第5話 聖都アレグリア

 聖都アレグリアは祈りと純白でできている。


 聖堂へと続く輝かしい巡礼路は、汚片の混じることのない汚れなき白の大理石でできていた。魔法によって常にメンテナンスされているそれは、いかなる汚れも寄せ付けることはない。それどころか、巡礼路の上には強固な結界が施されているため、地上の悪意――スリや強盗や人さらいの類はもちろん、外界からの雑音すらも遮断して、静謐を保ち続けていた。


 もちろん、誰もがその道を歩む栄光に預かれる訳ではない。


 安全な巡礼路を進むことが許される者は、敬虔な信徒だと認められた一部な者だけ。


 その『敬虔』であるか否かを判断するのは、無論、神だ。


 いや、正確には、地上における神の代理人とされ、天国への鍵を握るとされる教皇の承認が必要となる。


「しかるべき報告をせよ」


 そして、地上の絶対者として定められた『勤勉』の二つ名を持つ教皇グロリア8世は、敬虔なる信徒に義務付けられた日に五度の巡礼をこなしている最中だった。


 無論、時間は惜しい。


 故に歩みを進めながらも、部下にそう指示を下す。


「西のミケーネ領の寒村に、聖女が出たとの報告あり。9割程度の確度の高い情報です」


「ガーランド騎士王国、第三騎士団長より、対アンデッドの上級アミュレットを5000程融通して欲しいとの打診が来ております。代償として、件の係争地を我らが領有することを認めると」


「耕地を放棄した元農民の流民が増加し、盗賊化して治安が悪化しております。先の『聖戦』での損害が、想定を20%ほど上回った影響で、『征服派』が浄財の現地徴収を強化した影響かと思われます。いかが対策いたしましょう」


「ふむ。聖女は保護し、余の前につれて参れ。真偽を試す。アミュレットの件は融通してやれ。魔族共を殲滅するまではガーランドと友好関係を維持する必要がある。ただし、係争地のうち、バーガム周辺はいらん。あれは第五騎士団と第三騎士団双方が所有をしている。『俗世の手』の内輪もめに巻き込まれてはかなわん。流民は捕らえて神殿奴隷とせよ。『大地を耕すという神から与えられた責務を放棄した罰』である。それらの奴隷の内、壮健な者共は新たに手に入った係争地の開拓に当たらせればよかろう。そして、神の慈悲により、『五年の間励めば、奴隷身分より解放し、その土地の農民として働くことを赦す』。聖女が本物ならば、いくらか金を持たせて慰撫させてもよかろうな」


 教皇は同時に発せられたいくつもの報告を瞬時に聞き分けながら、適切な指示を飛ばす。


「……その、壮健でない者や、年老いた民は」


「――わざわざ余が申しつけねばわからんのか? 『ブーヨの部屋』に決まっておろうが」


 愚問を呈した見慣れぬ年若い執政官を、グロリア8世は睨みつける。


「『ブーヨの部屋』。寡聞にして存じ上げません、これでも、聖典は全て暗記したはずなのですが……」


 若い執政官が恥ずかしそうに俯く。


「教皇様――申し訳ありません。彼はミレス卿のご子息です。『愚息に厳しい環境で修行を積ませたい』との強い申し出があり、私の判断で執政官に加えました」


 別のベテランの執政官が、深く頭を垂れる。


 ミレス卿は『融和派』の中堅だ。


 たまたま領地が戦地から近かったために、大戦に伴う奴隷商いで儲けた新興貴族だったか。


 大方、そのあぶく銭を賄賂に回し、執政官の地位を買ったのだろう。


 息子が教皇の執政官を務めたというのは、今後の派閥内の出世争いで箔となる。


 別に賄賂で地位を買うこと自体は構わない。


 巡り巡ってその金は頂点にいるグロリア8世自身の懐に入るのだから。


 だが――


(貴族ならば、裏神学の基礎教育くらいは済ませてこい。余は神殿教師ではないぞ)


