第13話「覚醒」

恐竜人間は急激に知性を獲得し、言葉を得た。

それどころか不動明王火焔呪という真言を唱え、道摩に匹敵する高い法力で道摩が作り出した式神を灰にした。

―進化しているのか?しかしそれでは、火焔呪が何故使える?

道摩がそう考えた瞬間だった。

目の前が暗くなり何も見えなくなった。

―これは……

―目が見えない?

思わず口に出して呟いたつもりだった。

―聞こえない?!

道摩はさっきまでしていた、畳の匂いもしなくなっている事に気が付いた。

道摩は何かの術に嵌められた事に気が付いた。

―五感を失わせる術か?

道摩は平衡感覚も喪失した事に気が付いた。

立っているのかどうかも分からない。

恐竜人間は新たに得た力を試しているのか、或いは遊んでいるのかのどちらかだと思った。

この状態ならば、道摩をどの様にも出来る。

だが、仕掛けて来ない。

どちらにしても、時間は掛けられない。

最悪このままの状態が続けば、常人ならばいずれ発狂する。

道摩とて長引けば例外ではない。

それ以上に心配なのは、身体機能をどんどん奪われて呼吸や、心臓を動かす事なども出来なくさせられる事だ。

―道摩さん。

―慧春尼?

慧春尼の思念の様な物が伝わってきた。

―はい。この術は相手の五感を奪う物ですが、術者にも負担が大きくもすぐには動けません。私にも掛かっておりますが、二人で法力を合わせれば解くことが出来るはず。

―あんたにまで掛ける事が出来るとは……

―はい。でも完全ではありません。防ぎきる事は出来ませんでしたが。

―どうすればいい?

―帝釈天の真言はご存知ですか?

―ああ知っている。

―では、一緒にお願いいたします。

―わかった。

― ナウマク・サマンダ・ボダナン・インダラヤ・ソワカ ・

― ナウマク・サマンダ・ボダナン・インダラヤ・ソワカ ・ 

― ナウマク・サマンダ・ボダナン・インダラヤ・ソワカ ・

― ナウマク・サマンダ・ボダナン・インダラヤ・ソワカ ・

二人の内側から、力が湧き上ってくる。

帝釈天は、元々はインドの英雄神のインドラである。

雷の矢を操り魔神と闘った闘神でもある。

故に破魔の真言と言えた。

― ナウマク・サマンダ・ボダナン・インダラヤ・ソワカ ・

― ナウマク・サマンダ・ボダナン・インダラヤ・ソワカ ・

突然、稲妻が落ちたかの様に辺りが一瞬明るくなった。

道摩は目が見える様になっていた。

少し離れた所に、恐竜人間が立っている。

慧春尼は道摩の横に居る。

恐竜人間は両眼を瞑り、見た事のない印を結び、聞き覚えのない真言を唱えていた。

印を結ぶ手は、いつの間にか狂暴な鉤爪から人間の手になっている。

不意に恐竜人間の真言が止んだ。

瞑っていた眼を開ける。

道摩はその眼を見て驚愕した。

狂暴さと邪悪さが混在する眼に、先程までは無かった明らかな深い知性が見えたからだ。

更に道摩は眼を見てそれに気が付いた。

眼と眼の間に、縦に閉じられた眼の様な物が有るのを。

―まさか第三の眼か?もしや……こいつは……

「道摩さん!考えてはいけません!」

「すまない大阿闍梨。だが、残念ながら少し遅かった様だ」

見ると、縦に閉じられていた第三の眼が左右に開かれていく。

道摩がそれを見て言った。

「こいつは、

「……はい。恐らく」

「どうやら俺があいつを釈迦として認識したせいで釈迦として確定させてしまった様だな」

「仕方ありません」

「いいのかい?あいつから悟りを開く教えを請わなくて」

道摩は、軽く皮肉めいた口調で慧春尼に聞いた。

は私の求めるではありません」

憮然とした口調で慧春尼が答える。

それが合図でも有ったかの様に恐竜人間、いやが結跏趺坐の形で畳に腰を下ろすと印を定印、鎌倉の大仏がしている手の印を取った。

この印は仏教で瞑想をする為によく用いられる印である。

「定印?何をする気だ?」

「分かりません」

は、額に有る、三つ眼は開けたまま、他の二つの眼を閉じた。

「うっ。なんだこれは?頭の中に奴の思念が」

道摩は膝を付いた。

慧春尼も苦しそうな顔をしている。

「くっ!止めろ」

道摩と慧春尼の二人の頭の中に、直接からの思念が流れ込み、

二人を苦しめていた。

その思念の正体は、「概念」だった。

何かの「概念」を直接二人の脳に叩き込もうとしているのだった。

だが、それは別の宇宙での「概念」で有り、二人には全く理解不能であった。

頭の中に大量の未知の言語と意味不明な数式を直接入れられている様な物である。

二人は、発狂寸前だった。

耳から血が滴り落ちる。

「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女(せいりゅう・びゃっこ・すざく・げんぶ・こうちん・ていたい・ぶんおう・さんたい・ぎょくにょ)急急如律令」

