第30話 ゴブリン文化(2)


 夕刻のことである。


 ギガの土魔法によって作られた、すり鉢状の半地下空間――ローマのコロッセオに近い形の場所に、聖はいた。


 いわゆる、天覧席のような上方につくられた特等席であり、特殊な幻想魔法によって、外から内は見えないが、内からは外が見えるマジックミラーのような仕組みになっている。


 聖の眼下には、ショーの開幕を今や遅しと待ちわびる無数のゴブリンたちがいる。


 前の方の見やすい席はゴブリンの中では立場が上な小隊長級が占拠し、その後ろは軍歴が長い順に一般のゴブリン兵が座っている。


「アイビス。サキュバスを用意して頂いてありがとうございました」


「構わん。面倒な客のあしらい方を学ぶのも若いサキュバスにとっては勉強じゃ」


 聖の太ももの上に乗ったアイビスは、妖艶に微笑んで言う。


 サキュバスの奉仕を受けられるのは、小隊長級のゴブリンの特権であった。


「そう言って頂けると助かりますね――プリミラさんも、スライムの手配、ありがとうございました」


「……精液にはごく微量ながら魂が含まれている。スライムにはいい餌」


 『妻』として、聖の隣の席に腰かけたプリミラは表情を変えずに言い放った。


 サキュバスの数は限られている。


 小隊長級未満のゴブリンの性欲の『処理』はスライムの仕事とした。


「フラムさんもすみませんね。あまりこういうのはお好きじゃないでしょう」


 聖はフラムを横目でみた。


 彼女は、立ちっぱなしのまま壁に身体を預けて薄目を開けている。


「馬鹿にすんな――戦場でシャレになんねえエグいもんを腐るほど見てきてる」


 そう答えるフラムだったが、あまり居心地が良さそうには見えない。


 聖としても気は進まなかったが、戦場での総大将はフラムとする予定なので、ゴブリン兵の管理の観点からも視察をしてもらう必要性があった。


「おらおら聞け! ゴブリン共。お待ちかねのショーの時間でい!」


 司会のデザートリザードの合図で、今回のショーの目玉が、コロッセオの中央に運ばれてくる。


 それは、二つの電話ボックスほどの大きさの箱が連結された装置だった。箱と箱の間に仕切りがあり、それぞれ左右には、ヒトの男と女が、下着だけのあられもない格好で鎖によって拘束されている。それぞれの電話ボックスには、男と女とは別に、デザートリザードの拷問官が一人ずつ入っていた。


 箱は、聖の展覧席に似たマジックミラーシステムで、こちらは逆に中から外は見えないが、外から中が見える仕組みになっている。防音サイレンスの魔法も施されているため、外の人間は中の声が聞こえるが、中の人間は外の声が聞こえない。


 つまり、男と女は自分たちが見られていることに気が付けない状況にあった。


「全く、愚かな連中よの。いくらわらわたちが敗れたとはいえ、『英雄』でもないヒトが魔族の本領に踏み入れて無事で済むはずもなかろうに」


「ま、オレたちを殺しに来てんだ。当然、殺される覚悟はあるんだろ」


 アイビスとフラムが辛辣に吐き捨てた。


 彼らは東の方からやってきた俗に言う、『中級冒険者』のシーフのカップルであった。どうやら、冒険者ギルドから偵察の依頼を受けて火事場泥棒がてら魔族領に侵入したらしい。魔族が戦争で大敗した今が絶好の機会だと捉えたのだろうが、考えが甘すぎる。


「待たせたな。楽しい楽しい尋問の時間だぜ」


 拷問官のデザートリザードが、舌なめずりを一つして、女に話しかけた。


「こ、殺すなら殺しなよ! アタイは魔族に屈したりなんかしない!」


 女がそう虚勢を張る。


 箱の中の姿は幻影魔法によってパブリックビューイングのように拡大され、その声は拡声魔法によって、コロッセオ全体に響き渡った。


 ゴブリンたちが期待の歓声を上げる。


「殺すつもりならとっくにやってらあな――そう怯えるこたあねえ。あんたらにとったら、これはチャンスだ。上手くやりゃあ、あんたもツガイの男も、二人共生きてヒトの世界に帰れるぜ」


「う、嘘ついても無駄だよ。魔族が一度捕まえた人間を助けたりなんかするもんか」


「普通の魔族ならそうだが、今は偉大にして慈悲深き魔王様がいらっしゃる。魔王様っていうのはな。お前らみたいなカス共にも、気まぐれでチャンスを与えてくださるのよ」


「……た、確かに、魔王っていうのは、どうにも理屈に合わないことをするって聞くね。たくさんの犠牲まで払って、お姫様をさらって、わざわざアタイらが団結する理由を作ったりさ」


