第50話 君に会えて、嬉しかった

「ちょっと、足りなかったから」

「俺の生気が?」

「普通にやっている分にはいいけど、ややこしいことをするには、力が要るんだ」


 なるほどね、と鷹はやっと納得した。どうやらシャンブロウ種というのは、他者の生気を自らの特殊能力にするものらしい。そしてその相手を一人に限定する…………


「読みとってみるから、あなたは見て。聞いて」


 かなりの部分が欠け落ちたシェドリスの肉体の前にしゃがみこむ相棒に、ああ、と鷹はうなづいた。まだ少しくらくらするが、そんな場合ではなかろう。自分が天使種であったことを、彼は感謝しない訳にはいかなかった。


「判るのか?」


 サイドリバーは訊ねた。何とか、とオリイは短く答える。


「だったらいい。聞いてやってくれ。そして、奴に知らせてやってくれ……」

「サーティン氏に?」

「他に誰が居る?」


 当たり前のことの様にサイドリバーは答えた。だがその声はひどくひずんでいる。泣きそうなのをこらえている声だった。ここに居るのがこの男で良かった、と鷹はあらためて思う。

 オリイは髪の一房を動かすと、シェドリスの頭部をそれでくるみこんだ。そして目を閉じる。


「俺の言うことが、聞こえるか? シェドリス? ナガノ?」

(……聞こえる)


 微かな声が、鷹の頭に直接染み込んできた。


(そうか僕はもう駄目なんだな)


 それはひどく、乾いた声の様に彼には思えた。乾いて、そして奇妙に明るさすら感じさせるような。


(駄目なんだろう?)

「ああ、駄目だ。もうどうしようもない」

(そうだろうな)

「何でこんなことをした?」


 聞いても詮無い様な気も、した。だが彼は聞かずにはいられなかった。あれは自殺行為だ。


(何も考えてなかったさ)


 何も? 鷹は思わず身を乗り出す。


(僕はただ、これを壊したくなかったんだよ)


 それだけなのか、と彼は思わず自分の中に輕い失望が走ったのに気付く。だがそこで彼は車中の会話を思い出した。


「あんたにとって、ここは、何よりも大切な場所なんだな?」


 わざわざ危険を冒して、戻ってきて、そして再び作り直す程に価値がある。


(そうだよ)


 シェドリスは軽く答えた。


(だから、そうせずには居られなかった。僕は、この場所を、守りたかった)


 そして、やがてここに皇族を招かなくてはならないだろう、あの男を。

 急な中止や、事故がそこで起こったら、それはサーティン氏の責任問題になる。今現在、力をつけたサーティン氏でも、皇族に何かあったら、ただでは済まないだろう。


「お前は馬鹿だよ、ナガノ……」


 鷹の口を通して、友人の思いを耳にすると、サイドリバーは、とうとうその顔に、だらだらと涙を流した。拭くこともせず、うつむいた顔からは、ぼとぼとと滴が床に落ちるに任せていた。


(……でもそろそろもう疲れた。二つだけ、聞いてくれないか)


 ああ、と鷹はうなづく。


(ディックに、言い忘れたことがあるから)


 ディックに? そこでその名前が出るのだろうか。


(僕は彼に、ずっと言わなくてはならないことがあったんだよ)


 鷹はその時、幾つかの物事が、頭の中に流れ込んで来るのを感じた。直接会ったことの無い女性達の姿も、その中にはあった。理解した訳ではない。そこまでの出来事が、自分の中にコピーされたのだ、と彼は思う。

 それはあくまで、ディックに言うためだけに。


(彼も、一緒に居て楽しかったよ。あの頃の僕らの姿を思い出させた)

「お前は馬鹿だよ、ナガノ……」


 鼻をすすりながら、サイドリバーは同じ言葉を繰り返した。


(ありがとう、君に会えて、僕は楽しかった)


 ふっ、と流れ込む意識が濁りつつあるのに鷹は気付いた。慌てて意識を研ぎ澄ませる。小さくなる。小さくなってしまう。


(君に会えて、嬉しかった……)


 ぼんやりと、青年の姿の誰かが、かき乱される意識の中に淡く、だけどきちんとした輪郭を持って浮かび上がる。見覚えのある輪郭。そうかこれは。


(それまでの間、生きてなかった。ただ死なないというだけだった…… だけど君は)


 引きずりこまれるな、と思いながらも、意識が、逝く人間に引きずられそうになる。

 明るい光景だった。


 ウェネイクの大学の構内の緑。夜通し夢について語り合った狭い寮の部屋。客人として招かれたパーティの席。

 広げられた図面をのぞき込む熱心な表情。精巧な模型を身ながら、今度はこれを何倍にするんだ、と笑い合った日々。

 見つかり、追われる寸前の真剣な表情。生きていればいつか、会える。君が私のことを判らなくなったとしても、私には君がきっと分かる。それは君だけじゃない。

 ほらだって、あの時、僕は、君がすぐに判ったじゃないか。思っていた通りに年を重ねたけど、君は君だった。僕には、君がすぐに判った。

 本当に。

 僕はずっと、あの生まれ育った惑星で、戦場で、いつも、生きていた訳じゃない。死ななかっただけだ。だけど、建築と、君に出会ったおかげで、僕は、生き始めたんだ。

 だけど、先に行くよ。こうなるとは思っていなかったけど。

 君に、会えて、サーティン、本当に、良かった……


 オリイはぱん、と両手で鷹の頬を打った。瞳の中が奇妙に揺らいでいる。

 ああしまった、と彼は打たれた頬をさする。引きずりこまれる所だったことに気付く。

 そしてゆっくりと、昇降箱は、地面へと降りて行く。

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