第4話 魔王は機微を読む(2)

「ですが、本当にワタクシでよろしいのですか? 先にも申し上げた通り、ワタクシは魔将――魔王様のおっしゃる幹部としては、あまりにも脆弱な存在です。そんなワタクシが魔王様のお側に侍る資格があるのでしょうか」


「問題ありません。私は個人の武力よりも、集団での力を重視しています。さしあたって今の私に必要なのは、私のこの異世界に対する知見の無さを補ってくれる存在です。私の見立てでは、シャムゼーラさんはその役目に十分に耐え得ると考えています。その点、シャムゼーラさんはどのように考えていらっしゃいますか?」


 聖は敢えて試すように問うた。


 謙虚なのは美徳であるが、卑屈なのは使えない。


 彼女に客観的に自身の能力を把握できる力があるのかが知りたかった。


「はい。ワタクシは神官としての魔力はあまり強くありませんが、父から色々教わっていたのと、魔力の不足を知見で補おうとしていたこともあり、ほとんどの魔族に比べて知識がある方だとは思います。また、魔族の多くはヒトを侮っており、弱く下等な種族としか考えていない者が多いですが、ワタクシはその脆弱なヒトに魔族が敗北を喫してきた事実から、彼らの情報の把握にも努めて参りました。もっとも、魔族とヒトとの間には行き来がないため、得られる情報には限界がありましたが……。ヒトに対する知見においては『色欲』のアイビスの方が、世界情勢に対する見識は他の大陸を含め、諸国を旅している『強欲』の魔将であるレイの方が優れていると思います。それでも、総合的に考えて、魔王様の望まれている職務を果たすのに、ワタクシはふさわしい能力があると自負致します」


 シャムゼーラは時折思考する間を挟みながら、理路整然と答える。


「よろしい! やはり、私の見立ては間違っていなかったようですね。私は、シャムゼーラさんを私の秘書に任命します! 後、雇用契約に必要なのは――そうですね。まずは、労働時間について定めましょうか。シャムゼーラさんは、どの程度働き、どの程度の休暇を望まれますか?」


 労働には当然対価が必要だ。


 彼女を幹部クラスとして扱うならば、相応の待遇を用意してやらねばならない。


「休暇……ですか。確か、ヒトの間にはそのような制度があると聞いています。しかし、脆弱な肉体しかもたないヒトとは違い、魔族には休暇という概念はありません。常に新しい力を求めていますから……」


「向上心があって良いですね。しかし、どのような志があろうとも、肉体は疲労するでしょう。睡眠時間もいるはずです」


「そうですね……。ゴブリンなどの下級魔族や、肉体の精強さに依存する中級魔族の一部――オーク、ワーウルフあたりならば、おっしゃる通り、睡眠や休息を必要とするかと思います。しかし、アンデッドや霊体系の魔族ならばそのような制約はありませんし、少なくとも、上級魔族に数えられる程度の魔力がある個体ならば、基本的に通常の活動で肉体的疲労を得ることはなく、睡眠も必要ありません。戦闘後などは、回復を早めるために横になることはありますが。結論としては、ワタクシも弱いとはいえ、上級魔族の端くれですので、休暇は必要ない、ということになるかと」


「なんと! 休暇は必要ない? 先ほど『怠惰』の魔将がいるとおっしゃいましたが、そのような方々も?」


「『怠惰』は逆説的に強者の余裕を示すものです。『いつでも目的を達成する力があるので』、あくせく動く必要がないという意味で解釈されています」


「なるほどなるほど。よくわかりました。その休暇が必要ないというのは、私でもですか? 見ての通り、私はヒトですが」


「魔王様は外見こそヒトですが、内蔵されておられる魔力量は、七人の魔将の全ての魔力を合わせても敵わないほどです。当然、睡眠や疲労を感じることもないかと思われます」


「そうですか! それは素晴らしい。本当に素晴らしい! では、働きましょう。24時間。春も! 夏も! 秋も! 冬も!」


 聖は目を見開いた。


 そんな都合のいいことがあっていいのだろうか。


 忌々しい肉体の頸木から解き放たれ、働き放題とは、まさに天国ではないか。


 寝袋も、エナジードリンクも、もはやこの世界では必要ないのだ!


