第15話 涙の15皿目

「さあ、ここであなた達の出番よ。胡桃波漁港の冷凍庫まで行って、マグロを持って来て頂戴!」


 そう言い放つ文乃に、道矢が唖然となる。


 車で二時間以上かかる所を歩いて、いや、恐らくだが土中を泳いで行けというのか。

 仮に辿り着き、壁を通り抜け勝手に冷凍庫からマグロを持ち出したら、それは泥棒ではないのか。


 そんな問題だらけの指示に早速総長が難色を示した。


「んあ? 何で俺っちと姉貴がそんなはるばる遠くまで行って、そんなメンドくせー事しなきゃいけねーんだよ」

「お寿司が食べたくないの? 言っとくけどマグロのお寿司はとーっても美味しいわよ。ほっぺが落ちる位にね」

「ヴッ、そりゃあ……食いてーけどよー、ちとメンド臭くねーか、そんな遠くまで行ってかっぱらってくんはよー」


 どうやら総長にとって、“持って来る”と“かっぱらう”は同じ意味の様だった。


「ふう、じゃああんたはいいわ。美味は手伝ってくれるんでしょ?」


 腕を組み、じっと話を聞いていた美味が目を開ける。

 てっきり道矢は断るのだろう思っていた、いい様に使われるのが何より許せない美味である。

 だが彼女の返答は意外なものであった。


「いいだろう。だが、正確な場所を教えてくれないと困るぞ」

「ヴェ! マジかよ姉貴ー。んな事言ったら俺っちも行くしかねーじゃねーすかー」


 文乃がパチンと手を合わせた。


「きゃはっ! ホント、美味って食いしん坊なんだから!」

「行く時に発信機付のイヤホンを付けて貰うわ。それで土中のあんたに方向とか教えるから」

「うむ」

「あ、そうと決まったら道矢、あんたもお寿司作る準備しておきなさいよ。ワサビとか酢飯の食材は私が手配するから」

「え! 俺寿司握った事ないですよ?」

「握った事ないでしゅよ? じゃない! そこはネットで調べて何とかなさい! わかった?」


 無茶と思えた提案の見通しがついた文乃が活き活きと指図を出す。

 それにやれやれといった道矢が美味に顔を向けた。


「大変な役目を引き受けちゃいましたね」

「ん……ところで美味しい寿司というのは、良い材料に作る者の腕次第というのだろう。頼むぞ、鳴瀬道矢」

「いやあ、ちょっと自信無いけど出来る限り頑張ってみますよ。初めて食べる美味先輩をガッカリさせたくありませんし」


 苦笑いを浮かべる道矢。その目を暫し見詰める美味。


「私よりお前の妹、鳴瀬巳茅をガッカリさせぬ様頼むぞ、鳴瀬道矢」

「え? は、はあ」


 目を瞬かせる道矢に美味が顔を近づける。


「……私は今まで食べられた人間やその家族を考えた事が無かった。仮にアホウが人間に食い殺されたとしたら、私もお前の妹と同じ様になってしまうかもしれん」

「美味先輩、もしかして巳茅の為に……」


 それを遮る様美味がこれ以上ないという真剣な眼差しを向けた。


「ときに鳴瀬道矢、お前は何故私やアホウに優しく接する。妹の様に私達が憎くないのか? それとも何か腹に秘めた考えがあるのか?」


 道矢が小さく驚いた表情で見詰め返す。

 そして、困った様な笑みを浮かべ、目を逸らした。


「そりゃ、両親殺されたと知った時は怒り狂いましたよ。自分の命に代えて一匹でも多く殺してやろうって毎日毎日そればっか考えて、ネットで土魚の死体画像を一晩中探しまくったりして……」


 美味が、ゴクリと息を飲む。


「で、ロクに飯を食べないで部屋に篭ってた俺を心配した親戚の伯母さんがおにぎりを置いてってくれたんです。復讐する事ばっかの頭でそれを食べたらですね、何故か涙が出てきたんですよ。そして母さんの言葉、美味しい食べ物があれば人は幸せな人生を送れる、って言葉を思い出した。ああ、このままじゃいけないな、そう思いましたよ。そして巳茅を何とかしなきゃ、とも思いました。偉そうな言い方だけど、俺が導いてやらなきゃって……」


