2020年6月10日

 一日には色が変わるときというのがあって、それを見てやろうといつも思うのだけれど、例えば少し本に目を落としていたときだとか、コーヒーを淹れに立ち上がったときとかに気付くと空が白んでいたり、部屋が橙色に染まっていたりする。


 朝の早くから用事があったから、そんな色の変わる時間帯を起きて過ごしていたんだけれど、洗い物をしている間に朝になっていた。晴れていた。


 帰り道、小さな子どもが真横の虚空に向かって手を挙げていた。まるで、隣に大人の人がいて、その人と手を繋いでいるような様子だ。私は目を擦ってよく見たけれど、子供は一人で、隣に何かがいる様子もなかった。


 自分と他人が見えているものが違うという感覚は幼少の頃によくあったものだけれど、いつからか、自分も他人も同じものが見えると言うのが当然の感覚になっていた。そのことをふと改めて感じたのである。


 人間の目は生きやすくするために、様々な変化に於ける鋭い知覚や、錯視的未来予想、見えない部分の図の再構築などを行うので、写真に写したように景色を見ているのではなく、それぞれに調整が施され現実の世界を解釈のし易いフィクション的な視界を生きているのだ、というのを本で読んだ。


 あの少年も長じればそういうことなのかと思った。もしくは私の方こそ無意識に世界の認識をフィルターしているのかもしれない。


 そんな風にしていたら夜になっていた。また色の変わる瞬間を見逃した。

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