第15話

 アシェルの腕には先刻と変わらず赤目の美少女が巻き付いている。それを見て思わず顔をしかめた。せめて最後まで隠し通してほしかった。そしたら知らん顔できたのに。


 婚約をしようと考えている人間の思考回路とは思えなくて再び自分に嫌悪を感じながら、下を向いた。名前を呼ばれて振り向いちゃったからもう無駄なんだけど……。

 あぁ、ネージュ、早く来て!


「アシェル様? この方はどなた?」


 様!? 様付け! 前世と今世を含めて初めて聞いたよ!

 やっぱり良いとこのお嬢様だ。


「ヘーメル領主の娘様だよ」

「まぁ……この方が……」


 赤目の美少女は、私を上から下まで凝視してから、ニヤリと口角を上げた。

 なんて言うか……性格悪そう。

 完全に私を馬鹿にしている。私の方が上ねって雰囲気がビシバシ伝わってくるんですけど!


 アシェルは美少女を背中に隠して私をじっと見つめた。

 え、隠す必要あります? 私に会わせたくないんですか? 紹介くらいしてくれてもいいんじゃないの?


 一瞬イラっとしたが、今の自分の格好を思い出す。美少女みたいな綺麗なドレスは着てないし、変なフード被ってるし、手にも口にもフランクフルトだし、腕には鳥かごをぶら下げてるし。少なくとも、挨拶できる格好ではなかった。

 あー、これは馬鹿にされるわ……。


 妙に納得していると、アシェルは恐ろしく低い声で私に問いかけた。


「ねぇ、なんでここにいるの?」


 冷たすぎる瞳が私を射抜いている。待って。こわい。めっちゃ怒ってる。


 いや、ここで怯んではいけない。アシェルだって彼女とデートしているじゃないか。だったら私だって……。


 フランクフルトを飲み込んで、キッと睨み返せば、アシェルは少し驚いたように目を見開いた。


「ア、アシェルだって、そこの美少女とデートしてるじゃない! 私がどこにいようが勝手でしょ!」


 なんか、面倒くさい彼女みたいな言い方になってしまった……。言葉に棘がありすぎる。


 言い終わった後ではっとして思わず身を縮ませる。恐る恐るアシェルの顔を見れば、全く笑ってない。一歩間違えれば般若確定である。

 気温はむしろ暑い方だと言うのに背筋が冷えるのはなぜだ。お化け屋敷に入った時みたいにひんやりする。

 主に恐怖で。


「あらやだ、デートですって。うふふ。嬉しいわ」


 後ろに隠れていた美少女が大きな胸をさらに寄せて楽しそうにアシェルの腕に巻き付いた。

 アシェルは吹雪が吹きそうなあの無表情を一転させて朗らかに笑う。


「ね? アシェル様もそう思うでしょう? 私たち、すごくお似合いなのよ?」

「勿体ないお言葉です。フレシア様」


 フレシア。恐らく美少女の名前。

 なんだよ、イチャつくならよそでやれよ。


 内心不貞腐れまくってむっと口を尖らせた。


「フレシア様はこちらのお店に行かれたかったのでしょう? 私は外で待っていますから、どうぞお買い物をしてきてください」

「うふふ、じゃあお言葉に甘えて」


 語尾にハートが付きそうなほど甘くアシェルに囁いたこの美少女は、店内に入る途中で私を一瞥してから鼻で嗤った。

 勝ち誇ったようにニヤリと微笑むと、好戦的な赤い瞳がキラリと光る。

 ロックオンされたような感覚に身震いする。

 この子も怖い。


 自分で自分の体を抱き締めると、再び吹雪が吹いた気がした。


「さぁ、ティナ。ちょっとお話しようか」


 一歩、アシェルが近付いてくるので私も一歩後ろへ退く。

 あの美少女の前ではあんなに笑顔だったのにもう恐ろしい無表情に戻っている。あぁ、ゲームのアシェルそのものだ。目の当たりにすると怖すぎる!


「お話は……しません」

「ん? なんて?」

「だから、お話は……」


 小さく首を傾げたアシェルが黒く嗤った。

 私の主張も聞いてほしい。ネージュ、ホントに助けて。


「話はしない? なら仕方ないね。帰ってゆっくり話そう? 二人きりで」


 首がもげるんじゃないかって言うくらい首を横に振るけどアシェルは構わず私の方に近付いてくる。


 怖いって。まず、その黒い笑顔を止めよう?