道摩は、必死に九字を切り結界を張った。

頭の中に侵入していた思念が止んだ。

慧春尼も道摩が張った結界のお陰で持ち直した。

両目を閉じていた、が眼を開けた。

顔は恐竜のままだが、表情が浮かんでいる様に思われた。

それは、道摩と慧春尼には「困惑」の表情の様に見えた。

「防がれたって顔かな?」

道摩が結界を維持しつつ、

慧春尼が真言を唱えた。

「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマジンバラ ハラバリタヤ ウン」

慧春尼が真言を唱えると、道摩と慧春尼に力が漲ってきた。

極度の精神的なダメージが抜けていく。

慧春尼が唱えたのは最強の真言、光明真言だった。

大日如来のパワーを体現する真言。

「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマジンバラ ハラバリタヤ ウン」

智拳印という印を結びながら、朗々と光明真言を唱える慧春尼の姿は、神々しささえ漂わせていた。

道摩は、慧春尼から今までにない凄まじい法力の高まりを感じていた。

同時に道摩の法力も上がってくる様だった。

―これは凄い。

も再び目を瞑り、瞑想の構えを取る。

道摩は、凄まじい思念の力を結界から感じていたが、道摩自身の法力が上がっている為に、何とか持ちこたえていた。

「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマジンバラ ハラバリタヤ ウン」

光明真言を唱える度に、慧春尼のパワーがどんどんと加速度的に上がって行く様に道摩には思われた。

道摩の力も同じく上がっていく感覚が有った。

の思念のパワーと、道摩一人でも結界で真っ向勝負が出来る程だった。

「ナウマク・サラバタタギャーテイビヤク・サラバボッケイビヤク・サラバタタラタ・センダマカロシャダ・ケン・ギャキ・ギャキ・サラバビギナン・ウン・タラタ・カン・マン」

不意に真言が変わった。

慧春尼の手の印も組み変わっている。

慧春尼の最も得意とする不動明王の真言、不動明王火界咒である。

の体のあちこちから、煙が立ち上っている。

は、また道摩の見た事のない印を結び、真言らしきものを唱えた。

だが、圧倒的な慧春尼の法力の前に功を奏しなかった。

体から上がっている煙が更に大きくなり、遂には火が付き始めた。

「ナウマク・サラバタタギャーテイビヤク・サラバボッケイビヤク・サラバタタラタ・センダマカロシャダ・ケン・ギャキ・ギャキ・サラバビギナン・ウン・タラタ・カン・マン」

一際、慧春尼の真言を唱える声が大きくなる。

ドンッ!

大きな爆発音と共に、は巨大な火の塊になった。

は結跏趺坐のまま真言を唱え続けていたが、やがて形が崩れ灰になった。

道摩はそれを見て印を解き結界を解除した。

「終わったな」

「はい」

道摩は改めて慧春尼を見た。

「大阿闍梨。凄まじい法力だったな。」

「ええ。流石にとはいえ、ですから」

「いや、俺が言っているのはあんたの事だよ。初めて会った時に感じた法力も凄まじいと思ったが、急激にパワーアップした様に思えてね。光明真言で力を増幅させたのは分かったが、それにしてもだ」

慧春尼は艶然と微笑んで答えた。

「それを言うなら道摩さんもですよ」

「なに?」

「お気付きではなかったんですか?」

「確かに俺の力だけで、を抑えるのは難しいとは思うが……だが、それは光明真言で一時的に力が上がったせいじゃないのか?」

「お力が底上げされてますよ。一時的ではなく」

道摩は少し考えて言った。

「もしかして釈迦のせいか?あれは俺達に何をしようとしていたんだ?」

「違う宇宙とはいえですからね。釈迦がする事と言えば……」

「まさかあれは、俺達に悟りを開かせようとしていたのか?」

「恐らく。言語ではなく思考で直接教えようとしたのでしょう。私には一部しか理解出来ませんでしたが」

理解出来たのか?一部と言えども」

「はい。何度も転生を重ねて、違う宇宙軸にも意識が有る事がありましたから。と近しい宇宙に居たのかもしれません」

「……灰にしちまったが」

「あのまま続けられては、道摩さんも私も発狂するか、脳がやられてしまっていたでしょう」

「あの困惑した様に見えた表情は、俺達が教えを拒んだ事に対してだったのか?」

何故教えを拒むのか?折角悟りを開く事が出来るのに。

がそう思ったのではないか。

道摩はそう言っているのであった。

「さあ?私には分かりません。道摩さん。細かい事を気にされますね」

慧春尼が事も無げに言う。

「あんたは気にしなさ過ぎる気がするが」

「ふふ。そうですか」

「ああ。で?どうするんだい?」

道摩の目線の先には量子コンピューターが有る。

「続けるのかい?あんたが目指す理想のが誕生するまで」

慧春尼は首を横に振った。

「いえ。もうやりません。恐らく何かが違うのでしょう。少なくともそれが分かるまでは」

「懲りないんだな」

道摩は苦笑いしながら呆れたように言った。

「ええ。勿論。よくご存じでしょう?」

「?どういう意味だ?昔から知っている様な口ぶりだが、今回の件で初めて会ったのは間違いないと言っていたよな?」

慧春尼はそれには答えずに、ただ微笑むだけであった。

「ノウマク サンマンダ バザラダン カン」

慧春尼が不動明王の一字咒(いちじしゅ)を唱えると、量子コンピューターが火を噴き、あっという間に消えてしまった。

「さ、道摩さん。これで心配の種は消えましたね。もう、ご用はないはず。お帰り下さい」

道摩は絶句した。

確かに言われてみればその通りでは有るが、態度があまりにも急変しすぎている。

道摩は何が何だか分からないまま、高野山を後にした。

道摩の姿を見送りながら、慧春尼は呟いた。

「鈍いですね本当に。この世でもまた気が付かないなんて・・」






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