第22話 勇者と騎士王(1)

「……遅いな」


 茶けた荒野に、恒夫は佇んでいた。


「さすがのジュリアン様も、勇者様がお返事が届いてすぐに出立されるとは、想定なさってなかったのではないでしょうか」


 隣のアイシアがなだめるように言う。


 アイシアの書いた手紙は、恒夫に協力する心ある神官たちの手で、すぐに騎士領のジュリアンへと届けられた。


 恒夫が望む通りの返事の手紙は、早馬で一週間もしない内に戻ってきたが、その日の内に勇者は飛行魔法でアイシアと共にガーランド騎士王国との国境へ向かったのだった。


 ちなみに、他の神官はいない。


 敵を警戒しながら同時に何人にも飛行魔法をかけ続けるのは大変であったし、口うるさく、一日七回のお祈りやらなんやらの宗教的なマナーを押し付けられるのも面倒だったからだ。


「それにしても、椅子の一つくらいは勧めてもいいだろう」


 今の恒夫は、勇者になったことにより、ちょっとやそっとのことでは疲れない身体になっている。


 だが、そういう問題ではないのだ。


 国境の駐屯所に詰めるガーランドの検問の兵士は、勇者たる恒夫を見ても顔色一つ変えることなく突っ立っている。


 それが気に食わなかった。


 大義を果たそうとしている自分には、ふさわしい敬意を払うべきだ。


 小一時間、心の中でそう不平不満を並べ立てていると――


「来たか」


 勇者の強化された知覚が鋭敏に遠来するその音を捉える。


「えっ? ……あっ。本当です! あれこそ、ジュリアン様率いるユニコーン騎士団です!」


 ドドドドドドド、と砂塵を巻き上げて駆けてくるその一団は、遠目に見ても白かった。


 角の生えた白馬にしか見えないそれは、やはり魔法の加護を受けているらしい。生物が出すには非常識なスピード――高速を行く自動車くらいの速度でこちらへとやってくる。


(あんなスピードを出して、止まれるのか?)


 恒夫はそんなことを考えたが、それは杞憂だった。


 爆速のまま駆け寄ってきたその騎士は、地面に白刃を突き刺して、強引に減速し、恒夫たちの10メートルほど先で止まった。


「遅ればせならがら参上した! あなたが勇者様か!」


 女騎士が長い金髪をなびかせ。ユニコーンから颯爽と下りてくる。


 上半身と下半身は重厚な鎧で武装されているが、兜は被っていない。


 その代わりに、強い魔力を感じるサークレットを頭に装着していた。


 その手に持つ剣は、大地を切り裂いてもいささかの刃こぼれも得ることなく、陽光にきらめいている。


 容姿は――恒夫が昔やった戦略シミュレーションタイプのエロゲーに出てくるそれによく似ていた。戦争で負けたらオークに『くっ殺せ』とか言いながら、犯されるタイプのあれだ。


「ああ。そうだ。勇者の飯田恒夫だ。あんたが『純潔』のジュリアンか?」


「いかにも――どうやら、他の騎士は勇者様にふさわしい歓迎をしなかったようだな。私が彼らに代わって謝ろう」


 ジュリアンは剣を鞘にしまうと、左腕を後ろにし、右腕を腹の辺りに当てた芝居がかった仕草で頭を下げた。


「いや、あんたに謝ってもらう筋合いはない」


「そうでもない。彼らの態度がそっけないのは、半分は私のせいかもしれない。――恥ずかしい話だが、私は騎士領の中に敵が多い。嫌われていてね」


 ジュリアンはそう言って肩をすくめる。


「そんな! どうしてジュリアン様が! ジュリアン様こそ、騎士の中の騎士です! 少なくとも、私はあなたに救われました!」


「……覚えてるよ。手紙には、『慈愛』の聖女としか書かれていなかったからわからなかったけど、君はクルーネ村のアイシア嬢だね。あの時、君がくれたオーリンの実よりおいしいそれを、未だに私は食べたことがないよ――数年会わない内に、すっかり大人の女性になられた」


 ジュリアンが気さくな調子で言う。


「覚えて……くださっていたんですね」


 アイシアが噛みしめるように呟く。


「アイシア嬢のような愛らしい御方を忘れるはずがない」


「……あ、その、わ、私だけでなく、村の者も皆、感謝しておりました。他の国から、ただ私たちを守るために駆けつけてくださって」


 顔を真っ赤にしたアイシアは、照れ隠しのようにジュリアンから視線を外して呟く。


「まさにそのことで非難を受けているのだよ。『騎士の国の人間でありながら、他国の者を優先して助けるとは何事か』とね。私は国に関係なく、その時に一番多くの人間を救える重大事件の現場に駆けつけているだけなのだがね。勇者様なら分かって頂けると思うが、正義を貫こうとすればするほど、なぜだか敵が増えていくんだ」