 絶対怒られるじゃん。外出禁止一週間コースだよ。


「私だって、外に出たかった……」

「もう少し我慢できたら、外に出られたよ」

「今すぐ出たかった」

「それは無理だったね」


 だから、なんなの。この気持ち悪いほどの冷静さは。これ、私が怒っていいよね?


「アシェルは可愛い彼女捕まえてさ、ヘーメルにいたら私には出会いの一つもないじゃない!」

「……フレシア様は彼女じゃないよ。というか、出会いがあると困るから外に出さなかったんだけど」

「端から見たら完全にカップルだったよ。私にだって出会いがないと結婚も出来ない!」


 必死に反論していると、アシェルの足がピタリと止まった。


「え、ティナ、結婚考えてるの?」

「え、うん。まぁ、結婚ていうか、婚約?」

「は? なに? どういうこと?」


 不穏。

 空気が不穏だ。アシェルの金色の瞳がゆらゆら揺れていた。

 空が、暗い気がする。雨が降る匂いがする。


 私がいた場所は大通りから少し外れた場所だったが、アシェルが私を追い込むから裏路地に入ってしまった。

 裏路地は迷路みたいになってて、逃げるのは簡単だけどその後ネージュと合流できるか……。

 逃げたらここら辺をうろうろできないし。


「誰? 誰と婚約するつもりだった?」

「え? 別に誰って訳じゃないけど……。まぁ、適当に?」


 我ながら曖昧な回答だと思いながらも、母さんとか父さんに紹介してもらってお見合いみたいな形で婚約できればいいと思っていたからあながち嘘じゃない。


 刹那、ぶわっと風が吹いてフードが外れた。


「適当、なるほど。適当ね。ふ、ははは」


 突然笑い出したアシェルに不気味さを感じてさらに後退る。トンっと背中に小さな衝撃を感じて後ろが行き止まりだということに気付いた。


「アシェル?」

「いやぁ、僕はバカだなと思って」


 アシェルからバカという単語を久しぶりに聞いた。嫌な予感しかしない。


「ティナがその気ならすぐにでも行動に移せば良かった。どっかの知らない男の物になるなんて、虫酸が走るね」


 ふんわりと微笑んだアシェルの瞳は緋色に染まっていた。

 久し振り、というか、ここ何年も見ていない。2年前に脱走した時も瞳の色は変わらなかった。


 アシェルの瞳が緋色になるのは、怒りや悲しみや憎悪で感情がコントロール出来ない時らしい。

 前に自分で言っていた。


 つまり、今、アシェルは自分の感情をコントロール出来ないほど怒っているということになる。


「ご、ごめんなさい」

「なんで謝るの? 僕が悪いんだ。慎重に動きすぎたから。もう少しで全部無くしてしまうところだったよ」


 瞳を紅くして、微笑みながらアシェルは手のひらに魔力を溜めだした。


「……ぇ、何するの?」

「ティナをヘーメルに帰すんだよ」


 しばらくすれば足元に魔法陣が浮かび上がった。これは、木の根元に描かれてあったのと同じだ。


「だ、ダメ!」


 ネージュがいるのに!

 そう言おうとした私の言葉はアシェルによって遮られた。


「何がダメなの? あぁ、安心して。僕の部屋に転送してあげるから。帰ったらお話しよう?

 ……最初からこうすれば良かったんだね」


 まずい、色々まずいって。なんか、魔法陣から出られないんですけど。

 ネージュが帰れなくなるし、アシェルの瞳が尋常じゃないくらい緋色だから!


「ネージュが! ネージュも一緒に来たの!」


 見えない魔法陣の壁を叩きながら必死でアシェルに伝える。アシェルも他人の魔力が見えるらしいから、ネージュのことを探せるだろう。


「アシェ___」


 名前を呼ぼうとしてひゅっと息を飲んだ。

 アシェルに私の声は聞こえてるのだろうか。


 瞳を緋色に染めたアシェルは悲しそうに顔を歪めて、私を見据えていた。


「お願いだ、ティナ。いなくならないで。僕のそばにいて」


 怪しい光を宿した緋色に見つめられて声が出なくなる。


「……いなく、なったりしないのに……」


 小さく呟いた声はアシェルに届かず、フッと周りの風景が変わる。

 白と黒を基調とした、シンプルな部屋。


 私がいたのはアシェルの部屋のベッドの上だった。


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