赤き夜の出会いを経て

 銀の弾丸に打ち抜かれたエディ・ソワーズは、見るも無残な灰と化し、大広間の豪華な夜会の上を舞った。

 借りたタキシードを灰塗れにしたまま、レオンは仰向けになると、しばし呆然と近くにある天上を見つめていた。

 どっと疲労が押し寄せてくると共に、抗いがたい睡眠欲に全身を支配される。

 しばらくそうして、夢と現実の狭間でうろうろ彷徨っていたが、突如、彼の耳を突く声が聞こえてきた。


「おい、無事か。吸血鬼ハンター!」


 はっと目が覚める。

 レオンは勢いよく上半身を起こすと、「いかん、こんなところで眠っている暇は無い」と己に言い聞かせて立ち上がった。


「おっと」


 シャンデリアがぐらりと揺れる。あやうくバランスを崩しかけ、アームにつかまる。

 ふと足元を見ると、己の足が立つ高さに、居心地の悪さを感じた。あまり高いところは好きではない。怖いというより、落ち着かないからだ。

 二階の廊下では、アルカードが周囲を気にしながら「早く下りて来い」と手招きをしている。

 彼の言う通り早くここを去ろう、と歩きかけ、「あ」と、何かを思い出したように足を止める。

 きょろきょろと足元を見渡しながら、尻ポケットをごそごそかき混ぜる。小さなクリップやら綿棒やらを落しながら引っ張り出したのは、ジッパーの付いたビニール袋。


 その中に、屈んでかき集めたエディ・ソワーズの灰を二摘み入れた。これは、ターゲットの討伐が成功した大事な証拠となる。零さないよう、しっかりジッパーを閉めて大切そうに握り締めながら、レオンは人間離れした跳躍力で二階の廊下へと着地した。


 辺りには誰もおらず、吸血鬼と見習いハンターの乱闘の末を見届けた者は、アルカード・カンタレラの他には存在しなかった。

 二人は、ほんの数秒間見つめ合っていたが、互いに口を開くことはせず、最終的にレオンの方から顔を逸らすと、用は済んだとばかりにアルカードの傍を通り過ぎてゆく。


「あ、おい、ちょっと」


 アルカードは彼の背中に向かって手を伸ばしたが、レオンは立ち止まりもしなければ、振り返ることもしなかった。


      ☆


 山道を抜けた後も、レオンは背中に夜会の喧騒を感じていた。――否、そんなはずは無かった。廃城は遠く離れた山の中腹で、今もおぞましい気配を漂わせて佇立しているのだから。


 城下へと繋がるインテグリッダー・ブリッジの真ん中で立ち止まったレオンは、欄干に寄りかかりながら、遠くの空を見つめた。不気味な赤い空。

 鉛のような疲労が、レオンに重く深い溜息を吐かせる。

 冬の終わりを間近に控えた夜風が、稲穂の如き金の髪を舞い上げた。


「疲れたな……」


 思わず洩れた独り言。

 無性に恋しくなった苦味を求めて、レオンの手はジャケットの胸ポケットを探ったが、お目当ての煙草がそこに無いとわかるや、なおさら大きなため息が洩れた。荷物は少ないほうが良いと思って、自室の机の上に置いてきたのだ。


 どこかの木々の間から梟の鳴き声が聞こえた。身近に自分以外の生き物が存在すると知ってほっとすると同時に、今しがた自分が通ってきた道の方から何者かの気配を感じた。全身の毛が逆立った。仲間の吸血鬼が追って来たのか?