「気にするな。あんたを間違っていると言う奴が間違っている」


 恒夫は珍しく、ジュリアンという女を気に入っていた。


 その率直な物言いに親近感を覚えていたのだ。


 そして、ジュリアンの直言を許す自分を寛大な人物だと心の中で自画自賛した。


 もし、女騎士が自分より強かったら、恒夫は嫉妬していただろう――ということに、もちろん本人は気が付いていない。


 もし、女騎士が男であるか、もしくはオークのような不細工であったなら、自分より弱い癖に偉そうな奴だな、と反感を持っていただろう。


 恒夫は自分の中の醜い感情にはとことん無自覚でいられる男であった。


「そう言ってもらえるとありがたい。先に言っておくが、騎士領では勇者様のことも歓迎しない者がほとんどだろう。騎士王はすでに、勇者様が奴隷を解放しようとしていることを掴んでいる。戦力が減ることを危惧しているらしい――私は民を戦わせるなど、騎士の風上にも置けないと思っているが」


「わかってる。いいから、さっさと騎士王の所に案内してくれ」


「その前に、勇者殿と聖女様を連れて行きたい場所がある。騎士王との交渉にも関わってくることだ」


「いいだろう。連れて行け」


 騎士団に先導されながら、恒夫たちはガーランド騎士王国を駆けた。


 アイシアはジュリアンのユニコーンの後ろに乗せられ、恒夫は上空を飛行したまま、常に周囲の様子を警戒する。


 二日後、恒夫たちは荒野に建てられた無数の粗屋の所にいた。


 そこは、恒夫がいつかニュースで見た、難民キャンプの様子に似ていた。


 ジュリアンはその粗屋を管理する兵士となにやらしばらく口論した後、恒夫たちを呼ぶ。


 扉もない入り口から中に入ると、そこには、虚ろな目をした兵士たちがぼーっと中空を見つめていた。


「奴隷……か? だが、様子がおかしいぞ」


「……薬で正気を失わされているのだ。私も詳細は分からぬのだが、どうやら東の商人どもから買い付けた魔薬らしい。『英雄丸』と呼ばれているこの薬を飲むと、恐怖心がなくなるそうだ。多幸感と強い依存性があり、中毒者はこの薬のためなら何でもやるようになる。巷ではこう歌われているよ。『一粒で英雄、二粒で勇者、三粒で屍鬼アンデッド』、とね」


「麻薬で奴隷を無理矢理兵士に仕立て上げているだと!? この外道どもめ!」


 恒夫が地団駄を踏み、爆風と共に地面に穴が開く。


 しかし、それだけのことが目の前で起こっても、奴隷たちは全く反応を示さなかった。


「わ、私が、この人たちを私が治します!」


「ありがたい……が、彼らの多くは他の騎士団の所有物だ。勝手に手を出すことはできない。それが法だ。悪法であろうとも法なのだ。私が個人的に給料で買戻し、保護した奴隷たちがいるから、後でそちらを治してやってくれないか」


 アイシアの申し出に、ジュリアンは悲しげに首を横に振る。


「も、もちろんです」


「あんたは、これを見過ごしていたのか?」


 恒夫はジュリアンを睨みつけた。


「……面目ない。だが、最初は民を武装させること自体は悪くないと思っていたのだ。民が自衛できれば、盗賊や魔族による被害を減らせる」


「その結果がこれか?」


「ああ。ここまでの外道とは思っていなかった。まだ、民を戦に動員して、魔族を滅ぼした後にしかるべき報酬を払い、元いた場所に返すというのであれば、100歩、いや1000歩譲って我慢できた。魔族が全滅すれば、人間全体に恩恵があるからな。だが、実体はどうだ。民に重税をかけて払えねば奴隷に落とし、魔薬で使い捨てにしているではないか。こうなってはもう我慢ならん! ――先の大戦で私は見たんだ! 奴隷の中でも、薬の効きが薄い者――正気に戻って逃げ出してきた彼らを、騎士が斬り捨てるのを! 守るべき民を自ら手にかけるなど、もはや騎士ではない。賊の所業だ!」


 ジュリアンが怒りに肩を震わせる。


「……あんたはそれでも何もできなかったのか?」


「ああ、そうだ。悔しいが私には力がない。騎士の全てを正義に立ち返らせるには、あまりにも非力だ。だが、勇者様にはその力があるのだろう? なら、恥を忍んで頼む! どうか民のために力を貸してくれ」


「頼まれなくてもやるさ。初めから俺は全ての奴隷を解放するつもりだからな!」


 恒夫はドヤ顔で胸を張った。


「さすがは勇者殿だ。私ごときが意見するまでもなかったな。……聖女様の治療が終わったら、騎士王の所に案内しよう。全ての騎士団長は王に直接進言する権利があるのだ。どんなに嫌われている者でも、な」


「勇者様、どうか、どうか、この非道をお止めください!」


 美女たちにかしずかれ、恒夫の自尊心は大いに満足していた。


 彼は真実の意味での勇者になれたと思っていた。


「ああ。任せておけ。俺が騎士王とやらと話をつけてやる」


 ジュリアンが保護した奴隷の治療を終えた後、義憤に駆られた一行は真っ直ぐに王城を目指すのだった。

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