9.

「走れ!」

 ジョルジュの声が夜の街角に反響して溶けていく。体格でどうしても劣る少女が、ジョルジュと繋いだ左手に追いすがるようにそのすぐ後ろを走っていた。

『止まりなさい、許可証のない人間の夜間外出は認められない』

 拡声器を通した声と二組の足音が、二人の後方から聞こえてくる。

 二人を追っているのはこの区画一体を管轄とする警備シュプリオンだ。運悪くインスラを出てすぐに巡回中の二人組に遭遇したジョルジュと少女は、とにかく身を隠そうと赤黒く腐敗した街の中を駆け回っていた。

 しかし隠れ場所は一向に見つからず、役割に忠実にチューニングされた肉体を持つ警備シュプリオンたちと二人の距離は目に見えて縮まりつつあった。

 どうする、とジョルジュは周囲に目を走らせながら必死に考える。逃げ続けるのは無理だ。自分もそうだが、少女の体力にはっきりと限界が見て取れる。このままでは捕まる。そうなれば街の惨状について話したとて誰も信じるまい。いや、信じないだけならまだしも、もしこのことを知っていて黙っていた人間に知られたらどうする。誰がどこまで知っているのかもわからない。だからこそ、このまま捕まればただでは済まないであろうことだけは容易に想像できた。

 周囲の建築物同士の間隔が広くなってきた。その変化から、元々都市の外縁付近にあったインスラから、偶然にも街の外へ向かう道を辿っていたらしいとジョルジュは気づいた。ここなら、いやここでもバレるだろうが、それでも街なかよりは他の警備シュプリオンの到着まで猶予はあるはずだ。

「くそっ」

 ジョルジュは肩に掛けていた細長い筒状の包みを、走りながら器用に開いた。もちろん、それはダクタリから受け取った猟銃である。

 使い方は確認してきた。敵はすぐにこちらへやってくるだろうから、距離は問題じゃない。あとはタイミングと、覚悟。

 ジョルジュがちらりと少女に目をやると、彼女は荒い息をつきながらも頷いた。他に方法はないと、彼女もそう判断したようだった。

 装填されている弾は二発。敵も二人。

 ジョルジュは立ち止まり、一瞬遅れて少女も足を止める。二人が足を止めても決して速度を落とさずに迫ってくるシュプリオンに、ジョルジュは銃口を向けた。引き金は、奇妙にジョルジュの指に馴染む。その冷たい感触が、ジョルジュの乱れた呼吸を落ち着かせ、震えを止めた。


 銃声が二回、夜の空気を震わせた。


「っは、っは、っは、ぁ」

 震える息を吐きだして、ジョルジュは構えていた銃を下ろす。赤黒い町並みに、新しい残骸が増えた。胸に風穴のあいた二体のシュプリオンも、きっと誰にも片付けられず、見向きもされず、この場所で腐り果てていくのだろう。

「……行くぞ」

 ジョルジュが手を差し出すと、少女はその手を取った。

 銃を担ぎ直し、二人はこのだだっ広い、腐敗臭漂う都市と外界とを隔てる、思いの外簡素な柵を乗り越えた。あまりに簡単なこの逃亡を、ジョルジュはこの三十余年で初めて考え、そして実行したのである。

 柵を乗り越えたところで、少女が首から下げていたラジオのダイヤルを回した。

 ザザッというノイズのあとから、生真面目そうな女の声が聞こえてくる。


『――の犯人は猟銃を所持、未確認ですが発砲し、警備シュプリオン二体を沈黙させたとの報告も上がっています。また犯人がシュプリオンと思われる少女を連れていたとの証言もあり、身元の特定とともにシュプリオンの製造番号確認が急がれています。政府は、近年強硬に推し進めてきたテロ対策に対する反発の可能性もあるとして、テロ組織プーリによる事件への関与についても捜査する方針を明らかにし――』


   了

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その街は誰が為に soldum @soldum

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