第18話:結末と、アスタの決意

 戻ってきたカルムには最後に戦った時のような覇気はなく、その代わりに葛藤、悲痛、嘆きに後悔と言ったあらゆる苦悩が混ぜ合わさった感情が刻まれていた。


 カルムとその愛する家族の身に何が起きたのか。王を説得するというカルムのことが心配だったエルスは【裏切りに死罪を告げる獣ルプスカルミア】で生み出した闇色の鴉を彼の下に秘かに飛ばしていた。そしてその鴉の目を通して悲劇の一部始終を見てしまった。


「あの国の王様はカルムを騙した。彼が提案した魔王との和解を一旦受け入れながら、彼を軟禁し、愛する家族を捕らえたの」


 そして王はその魔王を殺せとカルムに命じた。何故だと、共存できる未来があるのではないかと必死に訴える彼の前に手足を縛って拘束した妻を見せた。彼女は口も縛られていて、涙を流しながら声にならない声を上げる。


 何をする、カルムがそう叫ぼうとした瞬間。彼女の愛する人は控えていた騎士に後ろから心臓を貫かれて絶命した。


「その時の彼の顔と絶叫は忘れられないわ。王や騎士たちの醜い顔もね」


 愛する妻を目の前で殺された上に、宝である子供を失いたくなければ従えと王は言い、カルムは死に体の妻を抱きしめながら頷いた。彼にはそれしか選択肢がなかった。


「それを見た時。怒りで我を失ってあの下種な王様もろとも国を滅ぼしてやりたくなったけれど、これでカルムの隣に立つことが出来るんじゃないかと思った。あの人と愛し合う席は空席になったから、私にもチャンスがある。そう思って嬉しくなったけど同時に自分を嫌悪したわ。なんて醜い考えなのだろうってね」


 エルスが死んだ妻の代わりになることはできない。カルムの嘆きを見ればどれだけ彼女を愛していたかは痛いほど伝わってきたからだ。それに、彼はエルスとの共存ではなく子供を護るために魔王エーデルワイスとの対峙を決めた。そんな彼の傍にいられるはずがない。


「だからせめて。カルムが守りたい子供を助けるために、私は彼に殺されようと思った。そしてまた愛する人を見つけて幸せに生きて欲しい。そのためなら死んでもいいと思ったの。でもね、この国の王様はどこまでも醜かったわ」


 鴉を残していたエルスは王達の話を盗み聞いていた。曰く、万が一カルムが魔王討伐に成功して帰還したら、奴の目の前で妻を殺したように子供も殺せ。そして嘆くカルムも殺せ。奴の力は強大だが反旗を翻したら厄介だ。


「そんな……それが人の……王様が考えることなんですか!? そんなの……そんなのあんまりだ! 酷い……酷過ぎるよ……」

「そうよね。酷いわよね。でもね、アスタ君。それが人の欲。湧き出る水と同じで人の欲望は枯れることはないの」


 嘆くアスタのことをさらにギュッと抱きしめる。少年の身体は悲しみと怒りに震えていた。


「だから私はね。カルムのため、カルムの愛する子供のため。魔王になることにしたの」


 ようやく見つけた静かな地を失うわけにはいかない。久方ぶりに森から出てその道中にある平原で待ち構えた。


 まさか魔王が森から出てくると思っていなかったカルム達討伐隊は驚いた。だが拓けたこの場所で戦闘を行うなら俄然有利と踏んだ討伐隊の隊長はカルムに先槍を命じた。妻を失い、我が子を人質に取られて心が死にかけている勇者が決死の覚悟で黄金の闘気を纏って魔王に突貫した。


 だが覇気のない攻撃がエルスに通用するはずがない。洗練された技はなく、がむしゃらに振るう稚拙な剣ではエルスには一生かかっても届かない。その結末は言うまでもない。


 だがエルスの目的は初めから一つ。何も知らず戦っている勇者に王様の企みを伝えること。そしてこの場を離れて今すぐにでも我が子の救出に向かわせること。


「私はカルムの身体を貫いたわ。急所は外したけどね。怪しまれずに近づくにはそれくらいしないとダメだったと思ったからね」


 魔王は自分が見聞きした情報を全て勇者に伝えた。その上で、彼に選ばせた。自分の言葉を信じるならばすぐに助けに行け。生まれ育った国の王の言葉を信じるならばこのまま自分の心臓を貫け。カルムの決断は早かったという。


「私の言葉を信じて、カルムは愛する我が子のために叛逆の道を選んだ。治癒で傷を癒したら、彼は覇気を取り戻し、黄金の風となって王城へと一人帰還したわ。そして私は……呆然と立ち尽くしている討伐隊を一人残らず殺したわ」


 平原にしんしんと雪が降り出した。それがエルスの対国魔法の正体。吸血鬼族を根絶やしにした広範囲殲滅魔法。世界一面が白銀に染まった時。そこに立っているのはエルス以外誰もいなかった。


「カルムは無事に子供を助けることが出来たわ。返り血で全身真っ赤になっていたけど、その手には剣ではなくて子供が抱かれていたわ。とても可愛かった」


 そして勇者は言った。自分とともに静かに暮らさないかと。自分の寿命は短いが、命尽きるまで共に生きないかとエルスに提案した。だが彼女はそれを断った。むしろ自分を殺してくれと頼んだ。