「はい! 御心のままに!」


 シャムゼーラが目を輝かせて頷く。


「では、次は報酬についてです。――シャムゼーラさん。あなたは労働の対価として何を望みますか?」


「報酬、ですか? それはもう、勝手にこの世界へお連れした魔王様に魔族をお救い頂けるというだけで、ワタクシの身には余るほどの報酬です」


 シャムゼーラはキョトンとした様子で小首を傾げる。


「いえ、魔王業は私がやりたくてやることですから、シャムゼーラさん個人への報酬には当たりませんよ。それに、あなたが魔王を召喚したのは職務上の立場の要請からであって、あなた個人の欲望のためではありませんよね。私はあなた個人の望みを知りたいのです。何でも構いませんよ。私のいた世界では、報酬は金銭の支払いが義務付けられていましたが、なにもそれに限ることはない」


 聖は常々思っていた。


 法律が報酬の支払いを金銭のみに縛るのはおかしいと。


 報酬で重要なのは、要は、働く本人が労働の対価として納得できるかどうかである。


 たとえ、『やりがい』だけであっても、本人がそれで幸せならばそれは立派に報酬なのだ。


「金銭ですか……。それも、やはりヒトの文化で、魔族には貨幣は流通しておりませんし、個人的にも興味はありません」


「では、魔族の方々は一般的に何を報酬として望まれるのですか?」


「最も一般的なものは――魔力、もしくはその源となる魂でしょうか。屠った魂の分だけ、魔族は強くなります。例えば、魔王様の召喚には、此度の大戦で失われた魔族の魂全てと魔族が喰らい損ねて彷徨っていたヒトの魂を使いました」


「ふむ。その魔力というものは譲渡できるものなのですか?」


「契約を結べば可能です」


「では、シャムゼーラさんも魔力を望まれますか? 魔族は常に強さを望まれるのですよね」


「一般的にはそうなのですが、ワタクシはちょっとおかしいのかもしれません。歴戦の魔族の猛者が、ヒトの集団に容易く屠られる姿を見てから、単純な力には憧れることができなくなってしまいました」


「なるほど……。では、何か欲しい物はありますか?」


「物……。戦士などは宝物庫にある武具などを所望することも多いそうですが、ワタクシは神官ですので、そういった物もあまり……」


「ふむ……。困りましたね。シャムゼーラさんクラスの方を報酬はナシとすると、それ未満の配下の方々の待遇に難儀してしまいます」


 聖はこれみよがしに困り眉を作ってみせた。


 シャムゼーラが、本当に対価もなしに不満を抱くことなく、延々と働き続けることができるのならいいのだ。


 しかし、残念ながら聖は地球において、そのような人物を見たことがなかった。


 ただ一人、聖自身を除いて。


「――ひ、一つ、あります。魂でも物でもなく、とても不遜な願いのですが、もし、魔王様さえよろしければ」


「なんでしょう」


「わ、ワタクシを、娘に、して、頂けません……でしょうか」


 シャムゼーラは途切れ途切れに、消え入りそうな声で呟く。


「娘?」


「あ、あの、もちろん、魔族的な意味で王権の継承者になりたいなどという大それた意味ではなく、ヒトによくあるような意味での『娘』です」


「ふむ……。私は元々、ヒトでしたので、ヒトのいう娘と、魔族的な意味での娘の違いがわかりかねるのですが……」


「し、失礼しました。魔族のいう『娘』は道具でしかありません。他の魔族に差し出し、勢力拡大の道具にするか、魔術的な生贄にするか――そのような利用価値を見出された者のみが存在を許されます。ですが、研究の一環でヒトの勢力から仕入れた書物によりますと、ヒトの親というのは、利害関係なく、無条件で子どもという存在を愛するそうです。わ、ワタクシは、魔族としては、軟弱で、決して抱いてはいけない願いなのですが、そのようなヒトの娘の在り方を羨ましく思いました」


 シャムゼーラは夢見る乙女のように手を合わせて目を輝かせる。


(つまり、親が子に与えるような無償の愛が欲しいと? 私が労働の対価として報酬を提示している時点で明らかに矛盾する願いですね)


