パタパタ鳥の空

つきの

少年とパタパタ鳥

 その玩具は『パタパタバード』といいました。

 空を飛ぶ鳥の玩具で、電池などもいりません。ゴムの力だけで飛ばすことができるのです。


 手のひらに乗るくらいで鮮やかに彩られた体はプラスチック、羽の部分はビニール。荒っぽく扱うとすぐに壊れてしまいそうですが、そんな繊細さも空を飛ぶものらしいと少年は思いました。


 飛ばすのは簡単で羽の付け根にあるレバーを上にあげます。そして尻尾の側にあるリールをクルクルと回してゴムを巻くのです。それからレバーを下げると玩具の鳥は羽ばたきはじめます。


 そのまま、ゆっくりと風に乗せるように押しだしてやると玩具の鳥は軽やかな羽ばたき音をさせながら空を飛ぶのでした。


 *


 少年は早くにお父さんを病気で亡くしていました。来年は中学生になります。

 お母さんと二人の生活は慎ましくとも温かなものでしたが、それでも我慢しなければならないことや寂しいことは、やっぱりあったのです。


 少年が空を飛ぶことに憧れたのは、何処かにいつも抱えているそんな気持ちから、いつか自由になりたい、そんな風に無意識に思ったからかもしれません。


 本当は小鳥を飼いたかったけど、狭い二人暮しのアパートはペット禁止ですし、そんな余裕も場所もありません。

 第一、毎日忙しく、生活を支える為に働いているお母さんに、鳥を飼いたいなどとは言えませんでした。


 そんな時に大型玩具ストアで、パタパタバードを見つけたのです。

 もっと小さな子供用の玩具なのだろうとも思いましたが、少年は迷わずにコツコツと貯めていたお小遣いを全部使って、この玩具の鳥を買いました。

 決して高いものではなかったのですが、少年にとっては充分に大金でした。

 それでもどうしてもこの鳥が欲しい、少年は思ったのでした。


 少年はこの玩具が、とても脆いものであるのを知っていました。

 だから、飛ばす時には細心の注意を払いました。

 リールを回すのは最大でも40回まで。

 注意書きにあったので、きちんと数を数えながらリールを回します。


 *


 少年のパタパタバードは、少年の想いに応えるかのように、何度も空を飛びました。

 たとえ、空高く遠くに飛んでいくことはできなくても、確かにその薄い羽を精一杯に羽ばたかせて、空を飛んでみせたのです。


 少年はいつも心で願いながら、玩具の鳥のリールを回して、空へと飛ばします。

「このまま、飛んでいくんだ!遠くへ遠くへ!あの空の向こうへ!」


 それでも玩具の鳥はいつも、一定の距離を飛ぶと地面に落ちていきます。

 それは当たり前のことで律儀なほどに決まったことなのでした。


 *


 少年がパタパタバードを手にしてから、1年になろうとしていました。

 今年の春、少年は中学生になりました。

 本当なら、とうに壊れていてもおかしくないパタパタバードは色褪せ少し汚れてはいましたが、まだ空を飛ぶことができました。


 少年は今日もリールを巻きました。

 慣れてきて少し油断があったのかもしれません。

 元々、脆い作りのどこかに、ヒビが入っていたのかもしれません。


 少年が最後のひと巻をした時に、小さく何かが折れるような音がしました。

 嫌な予感がしました。

 いつものように、その手から玩具の鳥を飛ばそうとした時、鳥は羽ばたくことなく、地面へと落ちてしまったのです。


 いつか、壊れてしまうものだと、わかっていたつもりでした。

 それでも、それが今日だとは思っていなかったし、思いたくなかったのに。


 少年はパタパタバードを拾い上げて、手のひらに乗せました。

 そっと、その頭を体を羽を撫でました。

 まるで僕みたいだ、と少年は思ったのです。


 中学生になった少年は、小さい頃にはまだよくわかっていなかった貧しさの意味を、身に沁みて感じるようになっていました。


 お母さんは少年のために一生懸命働いていました。少なくとも高校だけは何としても行かせたい。それが口癖でした。


 それでも少年は迷っていたのです。

 今までも少年のために働き詰めだったお母さん。無理を重ねているお母さん。

 少しでも早く、お母さんを助けて働きたい。


 でも。


 少年には中学を出て働き出すことも高校に進学することも大変なことに思えました。

 まだ、中学一年生になったばかりの少年には、それは当たり前の迷いでしょう。


 それでも、それは現実の問題として確実に近づいていること、決めなければならないことなのでした。


 *


 少年は思いました。

 この脆い玩具の鳥が、あの空の向こうまで、飛んでいくことが出来たら、その時は高校への進学のことも考えよう。


 それは有り得ないことでした。

 有り得ない事だと知っていたから、高校進学を諦める理由にしたかったのかもしれません。


 玩具の鳥は壊れてしまった。

 もう飛べない。

 これは、僕だ……。


 *


 その時です。

 風が少年の頬を撫でました。

 そして

 手のひらの玩具の鳥を運んで行ったのです。


 それは不思議な光景でした。

 そう強いとも感じられない風は、まるで玩具の鳥の羽に力を与えるかのように吹き抜けて、その上に玩具の鳥を乗せたかの様でした。


 鳥は舞い上がって風と共に飛んでいました。

 まるで、少年に挨拶をするように、緩やかに一周まわった後で、空の向こうへと消えていきました。


 少年は、立ち尽くして玩具の鳥が消えていった青空を見つめていました。


 日が暮れてしまうまで……。



 ***



 ──それから、年月が流れて


 芝生のある広い公園。

 お父さんとお母さんと小さな女の子、後ろからゆっくりと歩いてくるのはお祖母ちゃんのようです。

 お父さんの手には、あのパタパタバードがあります。

 お母さんと手を繋いだ女の子が好奇心いっぱいに目を輝かせて、お父さんに話しかけます。

「ねぇねぇ、お父さん、その鳥は本当に飛ぶの?」

「勿論さ!」

 お父さんが答えるのを、お母さんとお祖母ちゃんがニコニコ見ています。

「こうやってね、羽の付け根にあるレバーを上にあげてから。この尻尾の側にあるリールをクルクルと回してゴムを巻くんだよ。そしてレバーを下げて……ほら、見ていてご覧!」


 玩具の鳥は風に乗ってパタパタと飛びたちました。


 それを、見てはしゃいでいる娘を見ながら、今はお父さんになった少年は心の中で言いました。

『ありかとう。あの日にお前が飛んでくれたから、僕も出来る限りのことをやってみようと思えたんだ』

『あの後、僕は高校に進学したよ。でも、もしも中学を卒業して働き出したとしても、それはそれで悔いはなかったと思う』

『あの時の僕に必要だったのは、どちらの道を選んでも、その道をしっかり歩いていくという覚悟』

『それを、お前が教えてくれた、そんな気がするんだ』


 *


 青い空にパタパタと羽の音を響かせながら、少しずつ降りてくる玩具の鳥をまた飛ばすために、その幸せそうな家族は、ゆっくりと近づいていきました。


 よく晴れた暖かい日、玩具の鳥はその日、何度も楽しげに青空を飛んだのでした。



 🐦おしまい🐦



 ◆◆◆


 ※この物語は……

 立原えりか先生の「とべない鳥」という作品へのオマージュです。


 ☽︎‪︎.*·̩͙‬つきの☽︎‪︎.*·̩͙‬

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