第29話 エピローグ

 残暑を引き止めるかの様に鋼道学園の隅々までセミの大合唱が鳴り響く。

道矢達が地底の奥底から帰還して一ヶ月が経った。鋼道学園の悲劇は世界中に伝えられ「土魚を徹底根絶せよ!」のスローガン一色に染まったのも束の間、急激に土魚達はその数を減少させていった。

世界土魚対策委員会からは「伝染病により地中で死滅を始めたのではないか」という説が発表され、世界中の人々に大地へ戻れるという希望を抱かせた。

この説を鋼道学園は否定的に捉えていたが、世界的な土魚の減少については認めるしか無く、ハンターコースの定員削減と平行して一般的な職業訓練コースを複数新たに併設した。

そして道矢といえば、

「もうEEガンのメンテいいだろ。そろそろ美味先輩も来るはずだからこっち来い」

と新たに出来た調理コースへ妹を導くべく、いつものキッチンで天ぷらの作り方を教えようとしていた。

「何言ってんのよ、お兄ちゃん。好事魔多し! バカ魚共が油断させてるかもしんないんだからね、いつでも撃てる様にしとかなきゃ!」

「美味先輩の話、お前も聞いてたろ。恐らく土魚はもう地上に戻って来ないぞ」

美味の話とはこうである――――地の底の底、吸った息を吐く事が出来ず膨張したあかりの体は鍾乳洞の間を押し広げ、巨大タンカー程に膨れ上がった所でついに破裂してしまった。これがあかりの最後かと思いきや、そうでは無かった。人型土魚の親たるあかりには当然のごとく体細胞再生能力が備わっていたのだ。木端微塵になったあかりの体がジワジワと再生を始める。ところがあろうことかそこへ土魚の群れが集まってきたのである。そしてあかりの体を食べだした。かくして無限に再生するあかりの体は、世界中から集まる土魚達の終わる事無き生餌となったのである―――

「あ~、夢の食べ放題バイキングになったあかりんに群がってるもんね。でもわかんないよ~、あんだけのバカ魚がいるんだもん。た~くさん地上に戻ってくるかもよ~?」

「それは無いな」

キッチンの床から美味の上半身が現れた。

「うひょ~! こ、このバカ美味! よりによって私の真後ろから湧いてくるな~、マジびびったじゃんよ!」

面白ポーズで飛び上がった巳茅に小さく頭を下げた美味が残りの下半身を現し、

「あかりの再生能力は大分弱った、あと二週間もすれば活動停止するはずだ。それと下僕……いや土魚だが、あいつらの寿命は半年。創造主であるあかりが死ねばもう増える事も無い。あかりを食べ尽くした後、年内中に全滅するだろう」

と言い終えると視線を道矢から天ぷら鍋へ移動させた。それに気付いた道矢がニッコリと微笑む。

「待ってましたよ美味先輩。約束してた天ぷらの作り方、やっと教える事が出来ますね」

「うむ、よろしく頼む」

天ぷら作りを教える約束、これはちょうど夏祭りの屋台勝負の時に交わしたものである。天ぷらネタであるエビ、イカ、サツマイモ等がなかなか入手出来なく先延ばしになっていたのだ。