「私は自分に課していた人は殺さないという禁忌を犯して、名実ともに魔王になった。そんな女が勇者と一緒にいられない。むしろカルムに殺してほしかった。でもね、彼は首を横に振ったわ」


『我が子の命を救うことが出来たのはあなたのおかげだ。そんなあなたを俺は殺せない。殺せるはずがない。それに……人族と魔族が共に生きていける日が来ると俺はまだ信じている。そのためにはあなたが絶対に必要だ』


 だからどうか生き続けて欲しい。カルムはそう言って頭を下げたという。


「そんな風に言われたら……何も言えなくなるじゃない。本当にズルい人……」


 その言葉通り。エルスは生き続けている。カルムとその子供はたびたびエルスの元を訪ねてきた。だが彼ら以外に訪ねてくる者はおらず、人族と魔族が共存する未来どころか殺し合いは激しさを増すばかり。エルスは大きなため息をついた。


「カルムには悪いと思ったけど、もう共存の未来は諦めたわ。結局争い合うのが定めなのよ」

「でも……エルスさんはまだ生きていますよね? どうしてですか?」


 アスタの素朴な疑問にエルスは苦笑いをしながら答えた。


「そうね。共存は諦めたけど……愛し合う人を見つけたい、その人に殺してもらいたい。この願いが諦められなかったから、今もこうして生きている。でも……諦めなくて本当によかったと今は思っているわ。だって、あなたアスタ君と出逢えたのだから」

「エルスさん……」

「まっすぐで、純粋で。大切な人を守りたいって気持ちを持っている小さな勇者。カルムの血筋もあるけれどそんなことは些細な事。あなたの心の在り方に愛しさを覚えたわ」


 エルスの抱擁はどこまでも愛情深かった。アスタは自然とその手を握り返してその大海のような愛を享受する。


「だから、アスタ君が死んでしまった時はとても焦って、この世の終わりかと思ったわ。しかもそれが私をかばってなら猶更ね。全く、あれだけ大人しくしていなさいって言ったのに……」

「ご、ごめんなさい。でもそれはエルスさんが心配で―――!」

「いいの。わかっているから。私が油断したせいだから。でもそのせいで君を吸血鬼にしてしまったことは謝ってもゆるしてもらえることじゃない」


 そう。アスタが今こうして生きているのは強大な真祖の力を持つエルスの血を与えられたことで吸血鬼になったためだ。そのおかげで肉体的な強度は上がり、傷の再生能力もつき、首を落とされない限り死ななくなったが、人間ではもうない。勇者でありながらアスタは魔族になった。


「もしアスタ君が死にたいと願うなら、私が殺してあげる。あなたを殺した後で私も死ぬわ。でもそうじゃなくて。変わらず勇者であろうとするなら私を殺して真祖の力を奪いなさい」

「エルスさんを殺して、力を奪う?」


 それがどうして勇者で居続けられるのか。その理由は吸血鬼特有の弱点がある。その最たるものが吸血衝動だ。真祖の力で蘇生したアスタに陽光も弱点ではあるが多少力が下がる程度の影響しかないが、吸血衝動は別だ。周期的に血を吸わなければ自我を失い暴走する。また魔力を使っても同様だ。しかし真祖の力を得ればその枷からも解放される。ほとんど人間と変わらない生活を送ることが出来る。


「さすがに今すぐはできないけれど、私がしたように力を付けて……カルムと同じ黄金を纏う魔法を身に付けなさい。私はあなたになら殺されてもいい。むしろあなた以外に殺されたくないわ」

「そんな………僕は……僕は勇者だけど……」


 アスタの中に芽生えたのは葛藤。勇者としての自分と吸血鬼となってしまった自分。魔王を倒してみんなが平和に暮らせる世界にしたいと願いながら、自らがその平和を脅かす存在になってしまったことへの絶望に似た葛藤。


「このままここで暮らしながら力を付けて、私を殺してアスタ君のことを知らない街に行ってそこで生きていけばいいのよ? アスタ君が吸血鬼で魔王であることは誰も知らないのだから普通に生活できるわ」


 エルスの言う通り。アスタが吸血鬼であることを知っているのはエルスだけ。そのエルスが死ねばそのことを知る者は誰もいなくなる。吸血衝動もなくなれば普通の人として生きていくことが出来る。もしくはこのまま勇者として四大魔王討伐に赴く事さえできるかもしれない。ただ、それで本当にいいのだろうか。


「私はもう十分生きたから。それに今すぐにって話じゃないし、そういう選択肢もあるってこと。もちろんそれ以外の選択肢もあるかもしれないけどね」


 ニコッと笑ってエルスは言う。彼女の言うように、彼女に殺される、彼女を殺す以外の未来が見つかるかもしれない。そんな悲しい終わりにしたくない。ならアスタがすることは決まっている。


「エルスさん……僕、強くなります。誰よりも強くなります」


 答えはわからない。だから足掻く。最強最古の魔王を越えるくらいの力を得た時、夢で見た黄金の勇者カルムと同じ力を得た時、もしかしたら違う答えが見えるかもしれない。殺し、殺される以外の明日が来るかもしれない。そうなることを信じてアスタは足掻くことを決意した。


「フフッ。大丈夫、アスタ君なら強くなれるわ。なんて言っても……私が惚れた男の子なんですもの」



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