第8.5話 表記の選択 ねこちゃんとYouTube

 第8話の内容はそのままに、登場人物の表記だけ平仮名に改めたものです。


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 その日、私はねこちゃんを探して家中を歩き回った。ねこちゃんは居間のカーテンの影に隠れて、窓から外を見ていた。


「ねこちゃん! ねこちゃんに質問をいただきました」


 私がそう話しかけると、ねこちゃんは窓枠から降りてこちらにやってきた。


「私に質問ですか。残念ながら、YouTuberデビューは考えていないとお返事なさい」


「いえ、そういうのではなくて、ウェブ小説のことです」


「おや、そうでしたか。猫にウェブ小説のことを聞くなんて、ずいぶんとチャレンジングな方もいたものですね」


 そう言いながらも、ねこちゃんは嬉しそうに尻尾をピンと立てている。


「人物名や動物の名前の表記に関する質問です。ご質問をくださった方は、漢字・平仮名・片仮名、どれを採用するかでお困りのようです」


「たとえば、『猫』『ねこ』『ネコ』のうち、どれがいいか? ということですか?」


「そのようですね。ご質問いただいた方は、平仮名表記が好きだそうなのですが、地の文に埋もれがちなので、諦めて片仮名表記にしてしまう、とのことです」


「そうなのですか。それなら片仮名にしておいたっていいでしょう」


 ねこちゃんはあっさりと答えた。


「読みにくいから片仮名表記。大いに結構ではありませんか。読み手のことを考えてのことでしょう? でしたら無理に平仮名表記にこだわることもありません。どうせ表すものは同じです」


「アッサリ答えますね……しかし」


「私は、文章全体の雰囲気に合わせることも大切だと思いますね。たとえば吉本ばななの『TUGUMI』という作品のメインの登場人物は『つぐみ』と『まりあ』です。これが『ツグミ』と『マリア』だったらどうでしょう? 雰囲気が変わってくると思いませんか?」


 顎に手を当て、考え深げに言ったのは、なんとおじさんではないか。


「あんた何なんですか。いつの間に入って来たんですか」


 私が驚いて問い詰めると、おじさんは丁寧に一礼した。


「おっと、お邪魔しております。今日はねこちゃんに、段ボール製の爪研ぎを持って参りました」


 そう言うと彼はねこちゃんにひれ伏し、恭しく爪研ぎを差し出した。


「ちょうど新しいのが欲しかったところです。苦しゅうない」


 ねこちゃんは爪研ぎをフンフンと嗅ぐと、バリバリ音をたてて爪を研ぎ始めた。


「おお、ありがたき幸せ。ねこちゃんが私の買ってきた爪研ぎをお使いに……」


 おじさんはスマートフォンを取り出すと、爪を研ぐねこちゃんの写真をバシャバシャと撮った。


「あんた、他人ん家の猫を何勝手に撮ってるんですか。大体何者なんですか、あなたは」


 私がふたたび詰め寄ると、おじさんは何かの包みを取り出して私に押し付けた。


「大変失礼いたしました。私は毎朝この家の前を通る者ですが、たまたま窓から外を見るねこちゃんのお姿を見かけて以来、すっかりファンになってしまいました。つきましては私めも、ねこちゃんの下僕に加えていただきたく……」


「その心がけやよし。げぼくよ、コーヒーでも淹れたらどうです」


 私はおじさんにもらった包みを見た。なんと名古屋名物「ぴよりん」ではないか。


「ぐぐぐ、ねこちゃんの下僕筆頭は私ですよ! あと写真を勝手にSNSに投稿しないように!」


 私は捨て台詞を吐くと、すぐにコーヒーメーカーに水を入れ始めた。おじさんは私にも平身低頭した後、ねこちゃんの写真を撮る作業に戻った。




「どうぞ。お持たせですが」


「これは恐縮です」


 おじさんはお辞儀をすると、私が出したコーヒーとぴよりんを受け取った。


「ねこちゃんはぴよりんを食べてはいけませんよ」


「当然です。私は下僕たちの食べ物に手を出したことはありません」


「さすが! ねこちゃんはお育ちがよくていらっしゃいます」


 おじさんはねこちゃんを誉めたたえた。ねこちゃんの育ちがいい、ということは、子猫のときから育てた私の躾がいい、ということになるはずだが、ねこちゃんは一人でドヤ顔をしていた。


「ぴよりんも、ピヨリンと片仮名表記にすると、感じが変わりますね」


 ぴよりんの頭にフォークを入れながら、おじさんが言った。


「そうですね。この柔らかい食感と愛らしい見た目には、やはり平仮名表記の方が似合っています」


 私は端からゆっくりとぴよりんを食べ始めた。「ピヨリン」でも「PIYORIN」でもない。やはりこれは「ぴよりん」がふさわしい。


「私も読みやすさよりは雰囲気を重視したいですね。もし地の文に埋もれてしまうというなら、地の文で調整してはいかがでしょうか」


 おじさんはそう言いながらタブレットを取り出した。


「もともとたかしはたくさん食べないほうだ」


 と打ち出すと、「今思い付いた例文ですが」と言って差し出した。


「これだと『たかし』が埋もれてしまいますね。色々調整してみましょう」


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もともとたかしはたくさん食べないほうだ


もともとたかしはたくさん食べない方だ


元々たかしはたくさん食べない方だ


元々たかしは沢山食べない方だ


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「漢字を多くした方が、『たかし』を認識しやすくなりますね」


「でも、ケースバイケースでしょう。あえて平仮名を多く用いた方が、作品のコンセプトに合うということもあり得ます。ほのぼの系童話が、地の文に漢字を多用していては、それらしい感じが出ないと思いますよ」


 私はそう言いながら、例文のうち下のふたつを指差した。おじさんはうなずきながら、


「でしたら、句読点で調整した方がいいかもしれませんね。『もともとたかしは、たくさん食べないほうだ』とか」


「ならば、やっぱり『好きにする』でファイナルアンサーではありませんか」


 ねこちゃんは盛大に欠伸をした。一人だけおやつがないので、段々興味を失ってきたに違いなかった。


「平仮名だらけのままにしておくもよし、名詞を片仮名にしてしまうもよし。地の文をいじるもよしです。片仮名の名前にだって、いいところはありますよ」


「なげやりにならないでください。せっかく質問をいただいたんですから……」


「まぁまぁ。ねこちゃんの言う通りでもありますよ」


 ぴよりんを食べ終えたおじさんが、のんびりと嘴を挟んできた。


「何がです?」


「平仮名の名前も片仮名の名前も、それぞれ味があるということです。たとえば先ほどとは逆に、平山夢明の『DINER』の主人公は『オオバカナコ』ですが、これが『おおばかなこ』だったら、ハードな作風に合わないでしょう」


「おじさんは、ねこちゃんの言うことには何でも賛同しますね」


「当然です。ねこちゃんの言うことですからね」


 おじさんはなぜか誇らしげに言ってから、


「そういえばねこちゃん、ねこちゃんのYouTubeチャンネル開設はまだですか?」


 と突然尋ねた。


「またですか。私はやりません」


「YouTubeのこと聞いたの、あんたかよ!」


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