「おいおいー、俺っちを差し置いて何勝手におっ始めようとしてんだよー!」

「私もご相伴させて頂きますわ。美味お姉さまのお料理が食べたいものでして、おほほほ」

美味が現れた床近くから総長が飛び跳ねるように現れ、更にその後からノブナガが両手を前に組んで現れた。

むぐぐぐっ、と歯噛みし握った両手を振り上げた巳茅が、

「何だよ何だよ~、バカ総長にバカノブまで来てんじゃないよ~こんにゃろ~!」

と両足をジタバタさせる。

道矢はそれを窘めつつ心の中でしみじみと喜びを感じていた。何故なら最初はクソ魚と呼んでいた巳茅が、今はバカ付けとはいえ美味らを名前で呼ぶようになったからである。

「うるせーんだよ、巳茅。つーかバカ呼ばわりすんな。ただでさえ姉貴にアホウって呼ばれてんだからよ」

「おほほ、巳茅さん。せめて私の事はバカではなくうつけ、とお呼びになって頂きません事?」

「ダメダメ~、何でダメかって~? だってそんな気分なんだもんね~、べ~だ」

そんな三人のやり取りを背に道矢が美味にこう訊いた。

「ところで美味先輩、本当にここへ戻って来ないんですか?」

地底帰還後、再び研究所に戻ってくる様文乃が提示した好条件(どうやら文乃は人型土魚の細胞を人間の医療に役立てる技術を見つけ出した様だった)を美味はきっぱり断った。それどころかこのキッチンに顔を見せる事はあってもそれは料理を教わる時間だけ、終わればここから数キロ離れた山の内部に作った新しいアジトへ帰って行くだけとなっていた。

「うむ……あの様な惨事を招いてしまった私だからな、ここに居ていい訳がない」

氷を入れた水に薄力粉を溶かしてゆく道矢はそれに答えられなかった。本音を言えば研究所へ帰って来て欲しかった。だが美味が感じている責任を深く思う程、そう簡単に口に出来る言葉では無かった。

「そ、そうえば美味先輩のお母さん、この前一緒に作った牛丼食べてくれました?」

話題を変えようと道矢は先週教えた合成肉を使った牛丼の話を振った。

「うむ、合成肉は初めてだったからな。何度もニオイを嗅いでは『大丈夫ざんすか? 大丈夫ざんすか?』と言ってきた。腹が立ったので私の大好きな一味唐辛子をもったいないが多めに降り掛けてやった。そうしたらどうなったと思う? 『美味しいざんす! 美味しいざんす!』とお代わりまでする始末だ。まったくあのババア! 私と好みが一緒とは、嫌な事だが親子と認識させられてしまった」

首を横に振りつつ呆れた笑みを浮かべる美味はどこか嬉しそうだった。

「じゃあまた妹達に教えるレシピが増えましたね」

「はは、食うしか興味の無い連中ばかりだが、幸いにも何人か料理に興味を持つ妹がいてな。それこそ牛丼の作り方を近い内教えてやろうかと思っているのだ」

「へえ、じゃあその時は言ってください。保冷バックに材料入れときますから」

「む、すまない……いつもお前に甘えてばかりで。また豚を持って来るからな」

美味の言う豚とは野良豚、つまり無人化した畜舎から逃げ出し野生化した豚の事である。

「いっ? そ、それは……まあ無理しなくて、その、いいですよ?」

美味の大きく開かれた口から転げ出た野良豚の死体を道矢は思い出した。皮を剥ぎ、足を切り離し、内臓を取り出し、胴体の肉を部位ごとに切り分けてゆく――――それはそれは大変な労力を使う作業で、一晩かけた道矢は次の日寝込んだ程だった。

「そうか? 気を遣わなくてもいいのだぞ」

「いえいえ全然気を使ってませんよ? と、ところで美味先輩、いい料理作って妹達やお母さんを導いてくださいね」

ちょっと驚いたように美味の目が大きくなり、元に戻った。そこには力強い光があった。

生肉アレルギーによる軋轢を取っ掛かりに関係を悪化させた母親、半分以上顔も知らない妹達、それらを一度は見捨てて逃げ出した美味。だが、今こうして母親と妹達の世話を見る立場になった美味には一つの秘めた決意があった。

それは、一族共々いつか人間界に受け入れられる事。

人喰いの一族にとってそれは途方も無い忍耐、努力、時間が必要であろう。だがこうして習った料理を一族に振る舞ってゆく事が人間を理解していく最初の一歩なのだ。美味の導くとはそういう事であった。