 たまにいるのだ。


 自分の子息が信仰に疑問を持つことを恐れるあまり、『きれいごと』しか教えない無能な輩が。


 信仰の正の側面しかみないならば、それは盲目的に神を崇める民草と変わらないではないか。


「事情は把握した。君は、聖ブーヨの聖訓を知っているね?」


 威厳を損なわず、されど圧迫にもならぬような穏やかさで、グロリア8世は若い執政官に問いかける。


「は、もちろんであります。聖ブーヨは、神に祝福された心清き信徒でありました。家族と財産に恵まれ、何不自由ない生活を送っていたブーヨ。されど、神に悪辣なる魔王が囁きました。『ブーヨが神を崇めるのは、神が彼を祝福しているからである。彼から祝福を奪えば、ブーヨはたちまち神を呪うであろう』。神はおっしゃりました。『ブーヨは義人である。疑うならば、魔王よ。ブーヨを呪ってみるが良い』。魔将の襲撃を受け、ブーヨの家族は皆、殺されました。さらにブーヨはおおよそ、この世に存在するあらゆる苦難に遭わされました。やがて、ブーヨは財産もなにもかも失い、やがて重い皮膚病の呪いにかかり、路傍に打ち捨てられました。それでもなお、ブーヨは信仰を捨てなかった。やがて、魔王はブーヨを堕落させることを諦め、神はブーヨを前に増して祝福し、あらゆる財産を倍与えられました」


 若い執政官が、教科書通りの返答をしてくる。


「よろしい。ならば話は早いな。同じような苦難が、果たすべき役目のない流民共に降り注ぐ。君のいう、『壮健でない者や、年老いた民』は一つの部屋集められ、信仰を試される。生き残った者は、義人として認められ、下級神官として採用される。それが、『ブーヨの部屋』だ」


 簡単にいえば、流民を一箇所に隔離し、教会が養える人数に減るまで、サバイバルゲームをさせるのだ。


 無論、最低限の食料は与えてやるが、この手の流民に当てられる年ごとの予算は決まっているので、世情によって生き残れる確率は大きく変わってくる。


 大戦のせいで予算が圧迫されている昨今は、まさしく悪魔的な生存確率になることだろう。


「そんな……。神はブーヨの命をお救いになりました。ならば、我々も、御心に倣い、彼らに慈愛を向けるべきなのでは?」


「よく考えてみたまえ。瑕疵のない信仰を持つブーヨだから、命は助かった。だが、土地を耕す役目を放棄した流民たちは罪人であり、本来ならば助からない。にもかかわらず、神の慈悲により、少なくない数が生き残るのだよ。無論、余とて、救えるものならば全ての民を救いたい。しかし、それには先立つがいる。君がそれを負担してくれるかね?」


 グロリア8世は、本心からそう述べる。


 これが、仮にガーランド騎士王国ならば、奴隷にする価値すらない流民はさっさと皆殺しにされている。


「不躾な質問をした愚かな私をどうかお許しください。……納得しました。信仰の道は、かくも厳しい物なのですね」


 若い執政官は首を横に振り、唇を噛みしめた。


 『ブーヨの部屋』の痴態を安全な場所で鑑賞するのが、ひそかな貴族の娯楽になっていると知ったら、この男は一体どんな顔をするだろう。


(神は死んだのだ)


 枢機卿以上の階級にある者ならば、周知の事実であるが、民草が望むような全知全能の慈悲深き神は存在しない。


 創世の御代にはそういったものが存在したかもしれないが、神は既にこの世界に興味をなくしていることは間違いない。


 ただ、それでも『祈り』と神に付随する奇跡を教会が代行するシステムだけは残った。


 ヒトはヒトである限り、祈ることをやめられない。


『病の苦しみから救われたい』


『誰もが平和に暮らせる世界を』


『愛しき者を奪った者たちに復讐を』


『この程度の傷で死んでたまるか』


『心に平穏を』


『大地に正義を』


 ヒトが身勝手に繰り出す種々の願い。


 その祈りは、力となり、神から下された聖杯に貯まる。


 それは、自然の力を利用する属性魔法とは違う『第三の力』であり、人為的にコントロールできる有限な資源である。


 祈りの力を宿した神官は、人が望む奇跡を起こす。


 病を癒し、傷を治し、魔を滅ぼさんと今も戦っている。


 教皇であるグロリア8世は、その信仰という資源を配分する権利を与えられている。


 だから、浪費は許されないし、綺麗ごとだけでは回らない。


『自分だけがいい思いをしたい』.


