宮下 遥 3

 山道の最後は石造りの階段と灯籠とうろう。階段を登りきり鳥居を潜るとついにその場所は現れる。


 山の頂と言う訳ではないのだが、開けていて空が良く見える円状の広場、見渡せば山林がこの場所の周囲を囲んでいる。しかし不思議と、まるでそれ以上は踏み込んではいけない領域であるのを知っているかのように、木々は広場の中には生えていない。


 その代わりちょうど林が終わった辺りからは背の低い別の植物が群生している。生い茂っているのは撫子なでしこ。同心円状に広がり、ピンク色の花を、そよ吹く風に揺らしている。


 撫子も円の中心に近付くにつれ数を減らし、中心から一定の距離になると今度は地面に岩肌が露出し始める。


 そしてさらに円の中心、剥き出しになった岩盤の上、それは鎮座している。


 ご神体の大岩、龍の卵。


 直径七メートル、推定五百トン以上の巨体。完全な球体と言うよりかは、やや上から押しつぶしたような楕円体の形をしている。一般的な花崗岩かこうがんのような表面なのだが、そこにはこけどころか汚れ一つ見当たらない。

 その、この広場一体を含めた大岩の様相は、まさしくご神体と言うに相応しい、ある種不自然な、異様な雰囲気を醸し出していた。


 例え龍が宿っていなくても、大岩はご神体として人々にあがめられるものになったのだろう、と私は思う。


 鳥居から広場の中央までは舗装されていないが道が出来ていて、そこを歩いてご神体へと向かう。


 十香とおかさんは目の前まで近付き荷物を降ろし大岩を見上げた。

 私も隣で一緒に見上げる。


「これが龍の卵。本当に大きいですね」


 十香さんは感嘆の声を漏らした。

 それもそうだろう、触れられるほどに近付けば、横に広がる楕円体の形状と、どうやっても見えない高さの終端によって、大岩はさらに迫力を増す。


「うん、凄いよね。この中に龍が居るんだ」

「それははるかさんが先程仰っていた」


 私は頷いた。


「龍は人間には見えない生命体。姿形が無くて情報だけの存在。でも確かにここに宿っている。私もその一部」


 大岩に触れると、光が揺れるようにわずかに龍の気配が動くのを感じた。


「この子はまだ子供で、この町で夢を見ているの。その夢の一つが私。私を通して色々なことを見て、学んで、少しずつ成長している。龍の糧もまた情報なんだ。だから実はこの大岩が龍の卵って言われているのは不思議だけどぴったりなんだよね」

「本当ですね」


 十香さんの素直な返事には他意は全く感じられず、私の話を信じてくれているのが分かって、改めてホッとした。


「私にもこの大岩と龍の関係の始まりは分からない。どちらが先でどちらが後で、龍のために大岩が存在しているのか、大岩があるから龍がここにいるのか、そこまでのことは知らない」


 そこで私はふと思った。


「あ、そうか、もしかしたら十香さんには大岩と似た何かがあるのかも。だから私と話ができたりするのかも知れない」

「大岩と似た、何か、ですか……」


 ちょっと複雑そうな表情をした十香さん、私と顔を見合わせると一緒にくすりと笑った。


 優しく吹く風が十香さんの髪を揺らした。

 私は大岩を見上げ話を再開した。


「龍はずっと繰り返している。昔からずっと。ここで。ライフサイクルを。それは一緒に成長してきた私だから分かる。そしてこの子も今、更なる成長の時を迎えている」

「成長の時」

「うん。龍は最近いつも空を見ているの。何かがくるのを待っているんだ。きっとそれがきた時がその時だと思う」

「それはいつなんでしょうか?」

「ううん。分からない。でもきっとたぶんもうすぐ。その時がきたら龍はこの大岩を、この町を飛び出していく。そしてそうなったら私も一緒に行かなければいけない。私も龍の、この子の一部だから」


 それから私は次の言葉を探しながら自然と俯いてしまった。


「だけど……」

「遥さん?」


 十香さんがその名前を呼ぶ。

 そうだ私の名前は……。


『遥』


 また誰かが、十香さんではない誰かが私を呼んでいる。

 胸が不意に苦しくなる。


「十香さん、私、思い出したんだ。私の名前を。そうしたら、その名前を誰かが呼んでいるの。だけどそれが誰なのかが分からなくて……」


 十香さんの方を振り向く。彼女の背後、微かに撫子の色が視界に映る。


「私は本当に龍なのかな。名前を思い出してから、ずっと不思議な感覚があるの、今までなんとも思っていなかった町の景色が、どうしてか懐かしいの」


 そしてその懐かしさにも似た想いが胸の中にあって、それが何かと考えていると、その想いはいつのまにか体の中を広がって、指先まで切なくなってしまう。


 私は震える手をぎゅっと握って言葉を吐き出した。


「ねえ、十香さん、お願いがあるの!」

「はい」


 真っ直ぐと見つめてくれる。

 私と話ができる人。

 私にお饅頭の美味しさを思い出させてくれた人。

 私を信じてくれる人。

 きっとこの人なら。この人と一緒なら見つけられる。


「私を探して」


 十香さんは、こんな私のお願いに、ほとんど考える間もなく答えて、そしてこともなげに笑った。


「任せてください」


 その時広場に一陣の風。巻き上がるように吹いた風は撫子の花弁を幾枚か空へ舞い上げた。


 思わず見上げた空に私はまた遠く響かせる龍のいななきを聞いた。

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