宮下 遥 4

 私を探す。漠然とした目的に対して特別手掛かりを持っていない私たちは、とりあえず観光する形で町を見て回ることにした。その中でさっきのように何かを思い出し、考えるきっかけを掴めたらいいと思っていた。

 もし何も得られないようならまた改めてどうするかを考えなければならないが、町に向けて歩き出した時にはもう、芽生えた期待は核心に出会う予感に変わり私の胸をくすぐっていて、上手く行かなかった時を憂うことを忘れさせていた。


 ご神体をあとにした私たちは珠守神社たまもりじんじゃから山を下りるように町を見て歩いた。

 籠根町かごねまちは古くから宿場町や山岳信仰の地として栄えてきたので、山腹に沿うように名所旧跡が点在している。

 十香とおかさんと私はそぞろ歩くようにそれらを覗いてまわった。

 はたから見れば、麦わら帽子を被ってキャリーバッグを持った女性の一人旅。だけど私にとっては、まるで友達と旅行をしているかのようで、それに彼女と感じる町は匂いも音も景色も新鮮で、正直に言うと目的を忘れてしまいそうなくらい嬉しくて楽しかった。

 途中古びた観光施設のゲームコーナーで、写るかどうかの実験と称してプリクラを撮ったのは、はしゃぎ過ぎていたかもとは思うけれど。


 そして木漏れ日が揺れるとある遊歩道。


「川の音が聞こえますね」


 十香さんがそう言って視線を向けた方向には、木々の間に開けた景色があった。


「うん、下に川が流れてるよ」


 ちょうど休憩用のベンチがあったのでそこに荷物を置き、十香さんは音のする方にある安全柵へ歩み寄った。安全柵の向こうは崖になっている。この遊歩道は片側が崖に面しているのだ。


「わあ、いい景色ですね」


 素直に感嘆の声を上げる十香さんに倣って私も景色を見る。

 眼下には山間に広がる温泉町。

 遊歩道は、谷底平野にある町から見上げれば高台に位置している。だから町を一望できるのだ。

 籠根町。山に囲まれたこの場所は確かにかごのように見えなくもない。龍の揺り籠、籠根。或いは昔の人は龍の存在に気が付いていたのかも知れない。


 もしかしたら十香さんのように龍とコミュニケーションがとれる人もいたのかも。だとしたらここは龍のためにできた町で、そこに人が集まって発展して、なんて、そんな可能性もあったりして。そう言えば、十香さんはどうしてこの町にきたのかな……。


 そんな風に思って隣を見ると、彼女の姿がなくなっていた。


「あれ? 十香さん?」


 振り向くと彼女はベンチでキャリーバッグを開けていて、なんだろうと思ったのも束の間、私が思わず呆れ声を出してしまう物を取り出した。


「十香さん、どんだけお饅頭あるの?」


 彼女が出したのは中身の詰まった二つ目のお饅頭の袋だった。ちなみに一袋目はここに来る道すがらしっかりと食べきっていて、ずっと傍で見ていたせいか私はお腹がいっぱいに感じていた。


「ふふ、たくさん買ってしまいました」


 嬉しそうな顔。

 この時、一つ確信した。


 十香さんやっぱり変だ。龍がどうとか、町がどうとかよりも、よっぽどこの人の存在が不思議で変なんだ。


 私は気を取り直して聞いた。


「ね、ねえ、ところで十香さんはどうして籠根にきたの?」


 ん、そうですね、と彼女はキャリーバッグを閉める手を止めて再び中身を探り始める。


「きっかけがありまして……」


 十香さんはキャリーバッグから何かを取り出すとそれを私に差し出した。


「これなんです」


 彼女が持っていたのは一枚の古ぼけた写真だった。


「この写真を偶然手に入れまして」


 それはご神体を写した風景写真。

 夕方。大岩。撫子なでしこの花。全体的に空が大きく映し出されていて、まるでご神体が花畑の中から空を見上げているかのようで。

 瞬間、私は何か既視感のようなものを感じた。


「これ、私、知ってる……?」

「この写真をですか?」

「あ、うん、いや、でも……」


 その感覚がはっきりしない。

 そもそも既視感だとしても、それが写真自体に対するものか写っている風景に対してのものかさえ分からない。後者だとすれば既視感を覚えるのは当たり前だ。

 だけど、どちらにしろこの写真を見た時に不思議な感覚を覚えたのは確かだと思う。


「この写真どうしたの? その、どこで手に入れたの?」

「これは古書店で買った本の間から出てきたんです」

「古書店?」

「はい、そこで図書館の除籍本のセールが行われていまして」

「図書館……」


 写真、図書館、その二つのキーワードがどうしてか私の中でつながる。しかし二つを結んだ線はそれ以上なかなか何かを描き出そうとしてくれない。


「あの、はるかさん?」

「十香さん、ごめん、少しだけ待ってて、何か思い出せるかもしれない」


 分かりました、と笑ってくれた十香さんの顔に安心して私は自分の考えに没入していった。


 しばらくして顔を上げると、十香さんは景色を見ながらお饅頭を食べていた。


「十香さん、だめだ、思い出せない……」


 結局、既視感以上のものには辿り着けなかった。


「大丈夫ですよ。もう少しヒントが集まったらまた考えてみましょう。そうですね、図書館を目指してみるのもいいかも知れません」

「うん、ありがとう」


 それから十香さんは袋からもう一つお饅頭を取り出した。

 まだ食べるんだね。


「あれ、これ焼印の柄が違いますね」

「あ、シークレットがあるんだよそれ」

「昇り龍ですか」


 そう言って十香さんはお饅頭を空にかざした。

 と、そこでどうしてか彼女は変なことを言った。


「あ、ところで、この辺りって、熊出ます?」

「え、山の奥の方ならいるけど、あんまりこっちには……」


 写真、図書館、熊。

 その時私は思い出す、それはほんの些細な会話。


『もしも熊に出会ったら、だって。ねえ、この辺りって熊出るの?』

『山の奥の方ならいるらしいけど、こっちには出てこないよ』

『じゃあ、大丈夫だね』

『うん』


 二つの点が三つになって、線が面になって、私の中で記憶の欠片が生まれたのを感じた。そしてその欠片は落ちていくようにパチリと私の心に嵌まり、瞬間私は驚いて体を揺らした。


「わ!」


 微かに十香さんの悲鳴も聞こえたような気もしたけれど、自分のことでいっぱいいっぱいだった。


「十香さん!」


 しかし、私が声をかけた時、十香さんもまた安全柵から身を乗り出し崖下に向かって大声を上げていた。


「すみませーん! 大丈夫ですかー?」

「十香さん? ど、どうしたの?」

「今、なぜか体がビクリとして、お饅頭が飛んで行ってしまって」

「ええ!?」


 私の感覚を共有してしまったのだろうか。確かに十香さんになら有り得るかも知れないけれど。

 再び崖下に声を上げる十香さん。


「すぐ取りに行きますー!」

「ごめん、私のせいかも知れない」

「え、そうなんですか? 大丈夫ですよ、気にしないでください」


 それから私たちは道中今の出来事を話しながら崖下の川辺へと急いだ。

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