夏、栄冠はきみに輝く

久里 琳

夏、栄冠はきみに輝く

 渋沢巧。

 この名を心に留めておいてほしい。きっとこの先、テレビでこの名を耳にすることがあるだろうから。

 それはきみたちの偉大な先輩の名前。

 今日、彼と私はともに卒業する。彼は選手で、私はマネージャーだったけれど、彼と過ごした三年間は、私の誇りだ。



 これから入部してくるきみたちは、渋沢巧なんて知らないと言うかもしれない。高岡圭介のことなら誰もが知っているのだろうけど。


 長い歴史と十数度の甲子園出場を誇る古豪の我が野球部にあっても、たしかに高岡圭介の才能は群を抜いていた。入部後すぐの合宿で一軍の練習に合流し、その夏の予選では早くも三番を任されていた。おまけにイケメン。新しいスターの登場に校内は沸き立ち、やがて彼の評判は校外にまで及んだ。高岡圭介のすぐそばで同じ空気を吸える私は、他の女の子たちからずいぶん妬まれたものだ。

 正直言うと私も、この幸せ過ぎる環境に浮かれていたのだけど。


 対して渋沢巧は、とにかく不器用だった。頑強な体格と力自慢のおかげで打撃の方はまだいいのだが――当たれば飛ぶのだ――、守備はまったくいけない。捕ればこぼす、投げれば暴投。

 高三になるまで、一度も一軍に上がることはなかった。それどころか、二軍の練習試合でさえほとんど出ることはなかった。


 その渋沢巧が最後の夏の予選を前に、一軍に加えられた日のことを、私は鮮明に覚えている。

「巧」

 合宿所のミーティングルーム。夕食後に監督がベンチ入りメンバーを読み上げる最後に、彼の名前が出てきたのだ。監督はまるで不本意な知らせを告げるかのように渋沢巧の名を呼ぶと、彼が背番号を受け取りに来る前にミーティングルームを出て行った。


 残された八十人の部員たちの反応を、きみたちは想像できる?

 監督が出て行った途端、ミーティングルームは爆発するような歓声に包まれたのだ。一軍も二軍もなかった。学年も関係なかった。入部して二か月にしかならない一年生までが大声で叫んでいた。

 二年の秋から主将を務めていた高岡圭介が真っ先に渋沢巧に抱きついていた。抱きつかれた方の渋沢巧は実感が湧かないって顔して、熱でもあるみたいに足を震わせていたのが私の印象に残っている。

 三年生皆があとからあとからふたりに抱きついて、真ん中のふたりは揉みくちゃになっていた。

 やっと解放されたと思ったら、今度は二年生たちが渋沢巧を囲んで、胴上げし始めた。一年生はなにを思ったか大声で校歌を歌い始めた。

 近所迷惑だからと私はずっと「静かに!」って注意し続け、先頭に立って大騒ぎする主将失格の高岡圭介を睨んだけれど、本当はそのとき私も一緒になって揉みくちゃになりたかった。



 渋沢巧自身に聞いた話では、彼が野球を始めようと思ったのは中学に上がる直前のこと。ちょうど我が校が十年ぶりに甲子園出場を果たしたときで、テレビに映る地元の球児たちが活躍する姿に憧れたのだそうだ。

 だが、中学ではなんとかレギュラーを掴んだ彼も、各校から有力選手が集う我が校ではまったく話にならなかった。


 私のなかでの彼の第一印象は、相当に悪い。野球の才能とかではなく、とにかく暑苦しいのだ。なんでもできて、スマートで格好いい高岡圭介とは大違い。

 推薦組の同級生たちが次々と一軍入りするのに、渋沢巧は二軍の中でも最底辺。センスのない守備っぷりに先輩たちが匙を投げるなか、彼はやたら元気に練習に励んだ。先輩たちが音を上げるような厳しい練習でも、最後まで大声を出していた。たいていは空元気で、そこが暑苦しくて私は嫌だったのだけれど。


「あいつ、うるせえ」

「下手がデカい顔すんな」

 そんな揶揄が本人に聞こえよがしに飛んでくるが、まるで気にすることなく彼は空元気を出し続けた。疲れて本気を出さないチームメイトを叱咤した。自分の方が下手なくせに。


「巧、もっと守備の練習した方がいいぞ」

 手のまめを潰しながら素振りしていた渋沢巧に高岡圭介が声をかけたのは、最初はただのお節介だったらしい。

 陽が沈みかけるグラウンドでいつもふたり猛練習していたが、下手は簡単には直らない。

 それでも、毎日誰よりも真摯にバットを振り、苦手な守備を練習し、とにかく走って、声を出した。相手が一軍スターだろうと、実力差も弁えず本気でライバル視した。なぜか高岡圭介もそれに応えて本気でぶつかった。

 いつの間にか、渋沢巧を悪く言う者はいなくなっていた。


 二年になり後輩が入ってくると、不器用なくせに熱心に指導し、手を抜く者は叱りつけ、落ち込む者を励ました。自身もいよいよがむしゃらに練習し、やがて下級生たちもそれに倣うようになった。

 その中から芽を伸ばした者がひとり、またひとりと一軍に入るのを、彼は見送った。

 三年生が去ると高岡圭介が主将になり、やがて私たちは三年に上がった。相変わらず渋沢巧に一軍は遠いが、機関車のような一本気な牽引力で、彼は高岡圭介と並ぶチームの精神的支柱になっていた。