 泣き出しそうな道矢が無理に笑顔を作った。

 それに美味がきゅっと横に口を結んだ。


「すまない、悪い事を訊いてしまったな」


 頭を下げるような素振りを見せた後、道矢に背を向ける。が、すぐに振り返ると耳元に口を近づけた。


「ところで、お前の妹の様になる、とさっき私が言ったのはアホウには内緒だぞ! いいな、絶対に内緒だぞ! 鳴瀬道矢」


 そう言った美味が再び背を向けると、パソコンのキーボードを叩く文乃の方へ歩いて行った。


 美味がマグロ泥棒に出発した次の日の放課後、研究所のテーブルには五十貫以上はあろう、マグロの赤身、中トロ、大トロの寿司が並んでいた。


「わあ! すっご~い!!」


 最初は美味や総長がいないか警戒しながら研究所の扉をくぐった巳茅だったが、ズラリと並ぶ寿司を目にした途端、顔を輝かせる。


「まあまあ、座って座って」


 文乃がテーブルの湯呑みにお茶を注いだ。


「凄い凄い! お兄ちゃんが握ったの?」


 我慢しきれないといった様子の巳茅が、兄の隣の椅子へ腰掛ける。


「大変だったんだぞ、何度も先輩にダメ出しされてさ」


 道矢が溜息を吐きながら、三つの小皿に醤油を垂らす。


「当たり前じゃない、口の中いっぱいになる大きさに握ったり、ガッチガチに固く握ったりしてるんだから」


 テーブルの反対にいる文乃が、兄妹の前に緑茶を入れた湯呑みを置いた。


「じゃ、頂きましょうか」


 椅子に座った文乃が両手を合わせる。

 それに道矢と巳茅も続く。


「うっ!……みゃ~い!!」


 大トロを含んだ口を動す巳茅の顔がほころんだ。


「おいおい、いきなり大トロ食べたら赤身の味がぼやけるだろ」

「いいじゃにゃい、食べたいんだからさ」

「いきなり大トロ食べたら赤身の味がぼやけるにゃろ、とかおっかしー。私はお寿司に詳しい人から、味の濃いネタ食べたらお茶を飲んで口の中をリセットすればいい、って聞いたけどね」

「そうなんだ。お兄ちゃん赤っ恥~! うしししし!」

「う、うるさいな。それより口の脇に米粒ついてるぞ、巳茅」


 三人で舌鼓を打っている内、寿司も七割方無くなり、それぞれの箸も醤油皿に置かれたままになる。


「ふぃ~、食べた食べた~」


 だらしなく背もたれに体を預けた巳茅が腹を撫でる。


「うん、シャリはともかく、ネタが良くて美味しいお寿司だったわ」


 湯呑を持った文乃が頷いた。


「先輩、いちいちキビシイですね。俺何かしましたか?」


 ダメ出し連発で帰った文乃を見返そうと、深夜過ぎまで握りの練習をした道矢が本当に悲し気な顔をする。


「な、何よ。そんな顔しちゃって。……わかったわよ、半日練習の割にシャリは良く出来てたわ」


 文乃の訂正に、道矢は泣き笑いの顔になった。


「お兄ちゃん、キモい」


 冷ややかにそう言った巳茅がお茶をすする。


「何おう! 巳茅、お前な、この寿司がどれだけ皆の苦労で出来ているか知ってイデッ!」


 テーブルの下から繰り出された文乃の蹴りが、道矢の脛に直撃した。


「このお寿司、酢飯の材料を調達したのが私で、寿司を握ったのがあなたのお兄さんなの。で、このマグロ。このネタを調達した人、教えよっか?」


 キョトンと文乃の話を聞いていた巳茅の顔が曇り始める。

 そして口に手を当て、椅子から立ち上がろうとした。

 道矢がその肩を掴む。


「おいおい、どうしたんだよ」

「お兄ちゃんも先輩も酷い! これクソ魚が持ってきたんでしょ!」

「食べ物入れた口でクソとか言っちゃダメだぞ」

「だから食ったもの全部吐いてくんのよ! 放して!」

「おいおい巳茅、食べた寿司に罪は無いだろ」

「そんな問題じゃない! 薄汚いクソ魚が持ってきたのを食べるなんて、おぞましい!」


 掴んだ兄の手を外そうと暴れる。


「みっちゃん」


 テーブルの向こうから、文乃が呼びかけた。

 それは我が子をなだめる母の様な響きがあった。


「あの人型土魚……美味と総長ね。片道四時間もかけてこの冷凍マグロを取りに行ったのよ。帰って来た時はもう立っているのもやっとで、今も奥の部屋で寝ているわ」


 荒い息を吐く巳茅の動きが止まる。


「それはクソ魚共がただマグロを食いたかっただけだよ! 豪華料理なんか食ってる生意気で意地汚いクソ魚だからだよ!」


 怒りの形相で叫ぶ巳茅に、それは違うとばかりに文乃が頭を左右に振った。


「美味は『鳴瀬巳茅に気の済むまで食べさせてくれ』と言って渡してくれたわ」

と頭を左右に振る。


 目を閉じた巳茅が両手で顔を覆った。


「嘘だ、クソ魚がそんな事言う訳がない! 絶対嘘だ、絶対嘘だ!」


 道矢が震える肩からそっと手を放した。


「美味先輩、土魚側の人だからお前に後ろめたい気持ちがあったんじゃないかな。だからこうして寿司作る手伝いをしたと思うんだ。それに……」


 放した手を、俯く巳茅の頭に載せる。


「美味先輩と総長は、父さんと母さんを食べた土魚じゃないだろ」

「な、何でお兄ちゃんは……クソ魚の肩を持つのよう……何でぶっ殺してやろうって思わないのよう……お父さんとお母さん殺されたのに……な、何でそんなに……何でそんなにぃ~!!」


 そこまで言った所で堪えきれなくなったのか、堰を切った様泣き出した。

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