「おーい、いつになったら天ぷら教えてくれんだよコラァ!」

総長の急かす声に、

「あ、はいはい!」

「や、やる気満々ではないか、アホウ」

と二人は慌てて返事をする。

こうして天ぷら作りが始まった。

「ちょっと気の抜けた炭酸水を混ぜるとカラっと揚がるんですよ」

「へえー、おいこの残った炭酸水飲んでいいか?」

「ダメだ、アホウ」

「卵の代わりにマヨネース混ぜると更にカラっとなるんですよ」

「ふえー、そのマヨネーズ貸せよ。ちっと舐めてーからよ」

「ダメだ、アホウ……というかいい加減にしろ!」

スパーンっと美味のハリセンが総長の後頭部に炸裂する。

「いてえ! 何で叩くんすか、姉貴!」

「天ぷらを食べる前に余計なものを口にするな! 美味しさが半減するだろうがアホウ!」

「ヴッ……さーせん」

そんなやり取りの後、揚げ方を教わった美味と総長が代わりばんこで天ぷらを揚げてゆく。

「うん、二人共初めてにしては上出来だよ」

「マジか? うへへへ、やっぱ俺っち才能あるのかー!?」

「まったくアホウが、鳴瀬道矢の教え方が上手いだけだ」

「ヴッ、ま、まあそうかもしんねーっすね。ああーチクショウ、早く食べてーぜ!」

「あと少しで終わりですから頑張りましょうよ、総長」

それから程なく、自分が揚げた天ぷらを皿に載せ、各々がテーブルに向かう。

「おい、巳茅いつまでEEガンいじってんだよ」

「へ? ああ、終わったんだ。きゃっほ~い、食べる食べる~」

「おい巳茅、さては自分は作らず食べるだけを狙ってたなー!?」

「ちっちっ、調理コースに入りたくないというささやかな抵抗なの。わっかんないかな~、お兄ちゃ~ん?」

「わかんねーよ。つか知るか!」

憮然とした表情の道矢が皿をテーブル置くと、箸でエビ天ぷらを摘まみ巳茅へ差し出した。

「ほら、俺の揚げたてアツアツ天ぷら食べなさい」

「ちょっと止めてよお兄ちゃん。私ガキじゃないんだから」

外食中、親に口元を拭かれるのを嫌がる子供の様にそっぽを向く巳茅。そこへ、

「な、鳴瀬巳茅。良かったら私が揚げた天ぷらを食べないか? 鳴瀬道矢にも褒められた出来なのだが……」

と美味がおずおずと箸で摘まんだエビ天を差し出した。

――――この後の出来事を道矢は生涯忘れる事は無かった。

巳茅が何のためらいも無く、ごく自然に美味の差し出した天ぷらを口に入れモグモグと頬張った。そして、

「うっ……みゃ~い!!!!」

と頬に手を当て、うっとり目を閉じると至福の笑みを浮かべた。

「う、美味いか!? な、鳴瀬巳茅!」

「上出来の二重丸~っ! やるじゃん、バカ美味。まさに美味が作った美味なるもの! な~んちって」

巳茅はそう言ってエビのしっぽを口の中で噛み砕いて飲み込むと、唇をペロリと舐めた。


やっと……見れた。


両親を土魚に食い殺され、この世の全てを恨む目になった巳茅。その目に何とか健全な光を取り戻すべく、道矢は料理で導こうとした。だがそれは中々思う様には行かず、時に焦りを、苛立ちを覚えたりしていた。