   **



 ようやくベンチ入りは果たしたものの、渋沢巧が試合に出るチャンスはなかなか巡って来なかった。


 ある日私は合宿所で、監督の部屋から出てくる高岡圭介に出会した。彼には似合わない怒りの顔。

「どうしたの?」

 だが聞かなくとも、渋沢巧を試合に出すよう直談判に行って、また断られたのだと分かる。

 次は準決勝、相手は甲子園常連の強豪。おそらくこれが最後の試合になると、三年生は感じていた。

 そして、皆が渋沢巧を試合に出したいと願っていたのだ。

 だが実力至上主義の監督にすれば、彼の努力は認めても、試合に出す理由にはならない。



 残念ながら、おおかたの予想通りに試合は進んだ。九回裏で四点差。ノーアウト、ランナーなし。渋沢巧に代打の声はかからない。高岡圭介が真っ赤な顔で監督を睨みつけ、グラブをベンチに叩きつけた。

 彼らしくない、と思ったとき、初球をファウルした三木将人がその場にしゃがみこんだ。白球が転々とバックネットに向かう。


 駆け寄ると、右手親指を押さえていた。内角直球が指に当たってしまったらしい。

「どうだ、やれるか?」

 当然続行させるつもりの監督に、三木将人は下を向いたまま答えた。

「無理です。交代を出してください」

「ほんとか?」

 思わずその手をとって確かめ、

「この程度。やれるだろ」

「いえ、無理です。代わりを出してください」

 監督は、自分の顔を見ずに繰り返す三木将人を鬼の形相で睨んだ。誰も声を出さない。

 十秒。二十秒――監督は鋭く言った。

「巧、代打だ。行け!」



 ベンチから上がった異様などよめきの声を、スタンドの観客は理由も分からず聞いた。

 続いて渋沢巧の名がアナウンスされると、今度はスタンドの補欠組から大歓声が上がった。

 相手側はもちろん、味方の客席も、何事かまったく理解できなかったことだろう。補欠たちは応援で潰れた喉をがらがらにして叫び、肩を抱き合い、足を踏み鳴らし、歓喜のあまりに駆け回り。もう涙を流している者までいた。やがて巧コールの大合唱。


 野球部以外の同級生や他の観客も乗せられて、今日一番の声援が響くなか、初球を渋沢巧はフルスイングした。空振りした球が捕手のミットに収まるのを見て、納得いかない顔をする。だが気を取り直して投手へと向けた彼の顔は不思議なほど清々しかった。

 そのあと続けて二球、渋沢巧はファウルした。見送り三振だけはしないと決めているかのように、来た球すべてに手を出した。

 私が汗を拭うのも忘れて見ている横で、高岡圭介が拳に青筋立てて渋沢巧を睨んでいた。応援するのか追い詰めるのか分からないようなぎらぎらした目。このときほど私は、高岡圭介を抱きしめる資格が自分にないことを呪ったことはない。


 次の球――高めに浮いた球を思い切り振りぬいた渋沢巧は、高校三年間の集大成がどこに飛んだか確かめもせず全力で走りだした。私は高々と上がった白球の行方を追っていた。高岡圭介は打球音と角度とで結末を確信していた。多くのチームメイトたちはただただ手を握って祈っていた。


 やがて白球が観客席スコアボード下に吸い込まれると、歓声が上がるのに渋沢巧が気づいた。それでも三塁を回るまで全力疾走を止めない。三塁側スタンドの狂ったような大騒ぎが目に入って、ようやく彼は足を緩めた。

 スタンドの補欠組はもう喜んでいるのか悲しんでいるのか傍目には分からなかった。互いに胸を殴りあって、涙をぼろぼろ零しながら大声上げて喚いている。


 スタンドに向け手を上げようとして、渋沢巧は顔をうつむけてしまった。そのままゆっくりホームイン。真っ先に出迎えた高岡圭介の胸に顔を埋め、彼は静かにむせび泣きはじめた。

 私が渋沢巧の涙を見たのは、後にも先にもこのときだけだ。



 知っての通り――このあと三人つづけて凡退し、私たちの最後の夏は終わった。

 だがこの試合は、勝ち負け以上のなにかを下級生たちの胸に強烈に刻んだ。それは今度の、2020年夏の大会で生きてくると私は信じている。



 さて。

 最後に、私たちのこれからを記して筆をこう。

 私は関西の大学への進学が決まった。なぜ関西なのか? もちろん、甲子園に出場するはずの後輩たちを迎えるためだ。

 渋沢巧は地元の工場に就職することになっている。不器用で暑苦しい彼が社会でどんな洗礼を受けるのかは神のみぞ知るだが、どんな逆境にあろうと彼がそれを乗り越えるだろうことは神ならぬ私にも分かる。

 そしておそらくきみたちも知る通り、高岡圭介は、甲子園出場を果たさなかったにもかかわらずドラフト二位指名を受けプロ入りする。


 言うまでもないが私は、高岡圭介がプロで活躍するのを心待ちにしている。

 テレビは彼の姿を映し、いずれなにかの折に誰かが訊く日が来るだろう。

「尊敬する選手はだれですか?」と。


 私は信じている。そのとき高岡圭介がこう答えることを。

「渋沢巧」

 どれだけ時を経ても、この先なにがあっても、その名を聞けば、熱い夏を共有した私たちは、かけがえのない青春時代に戻るのだ。

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