 この世界のヒトには、魔王=脳筋だと思われている。


 実際、今までの歴史上の魔王全てがそうだったのだからしょうがない。


「ま、ともかくよ。ルールはこうだ。まず、あんたが依頼主を吐けばあんたは無傷で解放する。ツガイの男の方は殺す」


「そ、そんな……」


「逆も同じだ。もし、男が吐けば、お前が死ぬぜ」


「そ、それのどこにチャンスがあるって言うんだい! これだから、魔族共は――」


「まあ、聞け。話はこれからだ。もし、あんたらが二人共、オイラたちの拷問に耐え抜いて、ずっと黙っていられたら、二人共解放だ」


 デザートリザードは激昂する女をなだめるように言った。


「……ずっと黙ってって、いつまでさ」


 女の目が真剣さを増して、すっと細まる。


「そりゃあ、二ヵ月か、三ヶ月か――ともかく、春の雪解けの頃にはヒト共がここに攻め込んでくるっていうことくらいは、あんたも知ってるだろう? オイラたちが負けたら、ヒトの英雄だか、勇者様だかが、箱を開けてくれるだろうよ。ただ、無傷で解放っていうのは癪だからな。この箱が魔族以外の手で開けられると同時に、ちょっとやそっとの魔法じゃ治らねえ、きっつい呪いの傷を全身に刻ませてもらう。まあ、それでも、二人共、五体満足で帰れるんだ。御の字だろ?」


 デザートリザードは、手にした拷問の鞭を試し振りしながら、とぼけた調子で言う。


「――二人ともが吐いたら、どうすんのさ」


「そん時きゃあ、情報の価値は半分だからな。当然、待遇もそれなりになる。男の方は、そうさな。殺しはしないが鉱山で奴隷として壊れるまで、働いてもらうことにならあな。ま、今すぐに死ぬよかマシだろ?」


「あ、アタイはどうなんのさ」


「あんたはあんまり力がなさそうだしな。そうさな。ゴブリンの苗床にでも使うか」


「……こん畜生が」


 女が恐怖に顔を歪めて震える。


 ゴブリンが哄笑した。


「嫌なら別にいいんだぜ。別に、オイラたちはあんたらを今すぐぶっ殺しても一向に構わねえんだからな。ただ、魔王様のご命令だから一応、聞いてやってるだけさ」


「やるよ! やりゃあいいんだろ! でもね。あんたらが約束を守るって保証はどこにあるんだい! 後で約束を反故にしないって証拠をよこしな! よこさないって言うなら、今すぐ舌を噛み切って死んでやる」


「疑い深いねえ……。あんたが同意するなら、魔術的な誓約書を交わしてやるよ。恐れ多くも魔王様が契約相手だ。ルールを守ることに、魔王様ご自身の命をかけると書いてある。これで信用できねえっていうんなら、オイラたちはもうお手上げさ」


 デザートリザードが、羊皮紙を女にちらつかせて言う。


 この誓約書は嘘偽りなく本物だ。


「――いいだろう。アタイらをなめんなよ! 拷問に耐える訓練だって、きっちり受けてんだ!」


「おうおう、その威勢がいつまで続くかねえ。ま、とりあえず、血判をもらうぜ」


 デザートリザードが女の手を引っかき、血を流させて、誓約書を完成させる。


 一方その頃、男の方にも、女の方と全く同様のルール説明がなされ、彼もまた誓約書にサインをした。


 やがて、拷問が始まる。


 苦痛に顔歪める男と女に、ゴブリンたちが湧きたった。


「さあ、皆さん、ここで問題です。このゲームは、どのような結末を迎えると思いますか? 私の元いた世界では、『囚人のジレンマ』というのですがね」


「……もちろん、すぐに自白する」


「おう。相手がどう出ても、それが一番得だからな」


 プリミラとフラムは、しばらく考えてからそう結論づけた。


 女の立場になって考えてみよう。


 この場合、男が取ると考えられる行動は、『自白』or『沈黙』の二択である。


 男が『自白』した場合、女が自分にとっての利益を最大化するためには、自分も『自白』するしかない。もし、沈黙を選べば即死だからである。


 男が『沈黙』を選んだ場合、女が自分にとっての利益を最大化するためには、こちらもやはり『自白』した方がいい。自分が無傷で解放されるからだ。


 男視点から見ても同様の推論が成り立ち、結局、二人は自白することになる。


「ご名答です」


「……これは恐ろしい。拷問で恐怖心を煽っているから、といった状況に関係なく、自然と二人を自白に導くシステムになってる」


「自由があるように見えて、自由がねえんだな」


「――と思いますよね? ですが、実はこの理論には、一つの大きな欠陥があります」


「ほほほ。『憤怒』も『怠惰』も青いの。ヒトには『愛』という概念があるのじゃよ。それはな、時に『自分よりも相手のことを大切に思う気持ち』と表現されるのじゃ」


 アイビスが意味深に笑う。


「そうです。アイビス、良く気が付きました。『囚人のジレンマ』は、お互いが『自分の得を一番に考えている』前提の理論です。つまり、二人が恋人として真に信じ合い、『相手のことを一番に考えている』状況ならば、理屈は逆転します。二人は、必然的に黙秘を選ぶことになるのです」


「……つまり、あの二人には本当に希望がある?」


「ええ。その通りです。本当に希望のないゲームを押し付けるのはあまりにもアンフェアだと思うので、このような形にさせて頂きました」


 プリミラの問いに、聖が頷いた。


「随分と甘くねえか? あいつらは侵略者だろ?」


 フラムが男と女を睥睨して疑問を呈する。


 シーフたちは、デザートリザードの拷問に苦悶の声を上げながらも、必死に歯を食いしばって耐えている様子だった。


「当然、このままではショーになりません。希望を与えるのは嘘ではありませんが、現状は彼らが自らの失態で招いたことですから、かなり不利なハンデは突きつけさせて頂きます。――『エンペラーコール。お二人共、次の段階へ進んでください』」


 聖は、拷問官たちにそう指令を下した。


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