事も詳細を伝えず、町に出掛けていく。この意味くらい、分かるよね?」


 今度はアシェルが苦虫を噛み潰したような表情をする。


「わかる? 自分が他の女の存在を仄めかしているの。ティナに怒られても、自業自得よ」


 アシェルはぐっと言葉に詰まる。

 ネージュは勝ち誇ったように笑った。


「じゃあ、尚更だよ。なんでティナを連れてきたの?」

「決まってるじゃない。ティナの不安を払拭してあげるためよ。実際ティナだって、アシェルのこと凄く気にしてるし、本人は気付いてないかもしれないけど……」


 絶対アシェルのことが好きよね。


 そう言おうと思ったが、ネージュは言い淀んだ。

 恐らく……と言うか絶対にティナはアシェルを好きなことを自覚していない。いや、考えないようにしていただけで実は前から好きだったのかもしれない、が、少なくともネージュはティナが自分の恋愛に関して興味があるとは思えなかった。


 アシェルを尾行したいと言った時も、アシェルが美少女と話していたと言っていた時も、ティナの表情は不安で揺れていた。

 アシェルが離れていって、寂しくなったのかもしれない。今頃アシェルの大切さを噛み締めているだろう。

 ……確かティナは今、アシェルの部屋だったか?


 ネージュは遠い目をしてため息をつく。


「本当、なんで女の子といたわけ? ティナを傷付けるようなことをするなら、私はアシェルに協力しない」

「……疑われるようなことをしていたのは自覚してる。フレシア様はこの国の宰相様の娘で、無下にはできない」


 アシェルがこの国の宰相にヘーメルの援助をして貰うため伺うと、宰相の娘であるフレシアがいたらしい。

 貿易での利益をチラつかせながら交渉したが、あちらも宰相。

 その娘を無視することはできず、やんわり対応していたら、婚約とかいう話になった。


 さすがのアシェルも焦り、自分には好きな人がいるから、無理だと言えば今度はフレシアが機嫌を損ねる。自分と出掛けたくれたら自分からも父に援助をお願いしてあげる……と言ったらしい。


「うん、まぁ、ちゃんとティナを好きだってハッキリ言ったのは追加ポイントだね」

「なんでそんなに上からなの?」


 アシェルは不機嫌そうに眉をひそめる。

 ネージュは両手を上げて降参のポーズを取った。


「今回は私も悪かった。アシェルに彼女とかホントに悪ふざけで言ったんだけど、まさか本当になるなんて……」

「いや、本当じゃないから。ふざけないで」

「言葉の綾だって。いや、ごめんね? 余計なことしちゃったなぁ……」


 正直言えば、二人は両思いだしほっといてもくっ付くだろうけど、なんとなくアシェルを不憫に思った。


「アシェルはどうして急にティナから離れたの? ヘーメルの外へ行ったりさ」

「領主様と奥様に言ったんだ。ティナと結婚させてくれって」

「なるほどねぇ____って、え、はぁ?」


 ネージュは信じられないと瞠目する。しかし、すぐに楽しそうに輝く白い髪を揺らしながらケタケタ笑った。


「結婚! 気が早いねぇ! いや、さすがと言ったところかな? アシェルも男だね」

「ほんっとその言い方腹立つ。馬鹿にしてる?」


 ネージュは笑いながらも首を振る。

 そこまでティナに本気になっているアシェルは相当だな、とネージュは思った。


「してない、してない。それで? 領主様たちはなんて?」

「ティナの旦那になるってことは、ヘーメルの領主になるってことだから、覚悟を持てって」


 アシェルはあっけらかんと言って、肩を竦めた。


「え、それでヘーメルの結界をぶち壊して無理やり関所にしたの?」

「ひどいなぁ。別に無理やりじゃないよ。領主様がやきもきしてた問題を解決して円滑に対応しただけじゃないか」

「はぁ……アシェル……」


 15歳の子供が出来ることとは思えない。

 やはりアシェルには並々ならぬ才能があるのだ。


「で、ティナを嫁に貰いたいって言ったのが2年前?」

「そう。領主様たちにはすでに許可して貰ったよ。ヘーメルが賑わって喜んでくれたしね」

「なら、なんでさっさとプロポーズしないのよ」


 純粋な疑問から飛び出した言葉だったが、アシェルは途端に口を閉じた。ネージュは首を傾げる。


「……自分に、自信がなかったから……」

「は?」


 突然のヘタレ発言にネージュは目を丸くする。

 ティナより先に親から結婚の許可をもぎ取っておいて今さらなんだ。


「ティナは、僕のこと可愛いとしか言わないし、男として見られてないのかなって。まぁ、僕もティナの前では気が抜けちゃうから仕方ないのかもしれないけど……」

「……(気が抜けるってレベルじゃないと思う)」

「男として見たことないから、とか言われたら僕、絶対に死にたくなる」

「……(部屋に連れ込んでおいて今更じゃないの?)」


 アシェルが空虚を見つめながら乾いた笑みを浮かべて力なく笑った。


「でも、それじゃあいつまで経っても告白できなくない?」

「うん、そうなんだけどさ……」


(なんだこのヘタレ野郎は)


 ネージュはなんとも言えない気持ちになる。ティナが甘やかしすぎたのだろうか。だからこんなに極端な男になってしまったのか。

 ティナ以外のことでは大胆で天才的なのに、ティナのことになると途端にヘタれる。


 猪突猛進タイプのネージュからすればこの二人の状態は非常にスッキリしない。


「さっさとプロポーズしてきなよ。ティナを部屋に閉じ込めてるんでしょ? 趣味悪いわ~」

「うるさいなぁ。あの時はカッとしちゃったんだよ。ティナが他の野郎と結婚するとか言うからさ」


 いつの間にか金色に戻っていたアシェルの瞳がまたじわじわと紅に侵されていく。

 ネージュは思わず一歩引いた。


「うわぁ……」


 ティナがアシェルを甘やかしすぎた結果だ。

 ティナの優しさが、暖かさが心地よいからティナがいないとダメになる。幼い頃から、アシェルは決してティナの手を離さなかった。ティナもそれを拒まなかった。

 そう考えればティナもティナだ。甘やかしすぎたから、囲われる。


「私、無理。アシェルとか好きになれない」

「は? 僕はティナ以外無理だから」

「束縛やだ~!」

「あのね、僕だって常にこんな状態じゃないし」


 二人がやんややんや言い合っていると、フレシアの声が遠くから聞こえた。


「あ、カノジョのお出ましだね」

「そろそろ本気でシバくよ」


 ギロリと睨まれてネージュは大人しく黙った。


「どうせなら転送してくれない? 一人じゃ帰れない」

「ああ。そのつもりだよ」


 アシェルの瞳が金色に淡くひかって足元に魔法陣が表れた。


「私の部屋に送ってね」

「……はぁ、注文が多いなぁ」

「久し振りに話したけれど、やっぱり合わないね。私たち」

「奇遇だね。僕もそう思うよ」


 互いに顔を見合って皮肉げに笑う。

 魔法陣から溢れる光が強くなり、ネージュの姿が薄くなっていく。


「さっさとティナを幸せにしなよ。ヘタレ君」


 アシェルは驚いたように瞠目した後、少し口角を上げて微笑んだ。初めてネージュに見せる、心からの微笑だった。


 フッと周りの風景が変わる。

 本と洋服類が散らかった、いつもの部屋。ドスンッと音が鈍く部屋に響いた。


「……やっぱり仲良くなれそうにないわぁ……」


 ヘタレと言った仕返しか。


 ネージュは痛いお尻を擦りながらしばらく外の夕日を眺めていた。


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