『特別扱いされたい』


 実のところ、そういった不埒な願いをする輩が一番多いのだから。


 貧富と身分の不平等は、ヒトが望んだ結果である。


 望んでおきながら、ヒトは自らをさも無欲で綺麗なものだと信じ込みたがる度し難い生き物だ。


「君、そう暗い顔をするではない。我々は神とは違い、卑小なるヒトの身だ。救えるものしか救えない。まずは、身近な所からだ。――施しの手伝いをしてくれるかね?」


 グロリア8世は、若い執政官の肩を叩くと、懐から巾着袋を取り出した。


「はい! 喜んで」


 若い執政官は、顔を上げ、無邪気に微笑んで見せた。


「よろしい」


(ふむ。政治的には無能そうだが、ここまで素直だと逆に貴重か。顔は整っているし、愛玩するには悪くない。ミレス卿もそのつもりで余の下に寄越したか)


 御多分に漏れず、グロリア8世にも我欲はある。教皇という重責を担う相応の利益は求めて当然だと思っていた。無論、色欲は罪であるし、特に同性愛などは特に生殖に関わらず、性的快楽のみを追い求める悪行として忌み嫌われてはいる。だが、戒律違反の一つや二つ隠し通せないようでは、とても教皇は務まらない。


 そんなことを考えながら、グロリア8世は一掴みした銀貨を、若い執政官に手渡してやる。


 その僧服の内に隠された瑞々しい肉体に思いを馳せながら。


 そして自分も、巡礼の道の周りに群がる貧民に、銀貨を投げる。


 彼らは確かに貧民だが、貧民の中では恵まれている。


 彼らは『場所取り』に勝った、勝者だ。


 グロリア8世は銭を投げる。


 もはやいない神の代わりに。


 偽善だと自覚しながら。


 それでもなお、必要であるから。



 ゴーン! ゴーン! ゴーン! ゴーン! ゴーン!



 刹那、聖堂の鐘が激しく鳴り響く。



 巡礼の道が、純白から、警告を示すような赤色に染まった。


 それが示す現象はただ一つ。


「魔族共は、魔王を呼んだか」


 グロリア8世は、ふと施しの手を止めて鐘の方を見遣った。


 民草は動揺したように顔を見合わせるが、グロリア8世は冷静だった。


 追い詰められた魔族共が魔王にすがることは、8割ほどの確率で予期されていたことだ。


 だからこそ、召喚の暇を与えないために、冬の前に大戦に決着をつけたかったのだが、滅亡を前にした魔族の決死兵は中々手ごわく、春以降に持ち越しとなってしまった。


 とはいえ、最善とはいえずとも、皆が納得するに十分な戦果は出ており、ヒトの魔族に対する勝利は確実な情勢である。


「出ましたな。ご慧眼の通りです」


「無駄な追従するな。初めてのことでもない――準備通りに勇者召喚の儀式を」


 グロリア8世は、また銀貨を撒きながら歩き始める。


 それは、いつもと変わらぬ日常を続けるという断固たる意思。


 触発されたように、動揺していた民たちも金の取り合いに戻った。


 そう。


 勇者は信仰を蓄積する聖杯と同じ。


 ただの神の残したシステムにすぎない。


 強大な力を持つ魔王は、ヒトの祈りを背負って立つ勇者で相殺する。


 もちろん、タダではない。


 勇者召喚には多大な信仰のリソースを要求されるのだ。


 割を食って死ぬ民草は増えるだろうが、どうということはない。


 魔族を滅ぼし尽くして、魔物の被害がゼロになれば、最終的にはヒトという種、全体に損害を補ってあまりある恩恵がある。なんせ、今まで魔物対策に割いていたリソースを内治にあてられるのだから。

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