 レオンは突き刺すような警戒心を放ちながら、勢いよく、来た道を振り返った。


「わッ、びっくりした」

「……お前か」


 間抜けな顔をして現れたのは、何かとよく会う吸血鬼・アルカードだった。

 レオンは無意識のうちに警戒心を解いて、


「何の用だ。エディの仇でも討ちに来たのか」と、そっけなく言う。

「違わい」


 アルカードは、心外だとばかりに抗議する。


「オレぁ、あいつが大嫌いだったんだ。いなくなってせいせいしてるぜ」

 彼は愉快そうに声を上げると、「ところでさ」とレオンの手元を指差した。

「それ、どうするの?」

「それ?」


 レオンはちらりと自分の手元を見、「……お前には関係ないだろ」と、冷然と言い渡す。


 アルカードはムッとしたようだった。


「なんだよ、助けてやったのにそんな態度はないだろ」


 彼が尤もなことを言うと、レオンはバツが悪そうに顔を顰めた。ここでむきになって口論になるのも大人気ないと思い、

「……政府に提出するのに必要なんだ。エディ・ソワーズを斃した証拠として」

「政府? なんだ、じゃあお前……」


 アルカードは意外だ、という風情で眉を跳ね上げた。


「まだプロじゃなかったのか」

「ああ。今年学校を卒業するんだ」


「ふぅん、随分期待されてんだね。試験でエディに喧嘩売るなんて。あいつは一応、三貴族うちの長子よ?」


「奴は人間に喧嘩を売った。罪のない五人の少女を殺したんだ」

「あいつ昔から意地汚い男だったからね」

「で、お前は、あいつを殺させるために、僕に協力してくれたって?」


 レオンはにやりと笑いながら言った。


「いやいやァ、単なる好奇心かな。三貴族の長子VS.吸血鬼ハンターの戦いを特等席で見ていたかったのさ」

「暇人かよ」

「よくわかったな。オレは暇を極めたプロの暇人だ」


 アルカードは得意げに言った。


「……じゃあな、僕は帰るから」


 レオンは興味薄そうに軽く頷くと、欄干から重い体を離して、町へ続く道へ向き直った。

 明日は講義はない。何時まででも眠っていられる。シャワーは……灰塗れのまま眠るのも気分が悪いから、さっと浴びてから寝台へ潜り込もう。

家に帰るまでが試験だ。夜も深まった魔物の世界で悠長にしていたら、帰宅するまでに自分の命が無事でいられないかもしれない。

 今宵は満月。銀の月が魔物たちの赤に染まる夜。

 今夜、この世は魔物のもの。

 人間は外に出てはいけない。


       ☆


 シャッターを下した商店街が軒を連ねる大通り。レオンは馴染み深い町並みの真ん中を、疲労を影のように引きずりながら歩いていた。

 人っ子一人いない寒々とした一本道を無心で歩いていたレオンであったが、ふと、深く白い息を吐き、立ち止まる。


「なぜ着いてくる」


 深緑の視線が肩越しにちらりと振り向く。その目線の先でぴたりと立ち止まった吸血鬼は、呑気に笑いながら、

「オレも帰ろうかなって」と答えた。


「お前の家、この辺なの?」

「えーと、そうだねぇ……」


 アルカードはへらへら笑いながら、歯切れ悪く言った。


「……ちゃんと自分の家に帰れよ。僕についてくるな。捨て犬か、お前は」


 レオンは迷惑そうに首を振った。


「オレ、家がないんだよ」

「それがどうして、僕に着いて来ることに繋がるのだ」

「オレをあんたの傍においてくれよ」

「はあ?」


 突拍子のない話に、レオンは思わず妙な声を出した。


「頼むよ。人間の傍にいたいんだ。そうすれば、オレも人間でいられる気がする。今はこんなことになっているが、元は人間だったんだぜ。純血じゃないからって、吸血鬼の奴らはオレのことを“半端者”と罵る。人間はそんな風に言わない。吸血鬼社会でのオレの立場なんて興味ないだろ? オレは、心はまだ人間なんだぜ」


 レオンは口を挟まず、耳を傾けていた。


「オレはお前に危害は加えない。だから傍に置いてくれよ。助手とか欲しくない? 家政婦とか必要じゃない? オレ、家事全般得意なんだ。雇ってくれよ、なー」


 レオンは深く溜息をつきながら頭を抱えた。


「どうしてそうなる。強引過ぎるぜ」

「駄目?」

「お話にならないな」


 レオンは呆れ返って歩を進める。自然と歩調は速くなり、深夜の商店街のど真ん中だというのに、石畳を踏む足音を殺そうともしない。

 アルカードがその後を追い、鋼の精神力を振りかざして食い下がる。


「頼むって。日がな一日ダラダラ過ごすのはもう真っ平なんだ。人間だった頃はずっと寝ていたいと思っていたが、もうそんなこと言ってられないんだよ。退屈で狂っちまいそうなんだ」


「僕に何を期待してるのかは知らんが、お断りだね。なんで吸血鬼ハンターが助手に吸血鬼を雇わねばならん。それに僕は貧乏学生なんだ。ヒトを雇う余裕なんて無いね」


 アルカード・カンタレラは挫けない。

 暇を極めた有閑のプロフェッショナル、吸血鬼・アルカードは、この美しき吸血鬼ハンターの歩む人生にひどく興味を示した。己を捕らえた檻から解き放ってくれるのが、この若き吸血鬼ハンターであると信じて疑わなかった。

 どうしてそんな風に思うのか、アルカード自身もわからなかった。

ただ、そう、この感情を例えるなら、果てしなく広がる暗黒の中で、己を導く光を見つけたような、そんな感覚だった。

 退屈という名の暗闇に囚われたアルカードにとって、レオン・シェダールは光だった。


 やがて見えてくる築何十年の古いアパート。その二階に、レオンは一人で暮らしている。

 ――やっかいなもんに好かれちまったな。

 レオンは、傍で喚く吸血鬼を無視して、アパートの階段を上がった。

 まあ、いいか。放っておこう。とそっけなく無視を続ける。

 だって吸血鬼は、家主に招かれない限り、他人の家の敷居を跨ぐことは出来ないのだから。

                               


             ヴァンピール―魔物の夜会・完

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ヴァンピール―魔物の夜会 駿河 明喜吉 @kk-akisame

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