それが今こうして、美味しい料理を食べた時に見せる口を巳茅から見る事が出来た。それもあんなに憎んでいた人型土魚の作った料理でだ。

ふいに目頭が熱くなった道矢は誰も居ない壁の方へ体の正面を向けた。

「お兄ちゃん、どったの?」

「な、鳴瀬道矢、私の出過ぎた行動で気を悪くしたのか? そ、そうなら謝るぞ」

気付かれない様涙を拭いた道矢が二人に向き直る。

「いや違いますよ。その……料理ってホント素晴らしいなって思って」

「は~? 意味わかんないだけど。つーか、そう言ってまた私を調理コースに引き込む気でしょ~、うしし」

「いや、確かに素晴らしい。もっともっと私に教えて欲しい、よろしく頼むぞ、鳴瀬道矢」

笑みを浮かべた美味が小さく頷くのを見て道矢は思った。

自分の教えた料理で巳茅の美しい口を見る事が出来た様、彼女が妹達へ料理を教え、その料理でいつの日か人類の口を美しく形作る事を彼女が見届けられたなら、何と素晴らしい事だろうか、と。

「おいおいー! 俺っちの天ぷらも食ってみろよ! スゲー自信作だぜ!」

勢い良く椅子から立ち上がった総長が箸で摘まんだカボチャの天ぷらを勢い良く巳茅へ突き出した……のだが、余りにも勢いが有り過ぎたのか、箸先から天ぷらが滑り飛び巳茅の頭上を超えて行く。

宙を舞った天ぷらは廊下へ続く扉の前へ着地した。そこへ、

「道矢ー、何よこのいい匂い。私お腹ペコペコだからご馳走しなさいよ」

と文乃が扉の奥から現れ、床の天ぷらに気づくはずもなく踏みつけてしまった。

「ん? きゃー! 何よコレ!」

驚いて足を持ち上げた文乃が、あろう事か慌ててそれを蹴り飛ばしてしまう。

「む!」

「ヴッ!」

「あらまあ」

「ひょえ~!」

道矢を除く一同が驚きの声を上げて固まった。

「え? え? 何よ、みんなそんな声上げて! ところでここに落ちてたの何? すっごく気持ち悪い感触だったんだけど?」

文乃が青ざめている一同の顔と自分の足の裏を交互に見る。

「あー、その気持ち悪いのってー、これの事ですよねー」

抑揚の無い声が文乃の横から聞こえる。彼女はその声――――そう、トラウマになってしまったその声には嫌でも聞き覚えがあった。

「み、道矢?」

声のする方へぎこちなく首を向ける。そこには――――

「天ぷら……て・ん・ぷ・ら、っていう食べ物なんですよ、これ。 知らないんですかー? あんた頭いいんでしょ、おっかしーなー」

と潰れた天ぷらを手にした道矢がドロンと濁った目で立っていた。

みるみる文乃の顔が青ざめて行き、嫌な色の汗が全身からブワっと噴き出す。

「その食べ物を踏み潰した挙句蹴り飛ばすってー、どんな教育されてきたんですか? つーかあんた理事長の娘なんでしょー?」

かつてのボコられ事件のトラウマが甦った文乃の目に涙が溢れだす。

「先輩~、お兄ちゃんの怒りを解くには土下座して謝るか、それを食べるかしかありませんよ~」

口に手を当て小声で囁く巳茅の進言に文乃は首を振った。

「嫌よ! 嫌々! あんな屈辱を受けたのに、その上土下座するなんて真っ平ゴメンだわ! このっ、バカ道矢! へっぽこ料理人! 人外モテ期人間!」

肩叩きでもする様両手を振る文乃を前に、水面の月が雲に隠れる様道矢の目に残されたおぼろげな光がすうっと消える。

「お前……ファザコンの他にまだ隠し事あるだろ? それは……」

右手の人差し指がゆらりと持ち上がり、文乃を捉える。

「いやぁぁぁぁぁぁぁーっ!!!!」



――――これが鳴瀬道矢と三ツ星美味が出会った夏の出来事。



道矢と巳茅、この兄妹がオンボロ空き店舗に定食屋をオープンさせるのはこれより数年後である。

そして美味らが率いる弁当屋が兄妹の定食屋へ隣接した場所に支店を出し、良きライバル関係となるのだが、それはまた別の話である……。


【おしまい】

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人なんか喰えるか! こーらるしー @puru

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