 そもそも、聖の知る限り、人間の親というものは、子に無償の愛を注ぐ存在ばかりではなかった。彼女の言う魔族のように娘を道具としか思っていない親も存在したし、俗に言う善良な親であっても、『老後の面倒を見て欲しい』とか、『孫がみたい』とか、その程度の対価は娘に求めている親が大半であった。


 しかし、その真実をわざわざ彼女に教えてやるほど、聖は親切ではない。


 『愛』に飢えている女というものは、非常にコントロールしやすいことを、聖は今までの経験から知っていた。


 ならば、わざわざ水を差すまでもなかった。


「把握しました。一応、確認させて頂きたいのですが、『娘』で本当に良いのですね? ヒトの間では、愛にも色々種類があり、『親子愛』の他にも、『恋愛』や『友愛』といった概念も存在するのですが」


「恋愛感情というものは、ワタクシには、『色欲』の類と変わらないように見えました。友情というものはヒトの物語の中では、不安定な脆い絆として描かれていましたから、あまり惹かれませんでした」


「なるほど。よくよく熟慮の上での願いなのですね。それならば、もう何も問題はありません。――シャムゼーラ。いえ、シャミー。今日からあなたは私の娘です」


「しゃ、シャミー?」


「いけませんでしたか? 親ならば娘に愛称の一つもつけるものだと思っていたのですが」


「い、いえ。う、嬉しいです。ぜ、是非、シャミーとお呼びください。魔王様」


「いけませんね。シャミー。魔王様ではなく、『お父様』でしょう?」


「は、はい、お父様!」


「よくできました。――元の世界では、私には家族と呼べる存在はいませんでした。ですが、こうしてみると、いいものですね。心が安らぎます。……この世界で二人っきりの家族です。力を合わせて、一緒に頑張りましょうね。シャミー」


 聖はそう心にもないことをシャムゼーラの耳元で囁きながら、その頭を撫でる。


 聖は他人に左右されるような不安定で繊細な心は持っていなかった。


 ただ、他人に望む言葉を与えてやることが、人間関係を円滑にすると知っていた。


 聖にとって、業務に支障が出ない範囲で他人が望む通りに振る舞うことは、日常であって、演技ですらない。


 意識して呼吸をする人がいないように、歩き方を考える必要がないように、それは当たり前だった。


「はい、お父様。シャミーは、この魂の尽きるまで、世界の全てを敵に回しても、お父様の側におります」


 シャムゼーラはうっとりした口調でそう言うと、目を閉じて、聖の腕に頬を寄せてくる。


「それは心強い。では、シャミー、まずは手始めに何をしましょう」


「はい。では、まず、信賞必罰を明らかにするために、ワタクシに罰を」


「罰?」


「はい。卑小なる臣の分際で、至尊たるお父様を召喚した無礼。その罪に対する罰を。どうか、ワタクシを叱りつけてくださいまし、お父様ぁ……」


 シャムゼーラは幼児退行したかのような舌ったらずな口調で言う。


 わざわざ罰を与えて欲しいなんて、彼女にはMの気でもあるのだろうか。


 先ほどからやたらに自罰的な思考をする女だとは思っていたが。


「ええ。娘をおしおきするのも父親の務めですからね――いけませんよ。シャミー。めっ」


 聖は内心軽く引きながらも、戯れにシャムゼーラに軽いデコピンを加える。


「ああっ!」


 ドガバジーン! 


 シャムゼーラがせつなげな声を漏らしたその瞬間――轟音と共に、彼女は数メートル吹っ飛んでいった。


(これが魔王の力ですか……。ほとんど力を入れてないのに、この威力。気を付けないといけませんねえ。というより、書類仕事をするのには邪魔にすらなりそうです)


「シャミー! 大丈夫ですか!? すみません、魔王の力がまさかこれほどとは!」


 聖は内心の冷徹な思考はおくびにも出さず、さも心配げにシャムゼーラに駆け寄る。


「問題ありません。うふふ……。これがお父様の愛……。はあ。はあ。ありがとうございます。お父様ぁ……」


 シャムゼーラは嬉しそうににやつきながら、赤くなった自身の額を擦る。


 どうやら、普通におしおきのデコピンとして成立したらしい。


 さすがに魔族という存在はスケールが違う。


 ともかく、こうして聖は異世界で、第一の部下にして娘となる存在を手に入れたのだった。

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