第11話:武典解放

 アスタの身体はボロボロだった。空間を根こそぎ抉るような凶爪の嵐撃。圧倒的な質量を伴うそれを愛剣で一度、二度と弾くことはできるがその程度で止むような優しい嵐ではない。受けきれず、回避しきれずに身体についた爪痕は数えるのも馬鹿馬鹿しいほど無数にある。


 また爪にばかり気を取られていると蛇尾による強烈な打撃が飛んでくる。これに何度も身体を打たれて地面を無様に転がった。


 文字通りの満身創痍。崩れ落ちそうになる膝に気力を振り絞って喝を入れて、なんとか堪える。もう諦めろと嗤い、震えているがアスタはそれを否定する。


「ちくしょう……強すぎますよ、エルスさん……」


 痛みと悔しさに顔を歪ませながらも剣をしっかりと両手で握りしめて正眼に構える。身体に纏う蒼光も徐々に輝きが鈍くなりつつある。いよいよもって死に際まで追い詰められた。


「魔力が切れるのが先か、それともこいつに食べられるのが先か……」


 エルスから切り札である魔法【聖光纏いて闇を断つホーリールークスオーバーレイ】の使用を封じられている以上、打開する術は一つ・・しかない。


「【武典解放ぶてんかいほう】。あのキマイラを倒すにはそれしかない……」


 アスタが使えるもう一つの魔法。それが【武典解放】である。


 人外によって生み出されたか、もしくは永い時を経て聖剣、魔剣と呼ばれる逸話を持つ武器を所持しており、かつ才能ある者だけが使うことの出来るこの魔法は、それに封じられた記憶を眠りから呼び覚まし、内包された世界を再現する。


 この威力は絶大。物が物なら神に傷を負わすことも、死者を蘇らせることも可能と言われている。しかし奇跡を起こすということはそれ相応の代償を伴う。アスタのようにまだ幼い身でこれを使えば身体の方が耐えきれずに崩壊する。それを教えてくれたのはサイネリア王国騎士団長その人。彼女もまた【武典解放】の使い手だ。


 ―――いいか、アスタ。【武典解放】を全力で使ってはならないぞ? 私とて使うには細心の注意を払うくらいだからな。今の君ではいくら身体強化をしても身体がもたない。だからどんなに窮地になったとしても、使うときは威力を極力抑えるんだ。いいな?―――


 カトレアは厳しい口調でそう言った。稽古をしている時より真剣な眼差しにアスタはこくこくと頷くことしかできなかった。その後カトレアは優しく頭を撫でてくれた。


「ごめんなさい、カトレアさん。でも……僕は強くなるためにあいつは倒さなきゃならないんです。だから―――使います」


 キマイラとの距離を取る為、アスタは敢えて一歩踏み込んでその獅子面目掛けて水平に剣を振り切る。風を斬り裂くその一撃を脅威と見なしたキマイラが回避のために大きく後方に飛び退く。それが狙い。アスタもまたすぐさま後ろに飛んで間合いを取る。


「倒すのはこいつだけでいい……威力は……いらない。出力を絞るんだ……」


 瞑目し、己と対話する。カトレアに言われてから一度だけ試したことがあったが、加減が上手く出来ずに王城の鍛錬場を破壊しかけた。その際身体にかかった負荷は筆舌に尽くし難く、四肢がもげるでもなく、痛みにのたうち回るでもなく、ただただ命を削る、そんな感覚。それ以来アスタはこの魔法は使わないことにした。


 ―――安心しろ。時が経ち、大きくなれば自然と使っても問題ないようになる。それまで己を鍛え、剣の腕を磨いていけばいい。大丈夫、アスタには才能がある。君なら私なんてあっという間に追い抜いていくだろうさ―――


 この絶体絶命の窮地から生還という希望を手繰り寄せるためにはあの時の恐怖を乗り越えるしかない。


「【武典解放】―――」


 純黒キマイラが飛来する。その凶悪なる牙で矮小な勇者を噛み殺し、己が主の期待に応えるために。


 小さな勇者は身の丈程の聖剣を静かに空高く掲げる。その刃が僅かだが星の輝きが集まり、束ねられていく。それはまるで闇の中を彷徨う旅人が持つ希望の松明の光。死が迫る中でアスタが放つ命の輝き。


 其の名は―――


「【祈り束ねたアステル―――希望の剣グラジオラス】!!」


 星なる一撃が真正の闇の中にえ奔る。


 アスタを喰い千切らんとした獅子と山羊と大蛇の闇の合成魔獣は悲鳴を上げることすらできず、その身は星の刃から発せられた本流に飲み込まれて完全に消滅した。大地は抉られ、じりじりと燃えている。


 大木さえも根こそぎ蒸発させるその威力に一番驚いているのはアスタ自身。魔法発動に必要な魔力を最小にまで絞ってこの威力。カラン、と音を立てて剣が手から落ちた。アスタの両腕は痙攣と激痛が襲ったためだ。震えながら手の平を返して見ると真っ赤に焼けただれていた。


 限界だった。アスタは両膝を地面についた。制限時間があとどのくらいの残っているかはわからないがもう剣を握ることはもちろん歩くことも立つこともできない。しかし不思議とアスタは満足感を覚えていた。


「ヘヘヘ……エルスさんのキマイラに勝ったぞ……【武典解放】も前よりも上手く使えた。魔力探知だって……少しは……強くなれたかな…………」

「―――よく頑張ったわね、アスタ君。最後の一撃には度肝を抜かされたわ」


 朦朧とする中、聞こえたのはこの鬼ごっこの発案者にしてルールを破った教師の魔王。称賛の中にどこか呆れが混じった声。抗議しようと口を開こうとするがその前にふわりと優しく抱きしめられた。


「文句はこの疵を癒した後でいくらでも聞いてあげるわ。だから今は力を抜いて休みなさい」


 甘い声を耳元で囁かれ、愛に溢れた抱擁にアスタの意識は心地よく堕ちていく。それを確認してからエルスはゆっくりと立ち上がり、起こさないように気を付けながらふわりと宙を舞い、空中散歩で家に帰る。


「アスタ君への言い訳を考えないといけないわね……」


 やりすぎたことを一応反省している魔王様は可愛い少年勇者の剣幕をどう抑えるか頭を悩ませるが答えは出ず。最終的に開き直ってうやむやにすることにした。

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