第12話:勇者の涙

 エルスのうやむや作戦は失敗に終わった。


 森から連れ帰った傷だらけのアスタの装備を脱がし、生まれたままの姿にしてから治癒の魔法を施して、そのまま眠りにつかせた。起きたらすぐに食事にできるように仕込んでいるとぼんやりと目を覚ました。


 日はすでに傾いており、少し早いと思ったが夕飯にしようと提案し、アスタもそれを承諾したので身体を起こそうとしたところで、エルスはなにも着せていなかったことを思い出し、全裸に気付いたアスタは悲鳴を上げた。


 そして今。


 ベッドに腰掛けるアスタの前で最古の魔王様が手と手のしわを合わせて頭を下げていた。それを無言のままジト目で睨むアスタの顔はただただ呆れ顔だ。


「いや……あの、ホント……ごめんね、アスタ君。ここまでするつもりはなかったんだよ? でもアスタ君があまりにも強かったから鍛錬にならないかなって思ってつい……その、出来心で……ごめんね?」

「エルスさん。鍛えてもらう立場の僕が何か言える立場じゃないですけどルールを破るのはどうかと思いますよ? 僕よりずっと長生きしている・・・・・・・お姉さん・・・・のエルスさんが、自分で作ったルールを破って二匹同時に送り込むなんてズルいと思いませんか?」


 勘定の籠っていない視線と共に浴びせられる十歳の男の子からの正論に年齢不詳の魔王はただひたすらに謝り倒すしかない。アスタの言葉通り悪いのは自分だ。十分に一匹追加というルールを破り、さらに三匹を合体までさせてアスタを殺すようにと命じた。それも全て、死の直前まで追い込み勇者アスタの秘密を暴くため。


「約束を破る大人にはなっちゃダメだぞってカトレアさんがいつも言っていました。でもエルスさんが滅茶苦茶したせいで、僕はカトレアさんとの約束を破る羽目になりました。どうしてくれるんですか?」


 キマイラを倒すために放った光の斬撃。あれをバルコニーから視たエルスは驚きのあまりカップを落とした。あの輝きは記憶の彼方に焼き付いているある男の魂の一撃によく似ていたから。


「で、でもでも! あのキマイラと戦ったことでアスタ君は【武典解放】を前よりは使えるようになったのよね? それまでは制御できなかったんでしょう?」

「まぁそれはそうですけど……」


 逡巡したアスタを見て、反撃の糸口を見つけたと言わんばかりにエルスは頭を上げ、わざとらしい不敵な笑みを作り、教師然とした構えでアスタに意図を話した。


「いい、アスタ君。本当に強くなりたいと願いなら安全な訓練ばかりしていてはダメなの。最初のうちは技を修得するにはそれでもいいけど、アスタ君のような勇者因子を持つ子はそれではいけない」


 強くなると言葉にして言うのは簡単だ。だが何をもって強くなったと言えるのか。ステータスはあくまで目安でしかない。確かに位階の高い方が強いのは当然だ。だが常に戦いに勝利できるかと言えばそれは否だ。ステータスにはない死に物狂いで身に付けた技や戦いの駆け引き。これらも重要は要素だ。


 だが結局のところ、最後に生死を分けるのは生きることへの強い思いがあるかないか。己が魂に誓った生きる理由、生きて為さねばならぬもの。それを自覚している者こそが真の強者だとエルスは考えている。


「でもね。生きる理由と言うのは死の淵に立って初めて自覚できるものなの。生と死の境界線に立って、それを乗り越えた先でしか生きたいと思う本当の理由はわからない。ねぇ、アスタ君。あなたは最後の一撃を放った時、何を想っていたの?」

「あの時の僕はただ必死で…………でも、一つだけ……考えていたことがあります」


 アスタはあの戦いを思い出す。生き残ることに必死になっていたあの瞬間、アスタの胸に去来したのは強い思い。それは―――


「僕は……人々の希望になりたいと思いました。魔王をたおして、みんなが笑顔でいられる世界を作りたい。そのために生き残らないと、って思いました。」

「……フフ。そう、いい答えね。勇者のアスタ君らしいブレない素敵な思いね。私、アスタ君のそう言うところ好きよ」


 称賛と何気ない好意の言葉。それをどこか儚げな笑顔で向けられて、アスタは途端に恥ずかしくなり俯いた。どうしてこの魔王は頬を熱くさせ、心臓を高鳴らせるようなことを解けて消えそうな微笑みで言うのだろう。どうして自分の心は締め付けられるような痛みを覚えるのだろう。わからない。


「でもそうすると。私はアスタ君に斃されちゃうのかしら? だって私、魔王だし? なんなら古株だし? うわぁ―――アスタ君てばひどい子ね。お姉さんは悲しいわ」


 およよ、と涙を袖で拭うそぶりを見せるエルス。嘘泣きだとわかっていてもアスタは慌てて咄嗟に否定の言葉を口走る。


「いえ! エルスさんは違います! だってエルスさんは―――」

「私は―――あなたのなにかしら?」


 妖艶な表情にコロリと変わり、首を傾げながら続きの言葉を促してくる。勢い任せに口から出てきたのでアスタ自身戸惑い口ごもるが、彼なりに必死にそして素直な気持ちを感情に委ねて紡いでいく。


「僕は……本当のお母さんの顔を知りません。気付いたら教会で、シスターに育てられていました」


 アスタには両親の記憶はない。物心ついた時にはすでに教会でシスターに育てられていた。そして五歳の時に勇者因子を持っているかもしれないからと王城に召還され、そのまま鍛錬の日々が始まった。


「だから、僕にとってお母さんはシスターであり王城の人達なんですけど……ある日カトレアさんにこのことを話したら、泣きそうな顔で言ってくれました。いつか本当のお母さんに逢えるといいな、って。もしかしたらこれも、僕が生きたいと強く思う理由かもしれません」


 エルスは黙ってアスタの言葉を聴く。


「初めて会った時。エルスさんは僕の名前と髪のことを褒めてくれました。王国にいた時は気味悪がられていたので、すごく嬉しかったんです。魔王なのにとても優しくて……悲しいときや辛いときはそっと抱きしめてくれて頭を撫でてくれた。こんなことは初めてでした。だからエルスさんは僕にとって、魔王と言うよりは……お母さんと言うか、お姉さんと言うか……おかしいですよね。本当のお母さんの顔も知らないのにエルスさんをそんな風に思うなんて……ハハハ……僕は勇者なのに……失格ですね」


 精一杯、アスタなりに思いを吐露し、最後は自嘲の笑みを零す。この人の前だとどうしてか自分は泣き虫になってしまう。強くありたいと思うのに。男の子は泣いたらダメだってカトレアさんから言われたのに、エルスさんの前だと簡単に涙がこぼれる。


「いいのよ、アスタ君。辛いときは泣いていいのよ。勇者とか関係ない。あなたはまだ子供なの。だから、泣いていいの」


 そっとエルスに抱きしめられて。アスタはぎゅっと聖母に甘えるようにしがみつき、しくしくと泣いた。声を出さなかったのはアスタなりの最後の抵抗だった。そんな強がりをみせる男の子の背中をエルスは優しく、優しくさする。彼の気持ちが落ち着くまで、ずっと。


「よく頑張ったね、アスタ」


 静かな夜。小さな勇者が流した涙を魔王はただただ温かく受け止めた。


 その姿は本当の親子の様だった。

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