第3話 子守唄を聞きながら

僕がこの街に来て3年が経とうとしていた。人間の背丈程度の大きさだった僕は、最近公園の隣に出来たビルの2階の高さ位に迫ろうとしていた。

けど、いまだに冬の北風と夏の台風は僕の体にとって天敵である。

今日も冬晴れの1日であったが、北風が時折強く吹きつけ、僕の枝も強く揺さぶられてもぎ取れてしまいそうになった。

夕方になり、風が徐々に落ち着いてくると、僕はほっと一息ついた。

その時、僕の耳元に、心地よい歌声が聞こえてきた。

ゆるやかで、なめらかで、ずっと聞いていると思わず転寝してしまう位に、おだやかな声であった。

やがて、僕の目の前に、大きな半纏をまとい、ひざ丈のスカートにサンダル姿の女性が現れた。

そして、半纏の背中から、珠のようにかわいらしい赤ちゃんが顔をだしていた。

女性は、敬三の妻となった君枝だった。


「ほら、隆也。見てごらん。大きなケヤキの木があるよ。昔はすっごく小さかったのに、もうこんなに大きくなったのよ。隆也りゅうやも早く大きくなると良いね」


君枝は、僕を指さしながら、背中にいる隆也という名前の赤ちゃんに話しかけていた。

隆也は、君枝の方をじっと見ると、やがて君枝と同じように僕の方へ指をさしながら、「ア~ア」と可愛い声を上げた。


「なーに、隆也、このケヤキさんが気になるの?」


すると、隆也はじっと僕を見つめ、再び「ア~ア」と声を上げた。


「そんなに気になる?じゃあ、触ってみようか?こんにちは~、僕、隆也です。よろしくねって」


そう言うと、君枝は隆也の小さな手を取り、そっと僕の体に触れさせようとした。

すると、隆也は突然、小さな掌を広げ、僕の体をバチン!と思い切りひっぱたいた。

もちろん、赤ちゃんの一撃なので痛くはないけど、いきなりの平手打ちに僕は肝を抜かした。


「だ、だめでしょ!?隆也、そんなことしたら、ケヤキさんも痛い痛いって言って、泣いちゃうわよ。ママと一緒にごめんなさいって言って、謝りましょ」


そう言うと、君枝が「ごめんなさい」と言いながら頭を下げる一方、隆也は君枝の背中でキャッキャと笑いながら手をじたばたさせていた。


「隆也、何で笑ってるの?一緒にごめんなさいって言いましょ、ね!」


しかし、隆也はそんな君枝の叱咤をよそに、奇声をあげながら、ずっと笑い続けていた。


「もう、しょうがないわねえ。ねえ、面白いの?ケヤキさんをひっぱたくの」


すると、隆也は満面の笑みで手を開いたり握ったりしながら「ア~ウ~」と叫び、喜びをめいっぱい表現していた。


「そうなんだ、そんなに面白いんだ。じゃあ、もっとひっぱたく?」


すると、隆也は腕を伸ばし、大きく開いた掌で僕の体をバチン!とひっぱたいた。

そして、キャッキャッと大声を上げて笑い出した。


「あらあら、そんなに嬉しい顔されると、ママ困っちゃうわ。ケヤキさん、ごめんね」


隆也はしばらく笑っていたが、やがて笑いつかれたようで、ウトウトし始めた様子だった。


「隆也、眠いの?じゃあ、また子守唄唄ってあげるね」


そう言うと、君枝は半纏の背中をゆっくり叩きながら、子守唄を唄い始めた。

その声は、ゆったりと伸びのある、心地よいものであった。

あれだけ大喜びしていた隆也は、いつの間にか君枝の背中で目を閉じ、スウスウと小さないびきを立てていた。


『ゆ~りかご~のう~たを カ~ナリヤ~がう~たうよ~……ね~んね~こ ね~んね~こ~ ね~んね~こ~よ~……』


あまりにも心地よい歌声に、僕も眠気を覚え、そのまま寝込んでしまった。

日中強く吹いていた北風は止み、そよ風が吹き、枝をゆるやかに揺らしながら、僕はすっかり夢の中にいた。

やがて目を覚ますと、君枝と隆也の姿は無く、辺りは夕闇に包まれていた。

後で思い返すと、これが隆也と僕の初めての出会いであった。

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